■新日本医師協会 『新医協』1993年9月1日1320号、9月11日1321号

MMRワクチン中止と行政の責任(上)

 ムンブスワクチンによる無菌性髄膜炎の発生が問題となり、MMRワクチンがついに中止されてしまった。我々小児科第一線医療の外来では、「上の子の時は一度で3つともすんだのに・・・」とか、「もう少し早く受けておけばよかった」とか、中止を残念がる父母の声も少なくない。
 MMRワクチンをめぐっては、千人に一人と当初予想された以上に無菌性髄膜炎が多く報告され、その後、国の責任ある対応がとられなかったことや、マスコミの不十分な報道もあって、社会問題化してしまった。その結果、必要以上に父母のワクチンそのものに対する不安をあおり立ててしまった。麻疹は千人に一人の割合で脳炎が起こり、今でも一歳から五歳の死亡原因では八位に入っており、SSPE(亜急性硬化性全脳炎)の発生阻止もふくめて、是非ともワクチンで予防すべき疾患である。
 今回のMMRワクチンをめぐる動きは、ワクチンによる予防を奨めている我々からみても不明瞭で不可解な部分が多い。例えば、MMRワクチン開発時にデータのそろっている独自株ではなく、何故いわば「国定」ともいえる統一株だけか急拠導入されたか? また阪大微研の独自株MMRワクチンの副作用が少ないことが判明すると、なぜタイミングよく手続き上の「不正」が明らかにされて製造が中止になったのか? またこの時、なぜ同時に「不正」のないはずの他のメーカーのMMRワクチンまでが出荷が中止されてしまったのかなど、「裏に何かあのるのではないか」と思わせる。
 そもそも、現在行われているようにMMRワクチンと麻疹ワクチンとの比較をして、MMRワクチンで無菌性髄膜炎が出ることをセンセーショナルに問題にするのは、出発点からおかしいのではないか。ムンブスは元来、合併症として無菌性髄膜炎の多い疾患であり、比較をするのならMMR接種時と自然にムンブスにかかった時との比較をするのが、ワクチンの有効性を論ずる時の常識であろう。
 ムンブス罹患時は、症状のあるもので3%、症状のないものでも髄液検査を行えば、60%に細胞増多がみられることが知られている。これを「無菌性髄膜炎」としてとりあげれば、ムンブスは自然にかかると60%に無菌性髄膜炎が生じるともいえるわけである。MMRワクチン接種のあとでは、発熱などに際して髄膜炎の症状のないものにまで、元来の髄液検査の適応を越えて検査を行えば、当然「無菌性髄膜炎」の頻度は上がると考えられる。報告により、あるいは地域や病院により、MMRワクチンによる無菌性髄膜炎発生の頻度に大きな偏りがあるのは、診断基準や検査を施行する基準がまちまちだからである。   (つづく)

 (京都民医連中央病院小児科 水本圭一 奥原賢二)


MMRワクチン・中止と行政の責任(下)

 国が無菌性髄膜炎を理由にMMRワクチンを中止した出発点には、麻疹ワクチンは定期接種だが、ムンブスワクチンは任意接種であるという考え方が基本にあると思われる。国が責任を持つのはあくまでも麻疹の予防であり、ムンブスや風疹のワクチンはいわばおまけで、責任を持って予防するつもりがないというわけである。だから、いわば余計なムンブスワクチンにより、副作用が出て間題になることが許せないのである。MMRワクチンの中止にともなって、ムンブスワクチン、風疹ワクチンはまたもとの単独接種に戻ってしまった。MMRワクチン施行時は実質的にはムンプスワクチン・風疹ワクチンも定期接種の麻疹ワクチンと同じ位置づけになっていたのであるから、国が責任を持って進める定期接種としで続けるのが本来の姿であろう。
 国のワクチンに対する態度は、四〇年前のポリオワクチンのエピソードを持ち出すまでもないが、決して黙っていても子供のためにワクチンを進めてくれるわけではない。三混(DTP)が問題となって以後の百日咳の増加や百日咳による乳児の死亡例の増加をはじめ、ワクチンの問題で常に犠牲となるのは子供である。ワクチンで被害が出れば国の責任が問われるが、ワクチンを受けずに病気で亡くなっても国の責任は問題とならないし、マスコミも騒がない。
 京都市の保育所では、「みずいぼ(伝染性軟属腫)があるから」という理由で、三混ワクチンを受けさせないという例まで出ている。小児の37・0℃を発熱としたり、アトピー性皮膚炎があるから、弟が熱があるからとワクチンを受けさせない例など、ワクチンそのものの意味を認めないかのような対応が後をたたない。ワクチンをしなければ副作用など起こりようがないのだから、医師がワクチンの必要性を忘れて、ワクチンの副作用の「予防」だけに励むということなかれ主義になってしまうと伝染病の予防などできない。
 我々現場の医師としては、ワクチンを積極的に奨めると同時に、安心してワクチンを受けられるよう、父母とともに、国に対して運動して行かなければならないと考えている。(おわり)

 (京都民医連中央病院小児科 水本圭一 奥原賢二)