MMR訴訟控訴審を前にして
4篇の詩:03.7.2もどうぞ)

岩手県花巻市 上野秀雄・裕子

 

 3月の判決前後,被害児である娘の花と共に大阪・東京と行動し,その後の,阪大微研との協定,国の控訴等々のあわただしい時を過ごしたのが遠い昔のよう思われ,ここ1〜2ヶ月は以前と変わらない日常の生活に追われていました。

 今,7月25日の控訴審第一回公判を前に,また,ワクチントークin高槻の開催を機会に,いままでの経緯と控訴審への思いを整理すると共に,参加者の皆さんにも理解していただきたく,そして,MMR訴訟へのご支援をあらためてお願いします。

 


《誕生からの経過》

 花は,平成元年6月29日,3人兄妹の末っ子として大船渡市で誕生した。風邪をひきやすく喘息気味ではあったが,運動が大好きで明るい元気な子どもに成長していた。

 平成3年4月24日,意に反してMMRを接種される。その2週間後の5月8日朝,副反応が発症し近所の小児科(MMRを接種された)で受診するが高熱,意識不明,痙攣発作。県立病院,東北大学病院と転院し,人工呼吸器を取り付けられ交換輸血や様々な治療を続けるが,脳浮腫の状態で約2週間生死の境をさまよった。どうにか危機を乗り越えたが,急性脳症により大脳細胞のほとんどが破壊され,心身共に重度の後遺症が残ってしまった。

 大学病院での治療,その後のリハビリ施設での訓練を含め7ヶ月間の入院生活の後,家に戻ったが,全く体の自由を失った花を介護するためには,母親は退職せざるを得なかった。

 その後,花を療育施設に通わせるためと,父親の転勤のため家族5人で現在の花巻市に転居。現在花は養護学校中等部2年に通学している。

 依然,重度の心身障害の状態ではあるが,少しずつ成長しているのを感じることが今の幸せである。

 

《被害認定と裁判》

 治療と並行し,ワクチントークの毛利先生,全国予防接種被害者の会の吉原先生,藤井さん等から情報を得ながら,予防接種による被害認定を厚生省に申請し,平成4年に認定された。

 さらに,平成8年には,大阪の2原告に続き、欠陥ワクチンを製造した阪大微研と副作用が多発していたのに接種を中止しなかった国を相手に,損害賠償を求める訴えを大阪地方裁判所に起こした。

 そして,平成15年3月13日一審判決。裁判所は,被害とMMRとの因果関係を認め,被告の国と阪大微研に対して損害賠償の支払いを命じた。阪大微研は責任を認め賠償金を支払ったが,国は責任を認めず控訴した。

 

《国に対して

 もう取り返しのつかないことだが,無菌性髄膜炎が多発した早い段階で,国が一時中止をしていれば,花もMMRを接種することはなかった。エイズやヤコブなどの薬害の構図と同じであり,対応が遅れて被害を拡大させた国の責任は明らかである。責任逃れのための控訴,そして,阪大微研は認めた因果関係についてまで,また否定しようとする国の態度には強い憤りを感じる。期限切れワクチンの問題など,新たな問題も出てきており,子どもの健康より,ワクチンメーカーの利益を優先する姿勢では,また同じような被害がくり返される。控訴審でも,裁判所は国の責任を明確にしてほしい。

 

《大船渡市に対して

 実施主体である市の対応についての思いは複雑である。無菌性髄膜炎が多発し,慎重接種になった時点で,一時見合わせなどの対応ができなかったか(他の自治体ではあったが)。

 被害認定については,迅速な対応であった。被害認定後も,担当課による訪問や保健婦の派遣などをしていた。ところが,裁判を起こした途端に,養育年金等の振込事務だけになり,花の様子を見に来ることもなくなった。国と製薬会社を訴えたのに,なぜ,生まれ育った市から冷たくされなければならないのか。一審判決後も,何の音沙汰もない。

 

《阪大微研に対して

 欠陥ワクチンをつくっていなければ…,という思いがあるが,この裁判で責任を認め,謝罪した。今後,同じ事をくり返さないことを願う。

 

《接種医に対して

 意に反してMMRを接種されたこと。法廷での嘘の証言が国の因果関係否定の元になっていること。本当ならば,一番子供の味方になるのが小児科医のはずなのに,そして,共に花の健康と成長を守ってくれるべき人なのに…。