アユタヤの山田長政
山田長政は駿河国(静岡県)沼津の城主 大久保氏に仕えて駕籠かきをしていまし たが1611(慶長16)年頃朱印船にのって シャム(現在のタイ国)に渡り日本町の頭 となりました。 長政はソンタム国王に重用されオヤ・セ メピオクという大臣級の位にもつき、日 本人を率いて王位継承の反乱を鎮め王子 を即位させました。 長政の名声は一層上がりましたが王位 を狙っていた王族で摂政のオヤ・カラホ ムに妬まれて、遠いリゴール(マレー半島 中部海岸)に太守としてうつされ、カラホ ムの家来に毒をもられて最後をとげまし た。 | ![]() 山田長政像 |