商品の詳細

商品番号 GA9
商品名 鬼の酒宴
価格 250,000
寸法  本紙  幅  40cm
     高さ 25cm
    
総丈  幅  56.5cm
     高さ 47.5cm
紙箱
状態 良好。水彩画
作者 中川 とも(略歴等末尾記載)

総丈

本紙

鬼

芸者

鬼の顔

芸者の顔

銘


中川とも

その生涯の中で、日本画の時代、油彩画の時代を経て、70歳を過ぎてから、日本画と
も油彩画とも区分けできない独自の表現方法と技法を用いた画風を大成させました。

生家の中川家は、江戸時代の中津川宿における旧家の一つで、父万兵衛は明治時代に中
津川村の戸長を勤めるほどの有力者でした。

ともは、文芸、特に人情味あふれる地芝居に深い造詣を持っていた父の指導により、幼
いころから漢詩や和歌、歌舞伎などの素養を身につけて育ったことが、後年、文楽や地
芝居から題材を見い出し、「芝居絵」を中心に描きはじめることにつながったと考えら
れます。

中川とも 年譜

西暦(年号) 事項
1890(明治23年) 8月19日、岐阜県恵那郡中津川村(現:中津川市)に
父中川万兵衛政憲、母ふくの二女として生まれる。
1908(明治41年) 岐阜県立岐阜師範学校を卒業し、
中津川尋常高等小学校(現:南小学校)の訓導となる。
1919(大正8年) 文部省中等教育図画科検定試験に合格。
1921(大正10年) 岐阜県立大垣高等女学校の美術科教諭となる。
大阪在住の日本画家北野恒富に入門。
1931(昭和6年) 大垣高等女学校を退職し、中津川に帰って画業に専念。
女義太夫の竹本播玉に入門して浄瑠璃を身につける。
芸名を竹本播登と称した。
1944(昭和19年) 洋画家の水谷清が恵那郡武並村に疎開してきたのを機に、
中津川や恵那の若い画家たちとともに指導を受ける。
1947(昭和22年) この頃より、従来の日本画のあり方に対して疑問をもち、
油彩画に転じる。主に人物を題材とする。
1950(昭和25年) 県立恵那高等学校の美術科の教諭となる。
1956(昭和31年) この頃、多くの油彩画を処分。
1960(昭和35年) この頃、日本表現派系の画家岩崎巴人にアドバイスを受け、
坂下和紙とポスターカラーを用いるようになる。
文楽・歌舞伎を題材とする芝居絵が画業の中心になってゆく。
1964(昭和39年) 東京の中央画廊で初の個展を開く。
1965(昭和40年) 県立恵那高等学校を退職。
1969(昭和44年) 恵那市文化功労賞を受賞。
1972(昭和47年) 画文集「中川とも芝居絵集」刊行。
岐阜県の学芸功労者として知事表彰を受け、中津川市文化功労賞も受賞。
1982(昭和55年) 画文集「中川ともの芝居絵」刊行。
1982(昭和57年) 8月1日、中津川の甥宅にて死去。

東美濃ふれあいセンター引用

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