あ行
・尼 寺(あまでら)・・・・・・出家して仏門にはいった女性が住職となっている寺のことで京都の景愛寺、通玄
寺、
壇林寺、護念寺、恵林寺、また鎌倉の太平寺、東慶寺、国恩寺、護法寺、弾
明寺を尼寺五山と言いました。東慶寺は五世住職が後醍醐天皇の皇女用堂尼、
二十世住職が豊臣秀頼の娘天秀尼など明治時代までは男子禁制が続きました。
・阿弥陀如来・・・・・・・・西方浄土で今もなお法(真実の教え)を説き、永遠に救いを与えてくれるとされる仏。
念仏を唱えることにより救われると教えています。如来とは悟りをひらいたもので仏、仏陀
とも言います。(→像図・写真)
・大山祇命(おおやまつみのみこと)・・・・・・イザナギ、イザナミ二神の子。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
はこの神の娘。山をつかさどる神ですが、水源ひいては田の稔りも支配するので水の神、
田の神としても信仰されました。
か行
・開基と開山・・・・・・・・開基は寺院を創建した人、あるいは寺院を創建するための財政的な基礎を提供した
もの。開山は寺院を建立した僧や宗派の開祖を指します。(例;金閣寺の開基は足利
義満、開山は夢窓疎石)
・枯山水式庭園(かれさんすいしきていえん)・・・・・平安時代に芽生え、室町時代に入ってきた宋や明の山
水画の影響を受けて作られた庭園。水を使わないで石と白砂と少しばかりの苔や潅木
を加えてつくられます。竜安寺方丈の石庭や大仙院の庭園が有名ですが、禅の心をあ
らわしているといわれます。(→写真)
・勧請(かんじょう)・・・・・神仏(の分霊)を請じ迎え(て祭)ること。
(例;鎌倉の鶴岡八幡宮は源頼義により京都の石清水八幡宮より勧請されました。)
・観音菩薩(かんのんぼさつ・・・・・観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)とも言い、真実の教えを観ること、迷える
人々の救いを求める音声をきくとすぐに救うことができる菩薩(悟りを求めるために修
業している人で自分けでなくあらゆる人々が悟りの境地に至ることが出来るように導き
助けます)。
(→像図・写真)
・熊野権現(くまのごんげん)・・・・・熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の主祭神(主とし
て祀られている神)のことでスサノオノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコトがそれぞれ祀られてい
ます。権現とは仏が形を代えて日本の神として現れた姿を言います。(→写真)
・卿社(ごうしゃ)・・・・・神社の格の一つで府県社の下、村社の上に位いし、府県または市から幣帛(献上の
品)をおさめました。明治政府は大・中・小の官幣社、別格官幣社、大・中・小・の国弊
社、府・県・郷・村社及び無格社に分けましたが昭和20年廃止。
・庚申塔(こうしんとう)・・・・・ 道教を起源とする庚申信仰は、平安時代に始まり、江戸時代に入って特に盛ん
になりました。青面金剛(病気などのあらゆる悪を防いでくれる神)や猿田彦大神を祭っ
ています。
「人間の体内には三尸(し)という虫がいる。それが六十日とか六十年ごとに廻ってくる
庚申の夜、人の寝ている間に体を抜け出して天の神にその人の悪口をいう。」
こう信じられていました。それで、見たり、聞いたり、喋ったりしなければ、悪口も言われ
ないだろう、ということになり、人々は「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を石に彫って
拝むようになり、道端などに建てられてきたようです。(→図・写真)
・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)・・・・・・日本神話にある女神で大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で瓊瓊
杵尊(ににぎのみこと)の妃。身の潔白を証明する為に火中で出産したと言われ、安産の
神として、また神聖な火山とされた富士山の守護神として信仰され、富士山本宮の浅間
神社に祀られました。
さ行
・猿田彦(さるたひこ)・・・・・・日本神話で 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨の際先頭に立って道案内
し,のち
伊勢国五十鈴川上に鎮座したという神。のち庚申信仰や道祖神と結びつき、土地などの
財産を守ってくれる神や農業の神として信仰されるようになりました。
・七福神(しちふくじん)・・・・・・人々に幸福をさずけるとされるインド、中国、日本の七神を合わせ信仰の対象
としたもので恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・福禄寿
(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・弁財天(べんざいてん)・布袋(ほてい)をさします。
室町時代に七体の福神を取り揃えたのが始まりとされ江戸時代になって宝船の画題とと
もに七福神詣でが盛んになりました。(→図)
(三浦七福神は金光恵比須{円福寺}・寿福大黒天{延寿寺}・白浜毘沙門天{滋雲寺}・鶴園福禄寿
{妙音寺}・長安寿老人{白髭神社}・筌籠弁財天{海南神社}・桃林布袋尊{見桃寺}です)
・持仏堂(じぶつどう)・・・・・・ 持仏(いつも身近に置いて信仰する仏)または祖先の位牌を安置する堂、室。
「義経記」には藤原泰衡に攻められた源義経が衣川の館で持仏堂に入り読経ののち自
刃したことが記されています。
・修験者(しゅげんじゃ)・・・・・・修験道を修行する人で山伏とも言います。修験道とは高山などで修行し、呪力
(まじないの力)を体得しようとする宗教です。密教と日本古来の山岳信仰・神道などが
結びついて生まれ、役小角(えんのおづぬ)を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言
宗の当山派(真言山伏)などがあります。(→図)
・浄土式庭園(じょうどしきていえん)・・・・・・平安中期以後、鎌倉中期までの間に仏教の浄土思想の影響を
受け、寺院の主要建築である金堂や阿弥陀堂などの前面に大きい池を開き、ハスを植
えるなどして極楽浄土の世界を再現しようとした庭園です。平等院鳳凰堂前や浄瑠璃寺
阿弥陀堂前の庭園が代表的なものです。(→写真)
・浄土宗(じょうどしゅう)・・・・・・総本山は智恩院。承安5年(1175)法然によって開かれました。
阿弥陀仏の本願(すべてのものを等しく救おうとする仏の慈悲)を信じて”南無阿弥陀仏”
と唱えることにより救われることを教えています。南無とは「おすがりします」の意味です。
・真言宗(しんごんしゅう)・・・・・・大同元年(806)唐から帰国した空海(弘法大師)が開きました。総本山は金
剛峰寺(高野山)で、身に印契を結び(両手の指を様々にくみあわせること)、口に真言
(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずることにより即身成仏(煩悩にまみ
れた生身のままでも救われる)できるとしています。
・真言律宗(しんごんりっしゅう)・・・・・・総本山は奈良市西大寺。叡尊を派祖としています。鑑真の伝えた律
宗の流れを汲み真言宗の教えに基づいて仏教のきまりを守ることにより悟りを求め、人 々を救うことを説いています。
明治政府の諸宗整備では真言宗の所管とされましたが明治28年(1895)分離独立し
ました。
た行
・大日如来(だいにちにょらい)・・・・・・大毘盧那舎とも言われ、真言密教(密教の項参照)の教主です。宇宙
の根本となる仏ですべての仏や菩薩の頂点のたつとされます。宇宙の森羅万象はすべて
大日如来の徳のあらわれであり、一切の諸仏、諸菩薩、諸天の徳もこの如来の徳にほか
ならないと説いています。これを図示したのが胎蔵界、金剛界の両界曼荼羅です。
(→像図・写真)
・塔頭(たっちゅう)・・・・・・・禅宗における開基、高僧、祖師(開山)などの墳墓およびそれを守り、祀るために
中心伽藍(寺院の中心的な建物)周辺に設けられた小寺院のこと。単に大寺の山
内に立つ末寺をさす場合もあります。(例;京都の竜光院は大徳寺の塔頭)
・天台宗(てんだいしゅう)・・・・・隋の が開き、最澄が唐に渡り日本に伝えました。総本山は比叡
山延暦寺。法華経を根本としすべての人が仏生(悟りをひらき仏となりうる可能
性)を持ち自ら悟り他人をも悟りに導く道を説いています。
・道祖神(どうそじん)・・・・・・道行く人を災難からまもったり、悪霊の進入をふせいでくれる神。村境などや峠
道におかれ、近世にはその形から良縁、出産、夫婦円満の神ともなりました。
(→写真)
な行
・夏越えの祓い(なごえのはらえ)・・・・・・・陰暦6月30日に各神社で行われる神事で邪心を鎮めるために行われる
といわれます。茅で輪形をつくり、参詣人にこれをくぐらせて祓い清めます。
また、人形(ひとがた)を作って体を撫で、これを海や川に流して祓いをしました。
・日蓮宗(にちれんしゅう)・・・・・・天台宗の復興をめざして建長5年(1253)日蓮が開きました。身延山久遠寺
を総本山とします。「法華経」により”南無妙法蓮華経”と唱題(となえる)すること
により救われる(成仏できる)ことを教えています。日蓮の書いた「立正安国論」は
「法華経」による正法に帰依しないと我が国には内憂外患がおこると述べています
は行
・廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)・・・・・・明治新政府は王政復古によって神道による国家の統一を目指し、そ
れまでの神仏習合から仏教の分離を図りましたがこの時行われた仏教の排斥運
動や像、仏具類の破壊活動のこと。鶴岡八幡宮でも仏教信仰に基づいた仁王
門、護摩堂、薬師堂などの堂宇(神仏を祭る建築物)が破壊されました。
・馬頭観音(ばとうかんのん)・・・・・・観音菩薩(か行参照)の一つで馬の供養と結びついてつくられました。
馬の無病息災や死馬の供養で村人たちがつくった石塔が峠や、山道の交通の難
所、死馬捨て場、村はずれなどに見られます。(→像図・写真)
・毘沙門天(びしゃもんてん)・・・・・・天部(仏教がその成立以前からあった神々を守り神としてとりいれたも
の)の一つで須弥山(仏教世界の中心に聳え立つという高山)の中腹北方に住み
北方世界を守ります。多聞天とも言い四天王の一つ。四天王とは東を守る持国
天(じこくてん))南をまもる増長天(ぞうちょうてん)と西を守る広目天(こうもくてん)
北を守る多聞天です。(→像図・写真)
・蛭子尊(ひるこのみこと)・・・・・・・日本神話でイザナギ、イザナミ二神の間に最初に生まれた子。中世以後恵
比須として信仰され海や漁業の福の神、また商売繁盛の神として祭られるように
なりました。もと兵庫県西宮神社の祭神。
・不断念仏(ふだんねんぶつ)・・・・・・常念仏ともいい、一定の日時を定めて昼夜休みなく「南無阿弥陀仏」を
唱えること。平安前期に円仁(えんにん・・・・・最澄の弟子で天台宗山門派を開きま
した)が唐から伝えたといわれます。
・不動明王(ふどうみょうおう)・・・・・・明王(さとりの境地へなかなか行きつけない人々を説得します)の一つで
迷う心を、あるいはあらゆる罪や災いを炎によって焼きつくし、善行を勧めさとり
の境地に導きます。大日如来の化身(使者)で怒りの表情をもっています。
お不動さんとして親しまれ、不動尊とも言います。(→像図・写真)
・弁財天(べんざいてん)・・・・・・・天部(毘沙門天の項参照)の一つで水の女神であったことから、音楽の神、
学問の神とされています。わが国では安芸の宮島、大和の天の川、近江の竹生
島、相模の江ノ島、陸前の金華山を五弁天といっています。(→像図・写真)
・宝篋印塔(ほうきょういんとう)・・・・・・元来はお経(宝篋印陀羅尼経)を納めた石塔。我が国には平安時代
に中国から伝わり鎌倉時代以降盛んにつくられ近世になって墓石として用いられ
るようになりました。(→図・写真)
ま行
・曼荼羅(まんだら)・・・・・・仏教絵画の一分野をあらわす言葉。仏(悟りを開いた者)・菩薩(悟りを求める者)
が集まった姿や図。慈悲の世界を表わす胎蔵界曼荼羅と智恵の世界を表わす金剛
界曼荼羅をあわせて両界曼荼羅と言います。主として密教の世界のものですが浄土
宗や日蓮宗にもあります。(→写真)
・密
教(みっきょう)・・・・・・「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結
びついて発展しました。手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・
陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずることによって、仏の不思議な力により
煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できるとされています。
・夢窓疎石(むそうそせき)・・・・・・鎌倉後期から南北朝時代の臨済宗の僧。伊勢の人、初め天台宗を学びま
したがのち禅門に入り後醍醐天皇・足利尊氏らの帰依を受け天皇から国師号を贈ら
れました。また庭づくりにもすぐれた手腕を発揮し京都の西芳寺・天龍寺の庭を作っ
たことでも有名です。(→写真)
や行
・薬師如来(やくしにょらい)・・・・・・詳しくは薬師瑠璃光如来といいます。お釈迦様は如来になる前のまだ菩薩
として修行中に十二の大願を目標にかかげました。その中の一つが「やがて如来と
なってからは人々の病気をなおし、苦しみをのぞき、寿命をのばしさとりの境地へ導
く」というものです。今も東方瑠璃光世界で説法しているとされています。
(→像図・写真)
ら行
・臨済宗(りんざいしゅう)・・・・・・・日本における禅宗の一つで栄西が宋から伝えたのがはじまりです。現在14
派に分かれており、各派はそれぞれ開祖を頂き本山の名前を派名としています。
(例 建仁寺派=開祖明庵栄西、建長寺派=開祖蘭渓道隆)
日本の禅宗はこのほか曹洞宗、黄檗宗がありますが精神を統一し心をしずめる修
(座禅)により無念無想の体験を通して直接に人生の真相に触れようとする教えです
・六地蔵(ろくじぞう)・・・・・・・・村外れの道端や墓地の入り口に見かける六体のお地蔵さまで、迷いの世界で
ある六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)に姿を現わしそこにさまよう人々を
救うものとされ、今は亡き愛児の未来を救ってくれる菩薩として宗派を超えて信
仰されるようになりました。(→写真)
わ行
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