商品の詳細

商品番号 MA17
商品名 富士詩
価格 売却済み
寸法 横  34cm
縦 138cm
作者 松島 善海(略歴等は末尾記載)

本紙

銘


松島善海(まつしま ぜんかい)

生没年 安政二年(1855年)六月二日から大正十二年(1923年)三月二十三日
享年六十七歳
職業 僧家
出自 大分県中津市(当時は下毛郡大江村蛎瀬)照雲寺(第十二世住職)
称号 名は善海,号は無辺
師事 手島物斎(中津),恒遠精斎(豊前築上郡),戸早春村(中津),父労謙院(中津)
事跡 幼児漢学を修めた善海は,長じて父に従い宗乗を学び,空華学派の行信論を集大成した。
元治元年(1964年)五月十七日に得度し,明治十年(1877年)三月,照雲寺の住職となり,明治十六年から明治二十二年まで本山助教として宗乗を学徒に教授した。
明治三十六年(1903年)十二月,勧学職を拝命したが,この時善海四十九歳。
40代にしての勧学職は異例のことであったといわれる。
明治三十七年(1904年)には軍隊布教師として別府へ派遣され,明治三十八年に佛教大学の講師,翌三十九年に本山より無辺院号を授与された。
大正三年(1914年)十月,本願寺顧問となり特授二等となったが翌年職を辞し,帰郷して信昌閣において育英事業にあたった。 しかし同十年(1921年)四月,本願寺執行長に抜擢され,特授一等に列し,同年六月に龍谷大学の財団理事長に挙げられた。
大学を辞したのちは,故山に静養し,詩歌,文章,書画に親しんだ。


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