マルコ=ポーロと東方見聞録
東方見聞録の正式の名前は「世界の叙述」です。 イタリアの商人の子として生まれたマルコ= ポーロは1271年父、叔父とともに陸路アジアに 向かい中央アジアを経て、元の上都(内モンゴ ル自治区)でフビライにあいそのまま元朝に仕 えて厚遇を受けました。 この間中国各地を旅行して見聞を広めて帰国 し、その後ジェノバとの戦いで捕虜となりその 獄中で語った内容をルスティケリが記したも のが「東方見聞録」です。 この中で日本を黄金の国としてチパング(Chi pangu)の名ではじめてヨーロッパに紹介しま したが、この中で日本を「宮殿内に数ある各家 屋の床も、全部が指二本幅の厚さを持つ純金で 敷き詰められている。このほか広間といわず窓 といわず、一切がすべて純金づくりである」と しています。 この旅行記はコロンブスのアメリカ大陸発見 のきっかけにもなりました。 |
![]() マルコ=ポーロ肖像 (「東方見聞録」初版本の挿絵より) |