商品の詳細

商品番号 KJ73
商品名 墨竹図
価格 売却済み
寸法 本紙 幅   41.5cm
    高さ 126.5cm
総丈 幅   56cm
    高さ 207cm
軸先 縞黒檀
合せ箱
状態 良好
作者 小田海僊(略歴等末尾記載)


小田海僊(おだ かいせん)

 天明五年(1785)から 文久二年(1862)  江戸時代後期の日本の南画家。  
通称良平,名は羸(るい)または瀛(えい)。 字を巨海,号は海僊の他に百谷または百穀。  
周防佐波郡富海(現 山口県防府市富海)の回船問屋河内屋の子に生まれに,長門国赤間関(現 山口県下関市)の紺屋(染工)を営む小田屋仙右衛門の養子となる。  
18歳のとき,京都四条派の松村呉春に入門し,同門の松村景文や岡本豊彦らと名声を競ったが,やがて頼山陽に感化され南画に転向。  

九州に遊学し,中国元明時代の古書画の模写をするなどして研究を重ねて,独自の画風を確立した。 

文政七年(1824)萩藩の御用絵師となり,一時江戸に滞在。
2年後、京都に戻り活動。  嘉永元年(1848)から安政元年(1854)にかけて画室を設けているが,このころ富岡鉄斎に絵を教えたと推定されている。

清楚な画風に特徴が有り,山水画,花鳥画,人物画を得意とした。
高野山や京都御所の障壁画(1855年)などの大事業を手掛けている。  
文久二年(1862)歿,享年78。大徳寺黄梅院に眠る。  
交友 頼山陽,浦上春琴,田能村竹田  門弟 富岡鉄斎,川端玉章,大庭学僊,羽様西崖,中西耕石,忍頂寺梅谷,松浦松洞,  

著作物 分類二十四考図,人物十八描法  

作品 山水図,漁楽図,大槻玄沢像(重要文化財),少年行之図(下関市立美術館),林和靖図[3](下関市立美術館)ほか

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