商品の詳細

商品番号 KJ138
商品名 七語
価格 60,000
寸法 本紙 幅   39.5cm
    高さ 140.5cm
総丈 幅   52.5cm
    高さ 183cm
軸先 紫檀
合せ箱
状態 小さな折れがあります。
作者 釈 宗演 (略歴等末尾記載)

総丈

本紙

銘

軸先


釈 宗演(しゃく そうえん)
安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。 字は洪嶽、楞迦窟、不可往。号は洪嶽。

日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。

12歳の時、京都妙心寺の越渓守謙のもとで得度し、建仁寺や岡山県の曹源寺で修行する。
1878年、鎌倉円覚寺の今北洪川に参じて印可を得る。禅道修行のかたわら慶應義塾で福澤諭吉に英語、洋学を学ぶ。
1887年、慶應義塾別科を卒業し、29歳の時に福澤諭吉や山岡鉄舟のすすめもあり、セイロン島とインド、中国等アジア各国に留学。帰国後、神奈川県久良岐郡にある宝林寺の住持となる。
1892年、34歳で円覚寺派管長に就任。
1893年、福澤諭吉のバックアップにより渡米、シカゴで開催された万国宗教大会に参加した後、各国を巡遊し、インド経由で帰国した。
1902年、円覚寺において最初のアメリカ人に対する禅指導を行なった。
1903年、建長寺派の管長を兼務する。
1904年、日露戦争が勃発し、従軍布教師となる。
1905年、管長職を辞職し、鎌倉の東慶寺住職となる。
1906年、再度渡米し、通訳として鈴木大拙を、侍者として千崎如幻を伴い、アメリカ人に対して禅指導を行なった。
1914年、臨済宗大学の学長に就任。
1916年、円覚寺派管長に再任される。徳富蘇峰主宰の碧巌会の講師をつとめ、政・財界、夏目漱石居士ら知識人への講義・指導を通じて多くの信奉者をもった。
1919年 遷化、61歳。

著書
釈宗演全集10巻(1929年–1930年)
菜根譚講話(1926年)
西遊日記(1941年)

伝記
釈宗演伝-禅とZENを伝えた明治の高僧-(2000年)
音読でこころにしみる菜根譚―釈宗演『菜根譚講話』 イーストプレス 2010年 齋藤孝

ウィキペディアを引用

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