商品の詳細

商品番号 BG2
商品名 鍋島焼 樵夫水滴
価格 売却済み
寸法 幅   5.5cm
奥行  4cm
高さ  6.5cm
    
あります。
状態 良好
作者 不明

樵


樵夫(しょうふ)

木に足場用の板を打ち込み、その上に乗って作業する。人が寝転がっている部分が受け口。
樵(きこり、木樵)とは、森林の樹木を斧などにより伐採すること、もしくはそれによって生計を立てている者を指す。樵夫(しょうふ)や杣夫(そまふ)ともいう。 昔話などにもよく登場する職業である。

「木伐(こ)る」というラ行四段活用動詞(「木」と「伐(こ)る」との複合動詞)の連用形「木伐り」からの転成名詞と考えられる。「伐る」は、「木を切る/伐採する」の意味。

水滴(すいてき)

墨をするために水を蓄え,また硯に注ぐ容器。
形態や大小によって,硯滴(けんてき),水注,水?(すいちゆう),水中丞(すいちゆうじよう),水盂(すいう),蟾蜍(せんじよ)などとも称し, 日本では古くは須美須里賀米(すみすりがめ)(《和名抄》),硯瓶(すずりがめ)(《栄華物語》)などともいった。
狭義の水滴は,2ヵ所の小孔(風穴と水穴)をあけ,少量のしずくを落とすくふうがなされたものをいう。
水滴と一括して呼ぶもののうち,水注は注口と把手をもった水指形を,水盂,水丞などは鉢形や壺形のものをいう。

鍋島焼(なべしまやき)
17世紀から19世紀にかけて、佐賀藩(鍋島藩)において藩直営の窯で製造された高級磁器である。 佐賀藩の支配下にあった肥前国有田・伊万里(佐賀県有田町、同県伊万里市)は日本における磁器の代表的な産地として知られるが、 その中で大川内山(おおかわちやま、佐賀県伊万里市南部)にあった藩直営の窯では藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級品をもっぱら焼造していた。 これを近代以降「鍋島焼」または単に「鍋島」と呼んだ(伊万里焼の一様式と位置付け、鍋島様式と呼称する場合もある)。 鍋島焼の伝統は1871年(明治4年)の廃藩置県でいったん途絶えたが、その技法は今泉今右衛門家によって近代工芸として復興され、21世紀に至っている。

 ウィキペディアを引用
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