玄宗と楊貴妃
楊貴妃は17歳で玄宗の第十八王子寿王の 妃となりましたが、玄宗が温泉宮に行幸し た機会に寵愛を受けるようになり、27歳の 時、正式に王妃となりました。 一族もまた高官となり、楊貴妃の又従兄 弟の楊国忠が政治の実権を握りました。 安史の乱により反乱軍が都に迫ると玄宗 とともに逃れますが、途中馬嵬駅で警護の 兵士たちが反乱をおこし、玄宗に迫って貴 妃たちを縊殺させました。 乱が鎮まったのち都へ戻った玄宗は貴妃 の画像に朝夕涙を流すのみであったと伝え られています。 貴妃と玄宗の愛と悲劇は白楽天の「長恨 歌」をはじめ後世まで多くの詩、戯曲、小説 を生みました。 |
![]() 馬にのる楊貴妃・元の銭筆選といわれる (ワシントン・フリーア美術館 |