黒 観 音(釜利谷・自性院)
釜利谷の自性院には本尊とは別に、焼けただれた高さ一尺ばかりの十一 面観音像が黒厨子に納められていて、その厨子には天保8年(1837)十代大 久主水忠記の裏書があります。 それによると宝暦年間(1751〜63)に盗人がこの観音像を盗み出し、延金 のべがね)にして酒を買うために、近くの鍛冶屋で火床の中にうち込んで しまいました。火はたちまち激しく燃えさかりましたが、観音像はなかな か溶けずに黒焦げになるばかりです。盗人は御仏の霊力を感じ、仏罰を恐 れて、観音さまを近くの畑に投げ捨ててしまいました。 のちに村人たちがその観音さまの近くを通ると、つまづいて転ぶという 不思議なことが続くので、村人たちはこの観音像を供養してもらうために 寺に持ち込みました。 寺の大檀那の大久保忠記が、すぐ厨子を作らせて観音像を納め、末永く大 切に祀るように顛末を書き残したといわれます。 |
ー自性院と宇賀山王社ー 自性院は福松山慈眼寺と号し真言宗御室派に属し、もと洲崎町龍華寺の 末寺です。現在の本尊は聖観音菩薩で脇仏に阿弥陀如来像があります。 寺伝では伊丹三河守が亀泉童子、竜珠童子という二人の子どもの菩提を 弔って永正年間(1504〜20)に建立したといい、また寛永11年(1634)、当時 幕府御用の菓子商の夫人、蓮台院月宝尼が夢の中の神仏のお告げにより、 釜利谷の堀之内の福松山にあった宇賀山王社を修理し、神田二反歩(約20 アール)を寄付し、自性院を別当(神仏習合のあらわれとして神社に付属し て設けられた寺院)としてこれを祀らせたといいます。 宇賀山王社は山上にあって「新編武蔵風土記稿」には薬師如来を本地仏 (仏・菩薩が人びとを救うため、仮の姿として現れた垂迹神に対し、その 根本の仏・菩薩の真実の身)として九尺(約2,7メートル)に二間(約3,6メ ートル)の社殿で、その前に鳥居が立っていたとありますが、(巻之七十六・ 久良岐郡之四・金澤領)今は自性院境内に祀られています。 |