山本 琴谷(やまもと きんこく) 津和野藩旧藩士の家に生まれる。のち山本姓を名乗る。 津和野藩家老で渡辺華山とも親交のあった多胡逸斎に絵を学び、江戸に出て桜間青崖に師事。転じて華山の門に入り山水人物を学ぶ。 その後、高久靄崖、椿椿山にも師事。 嘉永6年(1853)、津和野藩の絵師を命じられる。 元治元年(1864)、藩命により家族を津和野に送り、自身は京阪の間に足を留め、あるいは東海道を漫遊したという。 明治維新後は東京に移住。明治6年(1873)、遊歴して信州上田からの帰途に病没した。 生年月日 文化8(1811) 死亡年月日 明治6(1873) 出身 津和野