商品番号 |
KJ79
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商品名 |
人物画讃 |
価格 |
100,000 |
寸法 |
本紙 幅 33cm
高さ 125.5cm |
総丈 幅 46cm
高さ 171cm |
箱 |
合せ箱 |
状態 |
良好 |
作者 |
日置 黙仙(略歴等末尾記載) |
日置 黙仙(ひおき もくせん)
号を維室と称し,弘化4年(1847年)日置治吉の次男として,鳥取県東伯郡北条町に生まれた。
15歳の時に因幡の中興寺・黙中禅師に就いて得度し,19歳で石川県にある天徳院の高僧・奕堂禅師の下で修行に励み,やがて,明治7年,数え年28歳で氷上町御油・円通寺の第40世住職となる。
円通寺は,丹波に於ける曹洞宗の中本山で,当時,近隣約60ヶ寺を統括していたが,明治時代の廃仏毀釈運動のあおりを受けて,建物も荒廃し寺領だった山林もそのほとんどを失っていた。それでも黙仙が晋山した当時には修行に励む若い僧侶たちも50名くらいがおられたそうで供物やお布施で生活をしのぎながら「衣食の中に道心なく,道心の中に衣食あり」と説き,民衆や修行僧を指導した。そして茅葺き屋根だった本堂を瓦葺に改修するなどの復興事業を手がけ,見事にこれを完成させる。そん手腕を買われた黙仙は,明治25年の秋,今度は静岡県袋井市にある可睡斉の住職として招かれ,ここでも荒廃していた寺の復興に努めまた,この頃からインドやタイといった東南アジアの国々へも出かけて精力的に仏教行事に参加し,大正4年にはアメリカのサンフランシスコで行われた「世界佛教徒大会」に曹洞宗の代表として参加するなどして,その名声を博し,翌年の大正5年には福井県にある大本山・永平寺の第66世管長となり「明鑑道機禅師」の勅号を賜った。
永平寺管長となってからも全国各地を廻って教化に務め大正9年に74歳で遷化された。