ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典 P 7
ー入門篇、神道・民俗信仰の部ー
参考文献:日本の宗教(村上重良)
神道の成立(高取正男)
日本の神々と社(読売新聞社)
神道事典(弘文堂) ほか
・・・現代(太平洋戦争終結〜現在)の神道・・・
国家神道の解体 |
1945(昭和20)年日本は太平洋戦争の敗戦によって民主主義の国へと生まれかわりました。 同年8月日本はポツダム宣言を受諾して降伏しましたが、その第10項は日本における信教の自由の確立を要求します。 [神道指令] 12月には連合国最高司令部より発せられた神道指令により、国家神道は解体され信教の自由を確立するために、あらゆる宗教は国家から分離されました。 戦争中に宗教を統制するためにつくられた宗教団体法は廃止され、宗教法人法が公布施行され、宗教団体は届け出によって自由に宗教法人となることができるようになりました。 [天皇の人間宣言] [神社本庁の設立] |
天皇の全国巡幸 |
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信教の自由と政教分離 |
1947(昭和25)年5月3日新憲法が施行され信教の自由と政教分離が規定されました。 新憲法の二十条は信教の自由を保障、国の宗教活動を禁じ、八十九条は宗教団体への国の財産の支出を禁じています。 政教分離の原則にしたがって皇室の祭祀は天皇家の私事となりました。 1952(昭和27)年4月対日講和条約の発効により占領が終了、日本は主権を回復、神道指令も効力を失うと政教分離をめぐる議論も活発になり、裁判で争われるようになります。
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![]() 講和条約に調印する吉田茂全権と見守る全権団(占領下の日本・河出書房新社)
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信教の自由の確立によって、日本の諸宗教は本来の信仰に立って自主的な活動を展開し、自由に発展できるようになりました。 弾圧で活動を禁止された大本教、ほんみちは再建され、ひとのみちは神道色をとり除いて、パーフェクト・リバティー(PL)として再生しました。 1950年代には、神社神道が復興に向かうとともに、国民の生活に密着した新宗教がめざましく進出しました。 神道系の出雲大社教や神理教のほかに仏教系(法華系)の霊友会をはじめ立正佼正会、創価学会や諸教(神、仏、キリストのいずれでもないもの)の成長の家、パーフェクト・リバティーが全国的に教勢を拡大しました。 こうした新宗教は勤労者、中小零細企業者、主婦、学生などさまざまな階層の国民を幅広く組織して、活発な布教を展開し、今日の宗教運動の主流を占めるようになりました。 |
![]() 創価学会世界青年平和文化祭 (新宗教事典より) |
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各宗派の現状 (平成13年12月末・宗教年鑑) |
神道諸宗派 神道諸宗派の中では神社神道系が信者、団体とも圧倒的多数を占めています。その 中でも神社本庁が殆んどといっていいでしょう。 教派神道系、新教派系は教団や団体は多数ですが、諸教(下表)にくらべても信者の 数は少ないことがわかります。 神・仏・諸教をあわせた新教派(新興宗教)全体では仏教系(法華系)が信者、団体と も圧倒的です。
(参考1)諸 教
(参考2)仏教系新宗派
このほか宗教年鑑には記載されていない創価学会(法華系)は公称信者数1736万人の最大の在家集団といわれます。 |