虎丘山--呉王闔閭・夫差(紀元前512〜473年)
春秋戦国の世、呉王闔閭は、越王勾践が王位を継承した時を好機とみて戦いを挑み、
太湖と杭州湾の中間である嘉興県あたりで対峙した。越の名臣である范蠡による奇襲
作戦によって呉王は負傷し、逝去した。跡を継いで呉王となった息子である夫差は、
この地に父の闔閭を埋葬したと言う。すると葬儀3日後に白虎が現れ塚にうずくまった
との伝説があり、虎丘と言われるよになったとか。北宋時代の天才的詩人である蘇東坡(1036〜1101年)
が「到蘇州不遊虎丘者、乃憾事也」と賦した江南名勝である。春には花祭りが催される。
雲岩寺の高さ47m塔は、斜塔である。唐代の「顔真卿」の筆とされる『虎丘剣池』と彫られた自然石がある。
花祭り(写真クリックで拡大)(協力:呉雪晴さん)
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