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旅日記〜インドネシア編

1999年12月末、私は初めて海外にひとりで出掛けた。
インドネシアに留学中の友人を訪ねる、という以外に何の意味も目的もなかったが、
私にとっては掛け替えのない経験であったと思っている。
その数日間の出来事をまとめてみた。お暇な方に読んでもらえればそれでいい。


12月23日 久しぶりの神戸

明日、日本を発つ。
関空周辺で前泊することにしたが、その宿に悩む。関空近くのホテル代ってのは、どうしてあんなに高いんだ。
ありゃ、つぶれるで、そのうち。で、結局、神戸の友人を訪ねることに。
学生時代はラグビー部、就職後の初ボーナスでベンチプレス一式を購入したという輩だ。
そんな彼の運転する小さなムーブで神戸の街を食い物探して走り回る。
都会人の運転は荒くて、私のような田舎モンには堪える。
彼の運転も武闘派だ。しかもマニュアルだよ、おい。
当初目的にしたベトナム料理店が定休日だったため、恐怖のドライブは30分ほど続き、スリランカ料理店に到着。
ひょっとするとこれが最後の晩餐か?飛行機落ちたらどうしよう?
だったら和食が良かったよぉ、などと思うが、まぁ、いいや。辛くて、旨かったし。
詳細を記せないのは、半年前の話だから。
人間には「記憶の緩やかな消去」という、時に有り難く、時に厄介な機能がある。
そういえばスリランカ人の店員にならったスリランカ語の「こんにちは」も忘れてしまった。
使うことなどないと分かっていても、異国人に挨拶を教わりたくなるのは、まことに悲しい習性ではある。
で、晩飯を食い終わって、すっかり泊めてもらうつもりでいたが、
私と会うことを良しとしない相方が家で待っているという。
男を右薬指のシルバーリングで繋ぎ止めてようとしている彼女がなんだか不憫で、
三ノ宮の東急インにシングルの部屋を取った。
おとなしく布団に入ってはみたが、寝付けなかった。理由は特にない。
行事の前に眠れない体質が、子どもの頃から少しも変わっていないだけだ。


12月24日 さよならニッポン

クリスマスイブである。関空である。
私ってなんてドラマな奴なんだ、と思いつつ、ガルーダ・インドネシア航空のデンパサール便を待っておった。
3年前、福岡空港で離陸に失敗して炎上した、あのガルーダである。
当時やじ馬として現場に駆けつけた私が見たのは、真っ二つに分断され黒煙を上げている機体だった。不安だ。
これから単身インドネシアに向かう。
しかも乗り換えまでして、ジャカルタの空港で待つ友人のもとに辿り着かねばならぬ。
失恋の勢いで企画したやけっぱちな旅だけに、何か落とし穴がありそうで、ますます不安が募る。
なんなんだ、これ。私めっちゃ小心者じゃん。かっこわるぅ。
飛行機に乗り込んでから、ビールを一本飲んで寝た。
到着直前、隣に座っていた娘さんと二言三言交わす。大阪外大でインドネシア語を学んでいるのだという。
今夜のホテルも取ってないんです、という彼女を心から尊敬した。私にゃ、そんな芸当できっこない。
飛行機を降りた瞬間、到着ロビーで待ってくれているはずの友人を探すことに全神経を傾けた。
・・・はずなのに、私は彼の前を軽く通り過ぎてしまった。
5年ぶりに会う彼は、日本人というにはあまりにも日に焼けた肌をしていて、
日本人というには余りにも澄んだ瞳でこちらを見て、私の名を呼んで小さく手を振った。
インドネシアでの初めての食事は、大量の化学調味料で味付けされたと思われる屋台の「ナシゴレン」。
「うまくないよ、これ」。そう彼は言ったが、
私には、自堕落な異国の空気に包まれて味わうその極めて人工的な味が、とてつもなく旨く思えて仕方なかった。
この日が彼の誕生日だったと知ったのは、それから間もなくのことである。
赤道直下のクリスマスイブ。訪ねた男は誕生日、ときたもんだ。
これを運命と言わずに何という〜?まじで信じてしまった。
失恋の後遺症は重い。とほほ。


12月25日 ジャカルタを発つ日

夕べ泊まったのは、ジャカルタの中心から少し離れたホテル。
ツインで1泊1500円ほどだからと言って、早速宿代をおごって貰う。大体私はまだ両替をしていなかった。
今回の目的地ジョグジャカルタは、ジャカルタから飛行機で1時間ほどの所にある。
飛行機ばかりも退屈だろうから、という彼の計らいで、列車で向かう予定にしていたのだが、満席で断念。
「バスにしたけど、構わない?」。構うもなにも、おっしゃるとおりにしますわよ。小心者だもの。
と、まさかこの時点では、半日後に地獄のバス旅行が待っているとは、思ってもいなかったのだが。
昼飯は市場の近くにあるテント張りの店で「ガドガド」を食す。
ジワジワと来る辛さは結構なもので、汗と鼻水が止まらない。
今までに食べてきた料理の中で、もっとも材料と調味料の分析に困る食べ物だったが、旨かった。
だんだん、流れる汗が気にならなくなってきた。拭いても拭いても、きりがないから。

ジョグジャまで一緒に行く子がいて11時に待ち合わせていると言うので、デパートに。15分ほどの遅刻。
しかし、相手も来ていない。こっちも遅刻した手前、非を感じないわけでもなく、あちこち探しまわったが、
結局諦めて、デパート内を見渡せる喫茶店で変わった味のコーヒーを飲む。時間を潰すこと、小1時間。
「あっいた」と彼は下に走り、なんとか無事ご対面。
2時間近くも遅れてきたにもかかわらず、兄妹はニコニコ笑って「Nice to meet you〜!」と手を差し出した。
しかも、なんていい顔してやがる。くそ。こうなってくると、怒る気も失せてしまう。
「こっちの人は、あんまり時間とか、気にしないんだよねぇ。うん」と解説する彼も、また彼だ。
やっぱり東南アジアに来ると、時差以上の時差があって大変だ、と改めて思う。

ほんの数ヶ月前に1万人デモがあった独立記念公園も、今ではとても静かだった。
ホテルに戻り、長距離バスターミナルへの送迎バスを待つ。
バスは、予定より1時間以上遅れて来やがった。さすがだわ。そら経済も破綻するっちゅーねん。
それでもまだバスの出発時刻より1時間半ほど前にターミナルに着くのだから、たまったもんじゃない。
ここの人たちはきっと、時間のロス、とかいう概念が無い世界に暮らしているのだろう。
腹が立つわけでも、それを学んで欲しいというわけでも、どーにかせぇ、と言うわけでもないのだが、
とにかく説教をしてやりたい気になった。しかし、説教すると言っても、一体誰に何から説教すればいいのだろう。
色々考えていたのだが、ターミナル近くの屋台で晩飯を食っている間に、すっかり考える気が失せてしまった。
焦げ茶色になるまで強火で揚げたナマズの丸揚げがおかず。
見かけの割に、結構うまくて驚いた。そら、泥臭いし、身はカスカスなのだが。
コンロの裏では、お母ちゃんが生きたナマズを棒で叩いていて、それを手際よくさばいて揚げている。
3歳くらいのお嬢ちゃんが、カウンターにちょこんと座って、魚を上手に食べていた。

昼間、一緒にジョグジャに向かう高校生の女の子と話したことを思い出す。
外国に行ってみたいという彼女に、どこの国に行きたいか聞くと「オーストラリア、アメリカ、そして日本」と言う。
なぜ、という問いには「お金があって、強くて大きな国だから」と返ってきた。
なるほど。確かに、日本には金もあるし、モノもあるし、円を幾らか持っていれば大抵の外国には行ける。
でも、果たして日本に、自力で骨のついた魚を食べられる3歳児がいるか?
いや、別に、そんな3歳児が居ればいいってもんでもないのだが、なんとなく、うん、なんとなく変な気分なのだ。

出発時刻が迫った。バスはボロかった。張りぼてのようだった。これで12時間……。身の危険を感じた。
正直言って、この国の人が運転するバスには乗りたくないなぁ、と思ってしまう。
すまん、やはり私は3歳の頃、親に魚を食わせてもらった人間じゃ。



つづく