商品の詳細

商品番号 KJ136
商品名 打出の小槌とネズミ
価格 80,000
寸法 本紙 幅   30.5cm
    高さ 126cm
総丈 幅   32.5cm
    高さ 195cm
軸先 象牙
合せ箱
状態 時代相応のやけがあります。
作者 森 寛斎 (略歴等末尾記載)

総丈

本紙

小槌

ネズミ

銘

軸先

箱


 森寛斎(もり かんさい)

文化十一年長州萩鷹島に誕生。長州藩士石田伝内の三男。名は公粛,字は子容,寛斎はその号,別号を晩山,室号を造化室,天開図画桜等と称した。

始め絵を郷里円満寺,寺侍太田田龍に学んだが,十八歳のとき大阪に出て円山応挙門下十哲の一人森徹山の門にはいり,修行中徹山に見込まれてその養子となり, 森寛斎と名乗って活躍を始めた。

しかし二年後徹山の死去と同時にいったん帰郷して元の藩士に復し,有志とともに尊攘のことに奔走した。のち王政復古とともに再び京に上り画壇に還り,土佐光文, 鶴沢探真等と謀り,後素如雲社を創立して画壇振興に尽くした。

明治十五年の絵画共進会のころから画名次第に著われ,博覧会等に出品してしばしば受賞したが,明治二十三年帝室技芸員を拝命,翌年には宮内省の命を奉じて"蓬菜図" 双幅を作りまた,御所の杉戸に"小鍛冶鍛刀図"を描くなど老来ますます盛んに活躍し,明治二十六年には正七位に叙せられたが,翌明治二十七年に病没した。 享年八十一歳。
寛斎の画風は,鳥獣花奔をはじめ風景画を巧みにしたが,よく師法を守り円山派写生画の本領を発揮したので,明治期最後の円山派正統画家として高く評価されている。


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