白 虎 隊
会津藩では軍隊を年齢別に玄武隊 (50歳以上)・青龍隊(49〜36歳)・朱雀 隊(35〜18歳)・白虎隊(17〜16歳)に 分けていました。 1868(慶応4)年会津藩が官軍に攻撃 され危機に瀕した会津戦争の時、白 虎隊も出動し各地を転戦しました。 このうちの白虎隊二番隊は戸の口 原や大野ヶ原の戦いで官軍に敗れ 僅か20名に減り、ようやく飯盛山ま で退いた少年たちは一面火の海と なった若松の城下町と黒煙に包ま れた鶴ヶ城を見て刺し違えて果て ました。 そのうちの命をとりとめた唯一 人の少年から話を聞いた会津の人 たちはその後長く少年たちの死を 悲しみ語り伝えています。 |
![]() 白虎隊自刃の図(会津若松町白虎隊記念館蔵)
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