アンコール遺跡への旅
 アンコール遺跡は9世紀から15世紀にかけて、インドシナ半島を制圧したクメール王朝の首都の跡である。アンコール・ワットはヒンドゥー教、アンコール・トムは大乗仏教の影響が色濃い。
 カンボジアは日本の半分ほどの国土に日本の十分の一ほどの1300万人が暮らしている。住民の80%は農民であり、平均の月収は1万円ほどである。 電気や水道がない農村も多く、平均寿命も男は55歳、女は62歳ほどだという。
 1975年から1979年までのポル・ポト時代には虐殺を経験したし、内戦の際の地雷の処理が今でも続いている。決して豊かではないこの国だが、子供と若者の数は多く、その表情は明るい。

平成26126 日曜日 晴
  
  838分千石発の三田線で巣鴨に向い、山手線で日暮里へ行き、京成線に乗り換えて、成田空港に着いた。ソウルまでも、その先のシェムリアップまでもウィンドウ・サイドにした。
 
成田を1330分に出発し、ソウルまでは雲の上を飛んでいたが、着陸の際はソウルの近郊がよく見えた。1610分に仁川空港に着いて、シェムリアップ行きの出発は1910分だったが、30分ほど遅れて、1940分になった。
 
3時間ほどの空き時間は空港内の売店を見て過ごした。ピアノ、バイオリン、チェロの女性5人の演奏もやっていた。かまぼこうどんを食べてみた。ソウルを出発するときの夜景がまた綺麗だった。
 シェムリアップまでは
5時間40分で、時差はマイナス2時間なので、2320分頃に到着した。空港での手続きを済ませて、ホテルはすぐ近くだった。綺麗なホテルで、アンコール・ミラクル・リゾート&スパという名前だった。ロビーにはヒンズー教の神の像がたくさん置かれていた。早速に風呂に入って疲れをとった。


 ソウル近郊上空

仁川空港のショッピング通り

お堀から見たアンコール・ワット

蓮池を通して見たアンコール・ワット

猿の軍団と悪魔の戦

沐浴場

第二回廊

第三回廊への階段

第三回廊からの眺め

中央祠堂

農村風景

バンテアイ・スレイの彫刻

中央神殿の祠
 

平成26127 月曜日 晴

 昨夜が遅かったので、朝はゆっくりしていた。
 午前
7時からの朝食はバイキング形式で卵焼きや、ビーフンのようなヌードルをその場で調理してくれた。
 ホテルを
930分に出発して、アンコール・ワットに向かった。オートバイが台車を引く乗り物がたくさん停まっていたり、観光客を乗せて走っていたりした。それをバスが追い越していく。サンポウさんという日本語のガイドさんが案内してくれた。説明ではアンコール・ワットの時代はヒンズー教で、その後上座部仏教になったという。ヒンズー教は神道と同じように多神教で、閻魔大王や七福神はヒンズー教の神だという。アンコール・ワットはスールヴァルマン二世によって造られ、アンコールは街、ワットは寺院を表わす。アンコール・ワットの周りは森が一面に広がっていた。バスは施設の前で一旦止まって、写真入りのパスを作った。そこからバスで暫く行くとアンコール・ワットに着いた。歩いているとナツメの実がたくさん落ちていた。
 アンコール・ワットはお堀に囲まれていて、その周りを塀で囲われていた。先ほど作ったパスを見せて、西からお堀を渡る参道を歩いて、中に入った。参道の両側にはヘビの欄干が付いていたという。今も所々に残っていた。アンコール・ワット遺跡は東京ドーム
15個分もある。参道を歩いているうちに塔が次第に近づいてきた。塔は中央にひときわ大きなものがあり、その周りに4本あるので、5本だが、見え方は場所により3本に見えたり、4本に見えたりする。アンコール・ワットは石積みで、そこに精細な彫刻が施されていた。外側の第一回廊、その内側の第二回廊には、ラーマ王子率いる猿の軍団と悪魔の戦、神対アシュラの図、クリシュナの図、ヴィシュヌ神とアシュラの戦争の図、ヒンドゥー教における天地創造の物語、スールヴァルマン二世の軍隊が行進する図などが描かれている。急勾配の階段を上ると塔の上の第三回廊に出て、周りの森が見渡せた。雨季にはジャングルになるのだろう。下りてから周りの塀に沿って戻った。周囲の塀もヘビの形をしていた。
 カンボジア料理の昼食の後、ホテルで休憩があった。
1時間近くの休憩で、ホテルの綺麗なプールに行って、少し泳ぐと気持ちもすっきりした。ソファで休んで電子書籍を読んでいる年配の女性はイギリス人の御夫妻で、ベトナムとカンボジアをそれぞれ1週間ずつ旅行してきたと言っていた。
 午後
3時からは19kmほど離れたバンテアイ・スレイに行った。10世紀後半に建立された小さな寺院で、砂岩で造られている。彫刻は精細で、中央神殿の祠には東洋のモナリザと呼ばれるデバダ像があった。少し離れているので双眼鏡で見た。手前に額縁のような枠があるので、微笑みがモナリザのようである。
 その後、民芸品店に寄ってから、プレループに行った。
33段の急な石段を上って、遺跡の上から夕陽が森に沈むのを見学した。たくさんの観光客がすでに場所取りをして、見学していた。夕日は雲間から見えていたが、周囲に明かりがなく、階段を降りるのも大変なので、完全に沈む前に下りた。ワゴン車に乗って、移動を始めると左前方の森に沈む真ん円の太陽を見ることができた。
 シェムリアップの町に戻って、ナイトマーケットを見学した。まだ地方には電気がなくて、ランプやろうそくで生活している人が多いという中で、町には昨年のクリスマスから電飾がある。川に架かる橋や道路の上を渡してライトアップされていて綺麗だった。ナイトマーケットはとても賑わっていて、所狭しと店に品物が飾られていた。
 遺跡に行くときにカンボジアの農村を見ていると昭和
20年代の日本と重なり合い、懐かしさが湧いてくる。生活は太陽が昇っている間に済ませる。水田に林や森、高床式の家屋はヘビやサソリが上がってくるのを防ぐという。ニワトリに小川に小さな沼、大きな自転車に乗る小さな子供たち、高度経済成長前の日本のどこにでもあった風景に出会える。そのころの日本にもまだ江戸時代の名残の茅葺屋根の家、木目がはっきり浮き出た柱や板、よく鉛筆で紙の上から木目を写したりした。小川にはフナやクチボソがいて、よく釣れたし、台風一過にはヨツデを仕掛けるとたくさん小魚が入った。そんな風景がここには残っている。


東洋のモナリザ


ナイトマーケットの電飾


アンコール・ワットの朝日 

平成26128 火曜日 晴

 早朝540分にホテルを出発して、アンコール・ワットで朝日鑑賞をした。春分と秋分には5本ある塔の中央から朝日が昇るという。この日はまだ大分右側からの日の出なので、左に移動して、なるべく塔の近くからの日の出を写真に収めようとした。暫く待つと雲の切れ目から次第に太陽が姿を現して、見る見るうちに円くなった。アンコール・ワットの塔が影絵のように浮かび上がった。
 ホテルに戻って、朝食を摂って、
815分に出発して40kmほど離れたベンメリア遺跡に向かった。密林の中で発見されたときの近い状態で見学できるように、木道が整備されていた。アンコール・ワットと似た伽藍配置だというが、石積みが崩れて、樹木が生い茂っていた。子供たちが高い木の枝から吊り下がった蔓をブランコにして遊んでいた。ここでもヘビの彫刻があった。
 昼食はトロピカル・レストランで鍋料理が出て、最後におじやまで出たので、日本の味にほっとした。
 一旦ホテルに戻って休憩があったので、プールに行って、短い距離を
2往復した。青い底が透き通って見えるので気持ちがよかった。
 午後
215分からはアンコール・トムの見学に出かけた。大きな町という意味だそうで、巨大な遺跡で、仏の尊顔がたくさん彫刻されていて、素晴らしい遺跡だった。時代は違うがルクソールの遺跡に匹敵すると納得した。
 その後タ・プロームに行った。ガジュマルの高木が遺跡に根を絡ませているところが何か所もあり、大蛇のように見えるものまであった。ガジュマルが枯れると遺跡も一緒に崩壊しそうだ。
 その後ホテルに戻って、チェックアウトを
6時までに終えて、アプサラダンスのディナーショーに行った。カンボジアの民族舞踊を若い男女が楽しそうに踊っていた。キラキラした衣装と女性の手のしなやかな動きが印象的だった。
 充実した
2日間が終わって、シェムリアップを2350分発のアシアナ航空でソウルに向かった。


女神メカラのダンス

漁師の踊り

平成26129 水曜日 晴

 ソウルには少し遅れて、650分に着いて、手荷物のセキュリティーチェックがあって、仁川空港の広大なショップを見て、『宇宙の扉をノックする』を少し読んで、9時に成田に向けて出発した。成田には1110分に着いた。幸いこの日は春のような温かさで、南国から帰って来た割には違和感はなかった。


 シェムリアップのマーケット

ベンメリア

ベンメリアの内部

ブランコ遊び

ベンメリアの女神像

アンコール・トムの南大門

バイヨン

バイヨン第2回廊

仏の尊顔

象のテラス

タ・プローム

大蛇に見える根

巨大なガジュマル