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2001年3月のお嬢(下)


 3月28日 常識

 安部英に無罪判決、そんな電話で起こされた。
 朝から胸くそが悪い。
 
 裁判所、いや、裁判官って、何のためにいるのだろう、と思う。
 「その結果が重大で悲惨だからと言って、罪の成立範囲は動かせない」って、
 なんだそれ。根拠は判例。なんだそれ。
 そんなに判例が大事ですか。そんなに他人と違う判決を出すのがイヤですか。
 濁り水だらけの世の中で暮らす私たちに、法律の授業のような文句などいらない。
 彼らの視界に、社会はない。
 
 「感染の予見性は低かった」と言う。
 なぜ低かったか。低くならざるを得なかったか。
 それは、謙虚さを捨て、自らを神と崇めた安部の、医師としての無知が原因だ。
 その責任をこの裁判で問わなければ、あの悲劇はまた繰り返される。
 人の命を預かる人間が、よくもまぁ人前で「知りませんでした」などと言えるもんだ。
 それでも「権威」だというのだから、ちゃんちゃらおかしい。

 もちろん共犯者(あえてこう言うが)が山ほどいて、あの事件は成立した。
 名前を変えた製薬会社は、今でもデータの改竄やら何やらでいつも話題になってるし、
 厚生省から天下りして、澄ました顔で東京大学医学部の教壇に立つ者までいる。
 まったく恥ずかしげもなく。
 そのすべてを裁くことは、無理だろうと思う。
 だけど、原告側が既に肉親を失った人もなお徹底的に闘おうとするのは、
 あの、甘い汁に群がった人間が、人として間違ったことをした、ということを証明したい、
 そして一言でもいい、申し訳ないことをしました、という言葉が欲しいからだと思う。
 
 97年の秋。
 ひとりの原告が亡くなった。
 血友病患者会のリーダー的存在だった彼は、HIVの混入した非加熱製剤を友人たちに
 積極的に勧める役割を担った。そして、彼を含めた多くがHIVに感染し、死んでいった。
 彼は、差別と偏見の中、被害者・加害者両者としての苦しみを文字にして、歌にして、
 だけど、最後までその苦しみから解き放たれることなく、この世を去った。
 こんな無惨な死に方があるものか。

 全部とは言わないが、裁判官には、こんな死に方など想像したこともない人も多いだろう。
 偏った判断を避けようと世間とは距離を置くのが、彼らの義務でもあるからだ。
 そんな人たちに、一般人の思う正義を守れ、と期待する方が無理な話なのだろうか。
 こうやって、私たちの絶望はまた深まっていくのだろうか。


 3月27日 約束

 約束、というものをしなくなった。
 守るのも破るのも面倒だな、信じるのも忘れられるのも疲れるな、
 と思っているうちにそうなってしまった。

 ある友人が、君は決して裏切らない人だ、と言ってくれた。
 でも、現実はそんなに立派なモノではない。
 裏切るのも、ウソを付くのも、面倒くさくて疲れるからやらない、ただそれだけ。
 もっと言えば、謝るのが嫌いなのだろう、きっと。
 極めてエゴイスティックなところで生きている。

 こんな私だから、人に約束されると、とても居心地が悪くなる。
 ありがとう、じゃ間抜けだし、一応信じるよ、だと失礼で、絶対信じてる、は嘘臭い。
 いっそ契約書にでもしてくれればいいのに、と思うのだけれど、
 人の世は、そうシンプルにはできていないらしい。

 まぁ、こんなんだから、小説が出来、文化が育ち、人の心は豊かに……。
 なんて言ってる自分がとても嘘臭くて泣けてくる。
 せめて自分だけでも裏切るな。 


 3月26日

 私は子どもが欲しくない。
 少なくとも今はそう思っている。
 産み捨てられるならともかく、成長するまでの長期にわたって依存されると考えると、
 とてつもなく鬱陶しくなってくるし、大体私の遺伝子なんて、これきりにしたいもの。

 もう、1年以上前の事だったかと思うが、とてつもなく子供が産みたい時期があった。
 その話を男友達にすると、オレの彼女も同じ事を言っている、と言っていて、
 25歳というのは、オンナが生き物の本能として子どもを持とうとするお年頃なのかね、
 と笑った記憶がある。

 彼と彼女は5月に結婚することになった。
 彼女はきっと、彼の子供を産みたいと願うだろう。
 「この世にオレの分身が出てくるなんて恐ろしいよな」と言っていた彼も、
 やがてその誕生を願うだろう。
 
 本能として、子供を持ちたいと思う時期を過ぎた今、その動機付けは他の誰かに
 頼るしかないのかな、と思う。
 誰かの遺伝子と自分の遺伝子とのMIX願望とでも言うのか、そういうもの。
 私にはまだそう願うに至っていない。
 人の遺伝子を混ぜてもなお、えぐみが残りそうな、自分の血が怖い。 


 3月24日 生き様

 結婚式の後半で、新郎の96歳になるおばあちゃんにマイクが向いた。
 おばあちゃんは、元産婦人科医で、新郎を取り上げた方なのだそうだ。
 もう、足腰が弱っているみたいだったけど、孫の結婚式に洒落た帽子をかぶって
 出席し、向けられたマイクを司会者から奪い取り、童謡を高らかに歌った。

 あれは、何の歌だったのだろう。
 歌詞も聞き取れなかったし、お世辞にも上手とは言えない節回しで、
 どんなメロディーかもわからなかった。
 ただ、なんだかもう、嬉しくて仕方がないという様子だけが、伝わってきた。

 おばあちゃんに会うのは、もちろん初めてだし、どんな人だか知る由もない。
 だけど、20世紀のほとんどの時間を、女医(あえて「女医」というが)として過ごし、
 70歳を過ぎて孫を取り上げた人の姿に、私は尊敬の念を禁じ得なかった。

 気高く、優しく。
 そういう言葉が何度も繰り返し浮かんだ。
 生き様、とはこういうモノなんだろうな、と思う。


 3月23日 宴のまえ

 明日、っていうか今日(24日)の結婚式のために、
 「新婚今和歌集」を作っていたら、もう3時。
 7時半には美容院に行かねばならないと言うのに、だ。
 これじゃ、26歳のお肌に化粧は乗らんっちゅーもんや。
 我ながら何とかしたいわ、この凝り性。

 しかも、いつもの事ながら、焦れば焦るほど目が爛々としてきた。
 あー、こんな日記なんて書いてないで、さっさと寝よーっと。
 とか言いつつ、unpocoの日記を読んで、何度もウルウルしている私。

 っていうか、明日は結婚式のダブルヘッダーなのだった…。
 居眠りしたらどーしよー。
 さ、ほんとに寝ましょ、寝ましょ。


 3月22日 「ノルウェイの森」

 私たちは自分が不完全な存在であると自覚しているだけまともだ、
 というようなセリフがあった。

 初めて手にしたのが10年ほど前。読むのは3回目になる。
 5年前もある日突然読みたくなって、何かがハラリと落ちていった。

 この先何年生きるか知らないが、ずっと手放したくない赤と緑の2冊。
 遺言には、棺桶にも入れてくれよと、忘れず書こう。


 3月21日 短歌を詠む

 週末に中学時代からの友人が結婚式を挙げる。
 で、おきまりの「同級生からの出し物」っちゅーやつを頼まれてしまった。
 一緒に頼まれた2人と合議の結果、芸達者とは縁遠い我々に芸は無理、
 と言う結論に達し、お祝いメッセージを集めることに。

 そこで、条件を付けた。
 「短歌もしくは、俳句形式でお願いします」ってなわけだ。
 案の定、難しいだの、書きにくいだの、苦情は色々あるけれど、
 ただのメッセージ読んでちゃ、電報披露と変わりないじゃん、とごり押し。

 ざっと見ると、文字数が限定されている分、思いは凝縮されて、いい感じだ。
 どこのマニュアル本にも、こんなやり方載っていなかったけど、
 結構使えるんじゃないかしら。
 これから、もし、結婚式の出し物でお困りの方、よかったらお試しあれ。


 3月20日 憂鬱な午後

 昨日の中華料理が悪かったのか、起き抜けの妹お手製リゾットが悪いのか、
 どうも体の具合が良くない。
 そう言えば、昨日の午後から胃がシクシク痛んでいたし。

 大体、春は嫌いだ。
 本人の意思とはまったく関係のないところで、周囲だけが浮き足立って、
 むせ返るような「春の息吹」というやつが、厚かましく人の心に入り込んできた時、
 何か大きなモノを、振り回したり、投げ飛ばしたりして、大暴れしたくなるほど、
 頭がモヤモヤ、クラクラしてくる。
 かといって、そんなことを出来るほどの気力も体力もなくなるのだけれど。

 はやく体が溶けて無くなるような夏が来ればいいのに、とただ悶々と過ごすだけ。


 3月19日 またまた送別会

 それにしても、この2ヶ月で、何度送別会に出ているのだろう。
 みんな、手を替え品を替え、あらゆるメンツで、あらゆる場所で、開いてくれた。
 今日は、辞めた会社の、この春異動になる人たちの送別会。
 辞めてもまだ呼んでくれるところが、有り難い。

 と、すっかり、皆を金沢から送り出すつもりで出掛けていったら、
 ある人が送別の言葉の最後に「こなつさんの送別会に出席できなかったので」
 と、改めて私に贈る言葉をくれた。
 そして、別のもうひとりの人も同じ理由で私に言葉をくれた。
 異動になる8人にはひとまとめのメッセージだったのに、だ。

 私は嬉しくて舞い上がってしまい、何を言われたのか、あまり覚えていない。
 あぁ、相変わらず、何と無礼者なのだろう、私って。
 でも、2人の表情だけはきちっと心に焼き付いた。
 ほんとうに、嬉しかった。
 ありがとう。これからも頑張らないで頑張ります。 


 3月18日 動物ビジネス

 ある放送局が社運をかけてるという「わんにゃんパラダイス」行ってしまった。
 バカだ〜バカだ〜私って〜、と思っても、どうしても動物モノには弱い。
 そう、GWの世界の名犬珍犬フェスタにも、行ってやるんだい、絶対。
 何しろ、去年は見逃してしまったからね。(←スネオ調で)

 だけど、行く度に出てくるのは「かわいそうに、こんな見せ物にされて」という言葉。
 この自己矛盾。お恥ずかしいというか、情けないというか、面目ない。

 私が思うに、ああいうところにいる犬は、犬であって犬でない。
 なぜなら見られることにも、抱かれることにも、大声出されることにも、無反応だから。
 なのに、あら、こんなにおとなしいんだったら、うちでもワンちゃん飼えるわね、
 なーんて勘違いした人たちが、帰り道にペットショップに走る。

 でも、実際の生き物が、あんな風に置物然としてくれるわけもなく。
 怖けりゃ吠えるし、敵なら噛みつく。
 うちのさくらは臆病だから、知らない人に触られることが嫌いだ。
 それは、人間が見知らぬ人に肩を叩かれたらビクッとするのと同じこと。
 犬を知らない人は、いきなり撫でようとして、吠えられたり噛まれたりした挙げ句、
 こちらに嫌みを一言ふっかけて去っていく。そんな無礼者がまじで結構いて困る。

 本来は犬との付き合い方をきちんと学べるイベントであるべきなのに、
 社運をかけてるそうだから、赤字を出すわけにはいかんのだろうな。
 結局、犬は見せ物。いつだって、人間が都合のいいように使うだけ。胸が痛む。

 参考までに、初対面のワンちゃんとの付き合い方をひとつ。
 まずは黙ってできれば後ろ向きに立っていること。手を出してはいけません。
 犬は必ずあなたの周りをクンクン匂いながら一周します。「誰や、おまえ」と。
 そして、真正面に来たときに、下の方からそ〜っと手の甲を出して、またクンクン。
 ペロッとしてくれれば、大成功。それでだめなら、もうちょっと嗅がせてあげて下さい。
 撫でるのは、そのチェックに合格してこそ許される、高度なコミュニケーションです。
 くれぐれも、セクハラ人間になりませぬよう、ご注意あそばせ。


 3月17日 食いしん坊万歳

 我が家主催で、今度転勤していく人の送別会を開いた。
 とまぁ、これだけ聞いて、なんと心の優しい一家だこと、と考えるのは早とちり。
 大好きな寿司屋に一家揃って行くために、何でも良いから口実が欲しいのだ。

 店には7人で行ったので、もちろんカウンターではなく座敷に通される。
 そこで、妹はすかさずメモ帳とペンを取り出した。
 もちろん、寿司の注文をあらかじめまとめて、店員さんに渡すためだ。
 突き出しや、刺身もそこそこに、皆の神経は今日の寿司ネタに集中される。
 司会をかって出た私が、注文を取る。
 「はい、ウニの人」「はい、トロの人」ってな具合で、手を上げなかった人に、
 寿司を食べる権利はない。

 そのうち、面倒になってきた親父が、「どれもこれも人数分頼め」「トロは2個ずつじゃ」
 と仕切り始めて、結局最後は、みな満腹で立ち上がれないほどの寿司を食った。
 その間、妹は、まめにデジカメのシャッターを切っていた。
 家に帰ってそれを皆で見てみると、写っていたのは、寿司の注文時に腕をまるで
 天に届かんばかりに伸ばしている母親の姿ばかりだった。気合い入りすぎです。

 まったく、この親にしてこの娘有り、というのか、なんというか。
 家に帰る頃には、主賓までもが「えんがわ食えなかったのが心残りで…」と嘆き、
 何の集まりだったかも分からなくなってしまうくらい、楽しいお食事会だった。
 とって付けたような贈る言葉なんかより、こういうわけのわからん送別会の方が、
 私は好きだ。そう。楽しけりゃいいのだー。