■ 京都でしか買えないお店を紹介■ ページ内 【京都商工業創業年代番付】【匠の技】
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■ お勧めサイト 【江戸時代から伝統を継承する老舗】【美と技の都・京都】【職人.com】七宝 【稲葉七宝】
東山区三条白川西入る п@761−1161 9:00〜17:30 日曜祝日・第二・三・四土曜日 象嵌 【川人象嵌】
北区等持院南町三十五 п@461−2773 9:00〜17:00 日曜祝日・第三土曜日 漆器 【柳庵初瀬川】
下京区高辻柳馬場東入る п@351−0983 10:00〜17:00 日曜祝日 漆器 【井助商店】
柳馬場五条上がる п@361−5281 9:00〜17:30 日曜祝日第一・三土曜日 扇子 【宮脇賣扇庵】
中京区六角富小路西入る п@221−0181 9:00〜17:00 無休 扇子 【山二】
下京区烏丸五条下る п@351−2622 9:00〜17:00 日曜祝日・第二・三土曜日 団扇 【阿以波】
中京区柳馬場六角下る п@221−1460 9:00〜17:00 (土)は〜12:00 日曜祝日 京人形 【面屋庄三】
中京区押小路富小路東入る п@231−8928 11:00〜16:00 不定休 京人形 【松屋】
中京区河原町四条上がる п@221−5902 10:00〜18:00 水曜日 能面師 【岩井如雪】
下京区諏訪町通五条下がる п@351−3903 不定 電話予約 不定休 京版画 【芸艸堂】
中京区寺町二条下がる п@231−3613 9:00〜17:30 土日祝日 筆・京絵具 【彩雲堂】
中京区姉小路麩屋町通東入る п@221−2464 9:00〜18:00 第一・三・五水曜日 京指物・京あかり 【興石】
北区紫野西御所田町十五 п@451−8012 9:00〜17:00 日曜日 京たんす 【奥田たんす店】
中京区夷川通堺町東入る п@211−0281 9:00〜18:00 月曜日 結納・儀式用品 【平井商店】
山科区御陵封ジ山町2−21 п@581−1630 9:00〜19:00 不定休 印鑑 【翠草堂】
下京区河原町五条上がる п@361−0557 9:00〜19:00 日曜祝日 京かるた 【大石天狗堂】
伏見区両替町二町目 п@603−8686 9:00〜18:00 日曜祝日・第二・四土曜日 京焼・清水焼 【萬珠堂】
東山区五条大橋東 п@541−0101 10:00〜19:00 無休 京焼・清水焼 【朝日堂】
東山区清水1−280 п@531−2181 8:30〜18:00 無休 茶道具 【奇竹堂黒田宗傳】
中京区押小路富小路角 п@231−2765 10:00〜18:00 無休 帛紗・仕覆 【老舗北村徳齋帛紗店】
上京区寺之内堀川西入る п@414−0293 9:00〜17:00 土日祝日 にほい袋 【石黒香舗】
中京区三条柳馬場西入る п@221−1781 10:00〜21:00 水曜日 お香 【リスン】
北区北山通上る西側 п@721−6006 11:00〜20:00 水曜定休 錫器 【清課堂】
中京区寺町二条下がる п@231−3661 10:00〜18:00 日曜祝日 箸 【市原平兵衛商店】
堺町四条下がる п@341−3831 10:00〜18:30 日曜祝日 包丁・調理道具 【有次】
錦小路御幸町西入る п@221−1091 9:00〜17:30 日曜祝日 鎚起銅器 【西山銅器】
東山区上梅屋町171 п@561−1225 8:00〜17:00 日曜定休 手編み金網 【鳥井金網工芸】
下京区寺町松原下る п@351−0306 9:00〜18:00 日曜祝日 木工芸 【たる源】
東山区大和大路三条下がる п@541−4512 9:00〜19:00 無休 木工芸 【中川木工芸】
左京区浄土寺真如町 п@771−1695 9:00〜17:00 日曜祝日 竹工芸 【石田竹美斎】
東山区松原通大和大路 п@561−7055 8:00〜18:00 日曜祝日 籐製品 【ラタンハウスえんどう】
下京区寺町松原 п@351−3222 10:00〜20:00 水曜定休 棕櫚製品 【内藤商店】
中京区三条大橋西詰 п@221−3018 9:00〜19:00 無休 京からかみ 【唐長】
左京区修学院水川原町 п@721−4422 13:00〜17:00 日曜祝日 御簾 【みす平本家】
下京区寺町仏光寺 п@351−2749 9:00〜17:00 日曜祝日 京すだれ・竹工芸品 【西河】
東山区祇園石段下 п@561−1269 9:30〜17:30 水曜定休 ふとん 【杉村屋】
下京区四条麩屋町 п@221−0150 10:00〜19:00 水曜定休 京竿 【竿伊】
上京区大宮寺之内上る п@431−1718 9:00〜17:00 無休 京釣竿 【平田文男】
上京区六軒町通上立売下る п@不明 不明 不明 弓師 【柴田勘十郎】
下京区御幸町万寿寺 п@351−1491 10:00〜17:00 不定休 煙管 【谷川清次郎商店】
下京区御幸町高辻上る п@351−5762 10:00〜18:00 日曜定休 化粧小物 【よーじや】 新京極・先斗町・三条・嵐山などにもお店あり (各店の営業時間、定休日は確認願います)
下京区四条花見小路 п@541−0177 11:00〜20:00 第一・ニ・三 木曜日 文房四宝・香 【鳩居堂】
中京区寺町姉小路角 п@231−0510 10:00〜18:00 日曜定休 色紙・短冊 【洛紙舎】
七条大和大路 п@561−5852 10:00〜18:00 日曜祝日 和蝋燭 【丹治蓮生堂】
七条烏丸西入る п@361−0937 8:30〜19:30 日曜祝日 洋ロウソク 【ブジブルー】
上京区河原町通り丸太町下る п@211−7058 10:00〜17:00 日曜祝日 京履物 【京MONO匠ない藤】
東山区祇園大和大路四条下る п@561−1015 10:00〜20:00 不定休 京履物 【みの忠】
東山区縄手通新門前下がる п@561−5189 10:00〜22:00 水曜定休 京履物 【丸竹】
中京区河原町四条上がる п@221−2831 11:00〜20:00 水曜定休 京履物 【伊と忠】
下京区四条河原町東入 п@221−0308 10:00〜21:00 第二・三・四水曜日 京履物 【ゝや】
東山区花見小路四条上がる п@561−5584 11:00〜22:00 日曜祝日 足袋 【分銅屋】
中京区三条堺町角 п@221−2389 9:30〜19:00 日曜祝日
呉服 【に志田】
中京区室町御池下る п@231−3684 10:00〜17:00 日曜祝日・第二土曜日 組物 【羅組奄 RAKUEN】
左京区南禅寺草川町 п@762−3188 不 明 不 明 呉服 【ぎをん齋藤】
東山区新門前通西之町 п@561−1207 9:00〜17:00 日曜祝日 御寮帯 【井関】
北区紫竹牛若町 п@493−1271 10:00〜17:00 日曜祝日 半襟 【ゑり善】
下京区四条河原町西入る п@221−1618 10:00〜17:00 月曜定休 帯締めと帯揚げ 【きねや】
中京区河原町通蛸薬師下る п@221−2782 10:00〜20:30 無休 組紐 【伊藤組紐店】
中京区寺町通六角 п@221−1320 10:30〜18:00 日曜祝日 頭飾品 【かづら清老舗】
東山区祇園町北側 п@561−0672 9:30〜19:00 水曜定休 黄楊櫛 【十三や】
下京区四条寺町東入る п@211−0498 11:00〜21:00 無休 かんざし 【金竹堂】
東山区祇園町北側 п@561−7868 10:00〜20:00 水曜定休 和装小物 【井澤屋】
東山区四条南座前 п@525−0130 10:30〜21:00 無休 和装小物 【ルモンドU】
下京区四条寺町東入 п@221−3391 11:00〜19:00 水曜定休 紳士服 【有本】
中京区三条御幸町角 п@221−2131 11:00〜19:30 水曜定休 草木染め・織 【大原工房】
左京区大原草生町 п@744−3138 10:00〜17:00 水曜定休 麻製品 【麻小路】
中京区西ノ京三条千本東入る п@841−2627 11:00〜18:00 月曜定休 古縮緬の木目込み人形 【くろちく】
山科区竹鼻竹ノ街道町 п@501−8491 9:00〜18:00 日曜祝日・第二土曜日 創作人形 【アイトワ】
右京区嵯峨小倉山山本町 п@881−5521 10:00〜17:00 不定休 絞り染めガラス工芸品 【片山文三郎商店】
中京区蛸薬師烏丸西入 п@221−2666 10:00〜17:00 土日祝日 漆インテリア 【サルバ】
左京区山端森本町 п@711−5777 12:00〜18:00 土日祝日 鞄 【ボストン鞄店】
北区烏丸北大路下る п@441−0688 10:00〜20:00 火曜・金曜 帆布製品 【一澤帆布】
東山区東大路下る古門前上る п@541−0138 9:30〜18:30(土日注意) 無休 金唐革製品 【チェリ】
右京区太秦組石町 п@864−9566 11:00〜18:00 月曜定休 臈纈染め 【瀬戸】
北区西賀茂舌の下町 п@493−6249 9:00〜17:00 日曜祝日 額縁・フレームアート 【京額】
北区上賀茂高縄手町 п@702−0003 10:00〜19:00 無休 和楽器専門 【金善楽器店】
繩手団栗上がる西側 п@561−2940 不明 不明 京乃印 【翠 草 堂】
河原町五条上ル西側 п@361−0557 9:00〜19:00 日曜・祝日
京都商工業創業年代番付 1999.04.01現在
横綱 800年連綿・三十二代 御用所 比呂女 松前屋 231−4233 横綱 534年 御用御蕎麦司 本家 尾張屋 231−3446 張出横綱 522年 登録商標大徳寺精進料理 一休 493−0019 張出横綱 441年 宇治茶 上林春松本店 0774−23−8855
大関 415年 京ごふく ゑり善 221−1618 大関 412年 名物 長五郎餅 461−1074 大関 405年 香 薫玉堂 371−0162 大関 380年 宗教図書出版 法蔵館 343−0458 張出大関 368年 刀剣・打刃物 血統一筋十五代 常信 221−3745 張出大関 368年 刃物 常久 221−1582
関脇 342年 京人形 中山人形店 361−6246 関脇 336年 薫香 筆墨 鳩居堂 231−0510 関脇 316年 総本山御用達 安田念珠店 221−3735 関脇 304年 京麩 半兵衛麩 525−0008 小結 300年 京つけもの 赤尾屋 561−3032 小結 299年 金属箔粉製造販売 福田金属箔粉工業株式会社 581−2161 小結 299年 繊維総合商社 外与株式会社 231−8111 小結 291年 業務用食品卸 松島屋本店 221−5054
前頭 288年 金属箔粉 堀金箔粉 231−5357 前頭 288年 懐石料理 瓢亭 771−4116 前頭 283年 京料理 美濃吉 771−4185 前頭 235年 京料理 魚三楼 601−0061 前頭 235年 箸 市原平兵衛商店 341−3831 前頭 226年 京仏壇・京仏具 山崎屋 371−0136
同 210年 味醂漬 田中長奈良漬店 351−3468 同 209年 眼鏡・光学品 メガネのタツミ 531−3151 同 208年 清酒 日出盛 611−1238 同 203年 御婚礼家具 松室タンス 351−6687 同 199年 かるた・囲碁将棋 大石天狗堂 603−8688 同 196年 京菓子司 亀屋良長 221−2005 同 195年 京ゆば 千丸屋 221−0555 同 180年 菓子饅頭製造販売 祇園饅頭 561−2719 同 176年 美也古扇 宮脇賣扇庵 221−0181 同 167年 京扇子 京扇堂 371−4151 同 156年 服地の樹脂 防水 他 小野木繊維加工株式会社 221−6123 同 151年 古着・呉服 株式会社 熊谷 371−2151 同 143年 時計宝石貴金属 岡野貴金属店 231−1541 同 134年 京仏壇仏具製造販売 西村萬佛堂 351−6562 同 131年 吹よせ・京昆布 ぎぼし 221−2824 同 127年 みそ・京つけもの 田辺宗 231−1269
■ 匠 の 技
「 張籠 」十四世奈良吉
* 代々奈良屋吉兵衛を号す。苗字帯刀を許された職人 *
中京区高倉三条上がる п@221−6576「 笙(三管) 」
山田雅楽器
* 雅楽は千九百年続いてきたとか *
西小路御池上がる二筋目西入角 п@802−2505「 京表具 」
伊藤竹香堂
* 京都の表具の重鎮 *
間之町夷川上がる п@231−5494「 琴 」
琴傅
* 琴が独立して楽器としてその地位を得たのは元禄の中頃、八橋検校がその開祖と伝える *
新町三条下がる п@221−0961「 雲上流造花 」
村岡松華堂
* 八代目 *
御幸町夷川上がる п@211−0732「 南鐐製品 」
竹影堂
* 創業は寛政年代、初代から数え七代目 *
押小路麩屋町西入る п@241−2636「 無地染 」
藤本染工
* ねずみの色をだすのは難しいという、嘉永四年(1851)の創業以来八代目の当主 *
小川三条下がる п@221−4815「 錺金具 」
合場金属
* お寺の本山が京都にたくさんある限り絶えることはないと・・・ *
西ノ京小堀町 п@812−3355「 浅沓 」
橋本甚蔵商店
* 伊勢神宮の遷宮をきっかけに再び急増 *
油小路夷川上がる п@231−5728「 金網細工 」
大橋金網工芸
* 京金物工芸の特長は”菊出し”の技術 *
西ノ京永本町 п@811−7026「 印章彫刻 」
小泉湖南堂
* 日本の官印の一つ神亀三年(826)「山背国印」の復刻。それは見事に再現された。現在、下鴨神社の神殿に奉納されている *
麩屋町二条上がる п@231−1293「 京うちわ 」
阿以波
* 創業は元禄ニ年、当主は九代目 *
柳馬場六角下る п@221−1460「 端午の飾り 」
誉勘商店
* 金襴の装束・袈裟・宗教金襴全般・人形裂地など扱う *
室町二条上がる п@241−0168「 尺八 」
北原精華堂
* 尺八のルーツは聖徳太子の時代にさかのぼる *
室町夷川上がる п@231−2670「 にほひ袋 」
石黒香舗
* 一般に、にほひ袋を楽しむようになったのはここ二十年ほどの新しい習慣とか *
三条柳馬場西入る п@221−1781「 塗金銅物 」
秦蔵六工房
* 蛤御門の変のときから同じ場所で営む *
富小路二条下がる п@231−0541「 袴・裃 」
多田商店
* なにを注文されても「よろしおす」と言えるようになるまでは三十年ほどかかっているとか *
小川三条下がる п@221−4695「 額看板 」
清水末商店
* 材料は欅と栓木の一枚板を使う *
寺町二条下がる п@231−4838「 袖垣 」
中川竹材店
* 当主は十代目 *
御幸町二条上がる п@231−3958「 京扇子 」
十松屋福井扇舗
* 能の五流に精通しないと演じられる曲に最適の扇はできない *
烏丸三条上がる 221−2540「 鋸 」
光久
* 親方に「表札つけるような仕事をしてくれるな」と *
坊城三条下がる 841−2385「 京版画 」
竹中木版画工芸
* 日本での木版印刷の始まりは、世界で一番古い印刷という、奈良時代に刷られた百万塔陀羅尼経だという説がある *
西洞院竹屋町上がる п@211−6941「 釣竿 」
平田釣竿師
* 一番怖いのは、お客さんの声らしい *
六軒町通上立売下る п@461−8589「 手機 」
佐内機料店
* 機料商を営んで百年が経つ *
芦山寺通千本東入 п@441−1818「 金彩友禅 」
アトリエ工虹彩苑
* 金彩友禅クラフト教室を開いている *
千本丸太町下る п@801−1652「 西陣絣 」
岡田絣店
* 現存する最古の絹絣を再現 *
新出水通浄福寺東入 п@811−2066「 和傘 」
日吉屋商店
* 宝鏡寺の境内に、傘の花が咲く日がある。木の花は、寺の門前にある日吉屋さんが傘を干すとき *
寺之内堀川東入 п@441−6644「 装束司 」
有本装束店
* 衣冠束帯というのは、もとは衣冠は宿直などに着る略服で、束帯は正式な朝服だったのが、いつからか衣冠・束帯ともに朝服になってしまった *
室町一条上がる п@451−4440「 房撚紐 」
坂田秀商店
* 当主は、六十年たずさわってきた *
下立売御前東入 801−7756「 本藍染 」
愛染工房
* 座敷の床の間には、清水公照東大寺長老の書になる『人盡楽』の掛け軸が掛かる。大英博物館に収められたのと同じ作品で、「これが本物の藍色です」と *
中筋通大宮西入る п@441−0355「 有職雛 」
大橋弌峰
* 雛人形には有職雛とか、古今雛・享保雛がある *
千本出水上がる п@432−0115「 意匠紋様 」
彩衣アートデザイン
* 「意匠紋様」とは織物の柄を表現するための「紋図」を描くのが仕事 *
中筋通浄福寺西入る п@432−2566「 和蝋燭 」
丹治蓮生堂
* 蝋の色は淡い灰黄色が本来の色で秋口にハゼノキの実を採取してから、半年間乾燥させた実を搾ったのが原料になる *
七条通烏丸西入 п@361−0937「 仏具金箔押し 」
五明金箔工芸
* 伝統的工芸品産業振興会会長賞など多数受賞 *
新町正面下がる п@371−1872「 きせる 」
谷川清次郎商店
* 四、五百年前から続く専門店 *
御幸町高辻上がる п@351−5762「 蒔絵 」
下出祐太郎
* 漆工芸の中で奈良時代に日本に独自で発達した装飾技術(絵付)。二十六歳で日展に初入選、以来連続入選十六回 *
醒ケ井松原上がる п@361−0320「 弓 」
柴田勘十郎
* 竹のしなやかさと、ハゼノキの硬さが巧妙に組み合わせられ弓に強い反発力を生み出す *「 菓子型彫刻 」
野口筑紫堂
* 今全国で使われている木型のほとんどは京都の職人の手によるもので、材料には三〜五年自然乾燥させた桜材を用いる *
高倉五条上がる п@351−4101「 真田紐 」
江南
* 江南の真田紐の技法は、すべて当主の母から嫁に伝えられるしきたりになっている *
六条間之町西入る п@351−4365「 黄楊櫛 」
十三や
* 「君なくは なぞ身飾らん櫛笥なる つげの小櫛も とらんともせず」と万葉の昔から、男女の愛の象徴として、大切にされてきた黄楊の櫛 *
四条寺町東入 п@211−0498「 和鏡 」
山本合金製作所
* 古代の技法の真土型鋳造法を継承する全国に一軒しかない貴重な存在 *
下京区夷馬場町6−6 п@351−1930「 神輿 」
松島
* 素材は木曽檜、十年以上寝かせた木材を使う *
北小路新町西入る п@371−9141「 手摺りかるた 」
松井天狗堂
* 三代目の当主は全国でただ一人手摺りかるたを作る人 *
木屋町正面下がる п@371−0829「 京組紐 」
アトリエ大林
* 江戸時代以前は、身分によって組方や色使いが厳しく決められ、例えば正五位以上は唐組が使えるが六位以下は使えなかった *
東洞院仏光寺上がる п@351−3873「 京繍 」
西刺繍
* 刺繍は、延暦十三年(794)の平安遷都を機に縫部司が設けられたが、この時に京繍が始まったと伝えられている *
河原町松原上がる п@361−5491「 ふろしきの家紋 」
スギシタ
* 結納や祝事では、中包みをした上に更に家紋の入った風呂敷で包むのが作法となっている。二重に包むのは祝事は重ね重ねありますようにという願い *
猪熊四条下がる п@841−4449「 数寄屋金具 」
村田鋲錺金物製作所
* 数寄屋金具とは、数寄屋造りの茶室や家具に使われる金具をいう *
間之町花屋町通下がる п@351−3129「 経卓(蝋色) 」
立石漆工所
* 立石哲夫 1970年生まれ*
黒門通下魚棚下がる п@371−9470「 袈裟 」
小谷秀樹
* 昔、お寺さんに奉納した布を、坊さんが継ぎ合せて纏ったのが袈裟の始まりである。布を施すと書いて布施という *
御幸町仏光寺上がる п@351−6277「 京指物 」
福原木工所
* 桐箪笥には得斉の銘が入る、桐箪笥にこだわる。桐は会津で採れた国内産が良い *
西七条市部町29 п@313−7368「 宮師 」
榊原神具店
* 神社本殿を作るのは図面によるのではなく、「方木(ツエ)」という先代から伝わっている一本の四角い角棒が定尺になる *
松原大和大路東入 п@561−3017「 京すだれ 」
伊吹すだれ店
* 琵琶湖近江八幡で採れた葦、愛知県蒲郡の蒲、座敷すだれの竹は京都府下の真竹が原料 *
東大路通松原上がる п@561−7369「 桐箱 」
井浦俊次
* 作品の素材は全て丸太を大割りして、五年以上寝かせたものを使用 *
東山区泉涌寺五葉ノ辻町 п@541−2980「 鍛金 」
井上 登
* 器物に仕立てあげる技術は青銅器文化の頃からあったという程古い *
本町十七丁目 п@561−3535「 竹工芸 」
尾上竹材店
* 京都はお寺と、お茶の世界があるので竹の商売だけで成り立っていくところらしい *
三条大橋東入 п@751−0221「 飾り纏 」
仁科旗金具製作所
* 纏いの起こりは、戦国時代にさかのぼる *
大黒町通松原下る п@525−1616「 かつら 」
丸善
* 種類は数百種になる。今もお茶屋さんの女将が結う「行方不明」と変った名の結い方もある。一、二本でイメージが変ってしまう生え際が難しく、美人にも不美人にもなる *
八坂通東山西入 п@561−2961「 のれん染 」
中川染織
* 京都の老舗の印染(シルシゾメ)の殆ど手がける。 「色が泣いたやないか」の客からの一言が命取りになる *
繩手通新門前上がる п@561−0065「 陶磁器下絵付 」
昭和製陶
* 鉢の内側に絵を描くのは至難の技とか *
今熊野日吉町 п@561−6679「 南座招板役者紋書き 」
塩山商店
* 歌舞伎に出演する六十名にのぼる役者の紋と南座の玄関に吊り下げられる直径四尺の大提灯など *
東大路松原上がる п@561−4055「 甲冑 」
粟田口清信
* 最初から最後まで一貫作業でするのが特徴 *
三条通白川橋東入 п@771−1380「 花かんざし 」
金竹堂
* 江戸末期の創業以来花かんざし専門 *
祇園町北側 п@561−7868「 伏見人形 」
丹嘉
* ルーツは土師部という職人集団が遊び半分で作ったのが伏見人形といわれているが定かでない *
本町22丁目 п@561−1627「 提灯 」
小嶋商店
* 提灯は江戸時代に盛んになり、神仏の道具として生産使用された *
今熊野椥ノ森町 п@561−3546「 三絃 」
今井三絃店
今井善一
祇園下河原 п@561−3682「 桶 」
たる源
* 創業江戸末期 *
大和大路三条下がる п@541−4512「 京唐紙 」
唐長
* 奈良時代に塔の国から伝わり、木版の技術の進歩と共に経典の印刷から唐紙に発展して、仏教の隆盛と共にその需要は伸びてきた。十一代直系 *
修学院水川原町 п@721−4422「 桑曲物 」
川本 昇
* 機械で作るのは『職人』ではなく、『工人』になっているのでは。と、こだわる *
大原井手町 п@744−3636「 西陣綴織 」
峯 哲夫
* 糸を掻き寄せる左右の人差し指と中指の爪は細かく鋸の歯のようにギザギザに目立てがされている *
大原尾越町132−32 п@744−3421「 天井画 」
宮絵師安川
安川如風
岩倉三宅町 п@711−3533「 楽琵琶 」
大笹屋
* 遠くイランにその源を求められる琵琶は、シルクロードを経て日本に来たのは白鳳時代。楽琵琶は天皇や貴族もしくは天皇の許しを得た人以外に持ってはいけなかった高貴な楽器であった。徳川家でさえ、皇女が嫁入りする時に持つことができたのは一回り小さな平家琵琶であった *
聖護院蓮華蔵町 п@751−6889「 楽太鼓 」
* 日本の楽太鼓の殆どを作っている。四代前まで京都御所に式部職舞楽係として勤めていた。『舞楽係壱人』、今でいう身分証明書の札がある *
上、大笹屋と同じ。「 念珠 」
念珠片岡
* 本来の数珠の姿は一番徳があるのが菩提樹と『数珠功徳経』にある *
左京区田中門前町 п@721−0913「 京筆 」
池田正温
* 文房具という言葉は中国の「文房四宝」からきている。四宝とは、筆・墨・硯・紙のこと *
新柳馬場通孫橋上がる п@761−5724「 笛 」
八幡内匠
* 商売としてではなく御所の官人で、家職(家としての専門的な許し。今でいう家元)として平安時代から代々たずさわってきた *
左京区静市野中町 п@741−3769「 邦楽器 絃 」
片岡庄八郎商店
* 絹の邦楽器絃を作っているのは、片岡商店のほか、京都で一軒、全国でも五軒しかない *
北区等持院東町 п@462−1515「 北山磨丸太 」
中田 明
* 北山丸太の歴史は応永年間、つまり室町時代頃にさかのぼるといわれる。室町時代中期以降、茶の湯の隆盛に伴い、数寄屋造りの茶室建築に大いに用いられるようになった *
北区中川北山町 406−2800「 螺鈿 」
嵯峨螺鈿・野村
* 螺鈿は中近東が発祥という。奈良時代に唐からわが国に伝わった。平安朝には蒔絵と併用され、桃山期から江戸初期にかけて「光悦」「光琳」らによってその名が広まる *
嵯峨釈迦堂大門町 п@871−4353「 嵯峨面 」
藤原孚石
* 江戸時代には厄除けや魔除け面として頒布されていたが、時代の流れとともにいつしか消え去っていた。それを戦後復活させたのが先代孚石さん *
嵯峨二尊院門前善光寺山町 п@861−3710「 木工細工 」
今堀芳夫
* 作品は茶道具が多い。好きな材料は、桑と黒柿らしい *
太秦安井柳通町 п@802−4208「 寺院欄間 」
上田木彫
* 使う木材は「紅松」 *
常盤山下町 п@871−2029「 二条城襖絵模写 」
川面美術研究所
* 二条城は、狩野派一門の襖絵などを永久保存するため、二十年前から五十年がかりで模写事業を行っている。そのほとんどを川面さんらスタッフ五人が手掛けている *
鳴滝本町 п@464−0725「 梵鐘 」
岩澤の梵鐘
* 鐘の音の理想といわれる、妙心寺の国宝「黄鐘調大鐘」の音色は129ヘルツ *
太秦唐渡町 п@871−1001「 化粧廻し 」
山口刺繍
* 父親の時代から数えると千本以上。当代で八百本位手掛けている *
太秦桂ケ原町 п@861−3651「 矢 」
今井弓具店
* 矢に使われる竹は矢箆竹といって丹波産の三年の竹を、一番いい状態の秋から冬にかけて穫り入れる。これを一年間乾燥させて矢に加工する *
西京区川島調子町 п@381−3685「 京人形 」
片岡光春人形司
* 平安王朝の頃、貴族の家の幼女たちの「ひいな遊び」の、人形が、雛人形の源流といわれている *
西京区川島有栖川町 п@381−5823「 植木鋏 」
大隅安広刃物店
* 京打刃物の特長は冷間鍛造という技法 *
南区八条源町 п@681−2873「 木造春日灯籠 」
南神具製作所
* 父親は鳥居作りを専門にする職人だった *
南区東九条御霊町 п@691−8029「 密教法具彫金 」
平安工芸
* 密教法具は古代からの突く、音を発す、焼くという保身の三大原則を形にした物 *
南区壬生通八条下がる п@691−4269「 布目象嵌 」
金森 健
* 語源は「象形文字」に使われている「象」という文字と「嵌」め込むという意味の字を組合せて「象嵌」と名付けられた *
伏見区越前町 п@611−3988「 能面 」
長澤浄春
* 南北朝時代から現代に演じ継がれている。材料は檜 *
伏見区深草大門町 п@643−2887「 京瓦 」
瓦熊
* 金ベラで磨く『磨き瓦』は京都にしかない。瓦熊では八十パーセントまでが寺社関係の瓦を作る *
伏見区羽束師菱川町 п@921−2148「 陶人形 」
小田益人形工房
* 毎年のように各賞を取り続ける *
山科区勧修寺東出町 п@571−0397「 烏帽子 」
森本安彦
* 慶長年間、豊臣秀吉は、室町三条を下がった所に烏帽子屋町を作り、烏帽子職人をここに集めた *
山科区東野北井ノ上町 п@501−3766「 水引細工 」
平井商店
* 結納飾りを作る一本の水引の長さは三尺(九十一センチ) *
山科区日ノ岡提谷町 п@581−1630「 友禅染 」
小糸染芸
五代目・小糸太郎
山科区西野射庭ノ上町 п@593−3015「 截金 」
大塚華仙
* 法隆寺の「玉虫厨子」に施されているのが最も古いという *
山科区日ノ岡夷谷町 п@761−4021「 料理包丁 」
義定刃物
* 京刃物は室町時代中期から明治の初期まで京都が一大生産地だった。亀岡産の”青砥石”や鳴滝の”あわせ砥石”がいい *
久世郡久御山町大字佐山小字新開地 п@0774−44−0748「 鹿子絞 」
木曽喜代子
* 「総理大臣賞受賞」 *
亀岡市篠町馬堀伊賀ノ辻 0771−23−6379< 以上九十九人の匠の技 >
「京の手しごと工芸」に45店 -京都新聞ニュースより- 伝統産業の日を記念
京都市は20日、「伝統産業の日」(3月21日)を記念して、きせるやかるたなど希少ながらも京の伝統工芸品の魅力を全国に発信している45店を「京の手しごと工芸品店」に初めて指定した。合わせて、伝統産業に永年貢献した団体代表18人と55団体をそれぞれ表彰する制度も新設した。表彰式は3月21日午前11時から京都市左京区のみやこめっせで行う。また、伝統産業の日に合わせて、21日から23日までの3日間、「次代へ繋(つな)ぐ京の伝統」と題した伝統的工芸品展示会も開く。「京の手しごと工芸品店」による商品展示に加え、京焼・清水焼、京人形など京都を代表する伝統工芸品を配置した居間など生活空間をつくり、来館者にアピールする。
▽受賞者・団体は次のみなさん(カッコ内は代表者 )
▽【京の手しごと工芸品店表彰】
清水末商店(額看板)▽野口筑紫堂(菓子木型)▽酒井かつら店、丸善、山崎かつら(かつら)▽金網つじ、辻和金網、山本金網店(金網細工)▽本城紙芸、唐長(唐紙)▽大石天狗堂、田村将軍堂、松井天狗堂(かるた)▽谷川清次郎商店(きせる)▽浅田製瓦工場、寺本甚兵衛製瓦(京瓦)▽江南(京真田紐)▽まる吉足袋植田貞之助商店(京足袋)▽十三や(京つげぐし)▽渡邉商店(京葛籠)▽平田文男(京釣竿)▽小丸屋住井(京丸うちわ)▽御弓師柴田勘十郎(京弓)▽日吉屋(京和傘)▽大塚華仙(截金)▽藤原孚石(嵯峨面)▽北原精華堂(尺八)▽今井三絃店(三味線)▽山下慶秀堂(調べ緒)▽開化堂(茶筒)▽小嶋商店、提灯工房なをき(提燈)▽念珠片岡(念珠)▽岩井彩(能面)▽金竹堂(花かんざし)▽一澤帆布(帆布製カバン)▽丹嘉(伏見人形)▽片岡楽器糸、鳥羽屋(邦楽器絃)▽平井結納屋(水引工芸品)▽今井弓具店(矢)▽協栄商会宇野鳳翔堂、丹治蓮生堂、中村ローソク、わた悟商店(和蝋燭)
▽【市伝統産業功労者】
安藤宇助(京都府仏具協同組合)▽岩田治郎(京友禅協同組合連合会)▽加納幸一(西陣織工業組合)▽島津棟一(京人形商工業協同組合)▽島政吉、杉原季雄(京都漆器工芸協同組合)▽関谷泰三(京友禅協同組合連合会)▽宅間久雄(京鹿の子絞振興協同組合)▽田伏茂雄(京都府石材業協同組合)▽内藤邦雄(京都木工芸協同組合)▽中嶋信行、中山茂(京人形商工業協同組合)▽西武一(京都刺繍協同組合)▽西村成男(京都漆器工芸協同組合)▽馬場孝造(京黒紋付染協同組合連合会)▽福井秀一(京都扇子団扇商工協同組合)▽山田収(京くみひも工業協同組合)▽若林正夫(京都府仏具協同組合)
▽【市伝統産業永年功労団体】
京鹿の子絞振興協同組合(種田登)▽京くみひも工業協同組合(小林繁雄)▽京都誂友禅工業協同組合(岡部睦美)▽協同組合西陣紋様同志会(加島一彦)▽京都金銀糸工業組合(服部繁和)▽京都金彩工芸協同組合(井上恒次)▽京都黒染工業協同組合(藤崎勝英)▽京都工芸染匠協同組合(白木周生)▽京都彩芸美術協同組合(荒木孝)▽京都刺繍協同組合(藤澤鐵夫)▽京都親彩工芸協同組合(椎名敦夫)▽京都浸染工業協同組合(園壽一)▽京都染枝同趣苑協同組合(林實)▽京都染織整理工業協同組合(西村嘉朗)▽京都染色補正工業協同組合(吉井貞樹)▽京都染型協同組合(谷口尚之)▽京都手描模様糊工芸協同組合(村上勇)▽京都手描友禅工芸協同組合(吉岡肇)▽京都引染工業協同組合(井上紀誉一)▽京都房撚紐工業協同組合(宮本隼史)▽京都府繊維染色工業組合(高橋久男)▽京都府撚糸工業組合(林正則)▽京都紋章工芸協同組合(林利孝)▽京都紋章糊置協同組合(小倉直一)▽京都友禅協同組合(池田佳隆)▽京都友禅蒸水洗工業協同組合(有本良一)▽西陣意匠紋紙工業協同組合(三上謹治)▽西陣織工業組合(渡邉隆夫)▽西陣絣加工業協同組合(岡田晋一)▽京菓子協同組合(高田勝介)▽京都色絵陶芸協同組合(上山善行)▽協同組合京都金工センター(千田忠昭)▽協同組合京都表装協会(岡岩太郎)▽京陶人形工芸協同組合(小田晋二)▽京都北山丸太生産協同組合(中田正信)▽京都金属工芸協同組合(秦恒造)▽京都色紙短冊協同組合(北脇秋晴)▽京都漆器工芸協同組合(川瀬功)▽京都神祇工芸協同組合(堀内益雄)▽京都青窯会協同組合(森典弘)▽京都扇子団扇商工協同組合(福井芳秀)▽京都装粧品裁縫雑貨協同組合(山口忠洋)▽京都竹材商業協同組合(中川正次)▽京都表具協同組合(竹中秀穂)▽京都表具工芸協同組合(高本勇)▽京都日吉製陶協同組合(竹内美郎)▽京都府印章業協同組合(矢野司朗)▽京都府石材業協同組合(山本康裕)▽京都府造園協同組合(水本雅夫)▽京都府陶磁器協同組合(河井透)▽京都府仏具協同組合(若林靖博)▽京都木工芸協同組合(和仁秋男)▽京人形商工業協同組合(福田眞一)▽清水焼団地協同組合(小山好弘)▽伏見酒造組合(太田譲二)
■ メモ (朝日新聞より)
◆版木織りなす紙上の宇宙 京 唐 紙 唐 長
京都市左京区修学院水川原町。創業は寛永年間(1624―43)。一般のふすま用の唐紙は1枚1万5000円から。版木1枚分の額装、文様入りのポストカードやコースターなどもある。日曜・祝日休み。営業時間は午後1―5時。075・721・4422。
創意と熟練、だけでは足りない。老舗(しにせ)の力とは「持ち続ける力」にあるのかもしれない。
守り、伝える、と言ってしまっては収まりがよすぎる。
持ち続ける、という単純だが、強い意志。
「唐長」十一代目、千田堅吉さん(58)が、その場にいたかのように熱っぽく語ったエピソードから始めたい。
一八六四年、蛤御門(はまぐりごもん)の変。
幕府軍と長州藩が衝突し、京の街は火の海となった。東洞院三条に店を構えていた唐長では、たっぷり水を張ったたらいに版木を浸し、土蔵に隠した。そのうえに、火が入り込まないよう扉のすき間に土を詰めた。
戦火が収まった後もすぐには扉を開けなかった。数日間、土蔵に水をかけ続け、内部の温度を下げてから、開けた。たらいの水は蒸発していたが、版木はすべて無傷だった。流れるような線の間に花びらをあしらった「桜橘立涌(さくらたちばなたてわく)」。千田さんがふるいで版木に色を乗せる。引き継がれた手順は、変わっていない
代わりに、家は焼けた。
「どうしてとっさにそんな方法を思いついたのか」。千田さんは不思議な思いに打たれる。
文様付けのための版木こそ、唐紙屋の命だ。そうして今、唐長に版木六百五十枚が残る。◆優美な線、洗練の意匠…
江戸時代、京都に「唐紙屋十三人衆」がいた。一八三一年(天保二)に発刊された「商人買物独(ひとり)案内」には「御(おん)唐紙師 唐紙屋長右衛門」の名が見える。
御は、御所出入りを許された店のこと。創業約三百六十年。
残りの「十二人」は、蛤御門の変で版木を焼いて廃業し、明治、大正のはやりすたりを見て商売替えし、唐長は日本でただ一つの唐紙専門店となった。
唐紙はその名の通り、唐時代の中国から伝わった紙。
技法は古来、ほとんど変わらない。調合した泥絵の具を刷毛(はけ)で塗った綿布を版木に当て、そっと色を移す。版木に和紙を押し当てて、手のひらでなでるように文様を写し取る。
極めて、シンプル。
そのぶん肝心要(かなめ)は、呼吸。
「手加減で出来が変わるような曖昧(あいまい)な世界が嫌だった。理論的に説明がつく仕事がしたかった」。三十年前、千田さんは大学を出て、家業とは無縁の大阪の化学会社に勤めた。フラスコを振り、化学式を解いていた。「朽木雲」の文様で埋め尽くされた二条城・本丸御殿。時を超えて空間を区切り、整然とした美を演出する
それが、父が廃業を覚悟していまの修学院に移り住む姿を見て、唐紙屋になると決めた。入社五年目、二十七歳のとき。高度成長期、手仕事が忘れられていく風潮に、血がうずいた。
幼いころから父の仕事を見てはいた。しかし、泥絵の具を水で溶き、ふのりを加えて乳棒でかき混ぜる最初の工程からして、ちょうどいい粘りがわかるまでに五年や十年、かかった。綿布への色の乗せ具合、和紙の押し当て具合。どれもわずかに違えば、色に濃淡が出て、使いものにならない。
奥義書や秘伝など、ない。作業のすべて、「手加減」、としか言いようがない。
「この日と決めて仕事を始めたら、電話に出ない、トイレにも立ちたくない。気持ちの途切れがムラとなって出てしまう繊細さが、唐紙にはある」
曖昧さを嫌った自分が、体でしか覚えられない唐紙の深さにとりつかれている。
縦九寸五分(二十九センチ)、横一尺五寸五分(四十七センチ)。ふすまのちょうど十二分の一。版木が織りなす文様は、上下左右に果てしなく広げて刷れるように巧みに彫られている。終わりない、紙上の宇宙。洛西・桂離宮。古書院と新御殿のすべてのふすまと壁紙が唐長の唐紙だ。淡い黄色地に金文様の気品あふれる「桂桐(かつらぎり)」。離宮だけのために存在する。
二条城・本丸御殿。壁紙は空色に金の「若松」、ふすまは緑地に金色の雲がたなびく「朽木雲(くちきぐも)」。
張り替えは七十年から百年に一度。一代で一生に一度、あるかないか。千田家は版木を、技を、意志を持ち続ける。
そういう店が、京都にはある。
よく、新しいデザインを彫らないのか、と聞かれる。「今よりいいものができるとは思えなくて」と、千田さんは答える。
光琳大波(こうりんおおなみ)、稲穂波(いなほなみ)、花筏(はないかだ)、雪輪(ゆきわ)に枝梅(えだうめ)……。どれにも美しい名がついた文様は、余分な飾りをそぎ落とし、多くが江戸期に彫られたとは思えない、洗練された意匠。三百年以上、選び抜かれ淘汰(とうた)されてきた、優美。
「もうこれは日本の紙、京の紙やと思うんです」
唐の紙が、京の紙になった。
☆歴史へアクセス☆明治の文明開化で西洋文明が流入した反動で、浮世絵など日本文化の粋が海外に流出した。唐紙もその一つ。欧米などにはカーテンや壁紙に「唐長」文様が残り、店には今も欧米の顧客から注文がある。
イギリスの著名な工芸美術家でデザイン界に大きな影響を与えたウイリアム・モリスも唐紙を愛したとされ、モリスが描いた恋愛小説の「ハーレクインロマンス」シリーズの表紙も唐長文様を想起させる。桐(きり)や松など日本的なデザインが不思議と洋館によく合い、長崎のグラバー邸でも壁紙に使われている。
◆失われた技 一人で復元 手摺りカルタ
松井天狗堂京都市下京区木屋町通正面下る。祖父、重次郎さんが明治年間に創業。手摺りの花ガルタの「一級品」は5000―6000円。小倉百人一首は3万5000円―5万円。午前9時―午後8時、不定期休。075・371・0829。
「話はあと。まぁ、さわってみなさい」
日本でただ一人の手摺(ず)りカルタの職人の、多少の気難しさを覚悟して訪ねたこちらをハナからさらりかわすような、くだけた語り口だった。
渡された四十八枚の小さな札。松、梅、桜に藤(ふじ)、牡丹(ぼたん)。「花あわせ」を知らない人でも、見たことはあるはずの色模様。花札。正式には花ガルタ。
すべらかな手触りを楽しみながら、畳の上に並べてみる。さらっと広がる様式美。雅ではないが俗ともいえない、ぎりぎりこらえた小宇宙。
松井天狗(てんぐ)堂の花ガルタや小倉百人一首は、コレクターに知られた逸品という。三代目、松井重夫さん(69)が手がける。
「こんなひまなことやってるのはうちぐらい、ちゅうことやろね」と冗談めかすから、なんで、また、そんな、と、こちらもつい調子が軽くなる。「だれもしてくれる人がいなくなったんで、しょうがないから一人でやってるだけ」と、また笑(え)む。でも、また、なんで、そんな、と、こちらも仕事だ。
「正しく言うとなぁ」――。
手摺りカルタは戦後の一九五〇年前後、人々が余暇どころでなくなったころ、職人が次々と廃業していって滅んだ。
そのあとは安い機械刷りのカルタを扱っていた松井さんが、思い立ったのは七五年ごろ。
「『花』で遊ぶ人も少ないままだし、商売はジリ貧。ようしほかにないもの、京都でしかできないもの作ったろ、とね」
――そう、松井さんはただ一人残った職人というより、失われた技法を復元した人だった。◆雅でもなく俗とも言えず
4段かける12列で48種、切り分けられる前の台紙はまるでタペストリー。「きれいですね」の声には、素直に笑顔がこぼれた
復元は、たいていではなかった。
かつてカルタは、分業の品だった。大きく分けて、「芯(しん)(台紙)」作り、輪郭線を彫った銅版を使う「骨刷り」、型紙をあて淡色から順に九色の染料を刷り込む「色入れ」、一メートルほどの長い刃を持った裁断機で切り分ける「断ち」の工程があり、それぞれに職人がいた。
松井天狗堂はそれら職人たちに手配し、取りまとめ、仕上がったカルタを売る店だった。
であるから、松井さんは作るのは初めて。ただ、胸に、亡父の手伝いで回った職人たちの仕事場で、その手元をじっと見ていた財産がある。懸命に思い出しては一つ一つ、やってみた。
だが当然、失敗、失敗。
一枚の台紙に黄や青、赤と色別に作った型紙をかぶせて刷り込んでいく作業が、とりわけ難渋した。あと一歩、二歩のコツを聞こうにも、職人の多くはこの世にいない。ところが、一人ぼっちではなかったのだ。
「ありがたいとこや、京都は。扇子屋、短冊屋……。似た作業をやってそうなとこにいろいろ聞いて回ったら、なんとのう、こう、道が見えてきた」
であるなら、確かに「京都でしかできないもの」だった。
試行錯誤、二年近く。やっとそれらしいものができた。「おそらく間違ってへん、これが職人たちが作ってたカルタや」
――そう、松井さんは技法を復元した職人というより、手摺りカルタを初めて一人で作り上げた人だった。色の多い小倉百人一首は1年に50組だけ作るのがやっとだ
細心の手仕事を、それから二十数年。いまも苦心惨憺(さんたん)するのはやっぱり色入れ。
色を入れるサイズに合わせて型紙を切り抜くと、色が入る部分がわずかに小さくなる。「何ミリともいえん、ほんま心持ち大きく切り抜かんとあかんのや」と、失敗作の山の上につかんだはずの秘訣(ひけつ)を、あっさりと。
見えるか見えないかの傷があれば「二級品」として半額にする。「一級品」の歩留まりは六割。「難しいわ。そら、作り始めのころに比べたら、あのときのお客さんには悪かったと思えるくらいにはなったけどな」
気負わず、構えず。一代で終わっても未練など、ない。
雅とはいえないが俗ではない、意地も誇りも淡々とした風情にくるんだたった一人の職人が作るカルタを、全国から来た人が宝物のように持って帰る。
「みんな、大切にしときますいうて買ってかはる。けど、ほんまは使うてほしい。……いや、ぼろぼろなってまた買うてくれたら言うことなし、やから」
また、そんな。
☆歴史へアクセス☆花ガルタのルーツは安土桃山時代に伝わったポルトガルのCARTAを基にした「天正カルタ」。ウンスンカルタ、道才カルタなどの変遷を経て、十九世紀初めにいまの形になったとされる。熱狂的な流行から幾度か禁令が出され、江戸時代末期、禁制の花ガルタをこっそり買いに行く庶民は、「花」に引っかけ、自分の「鼻」を触って、それとなく伝えたと言われる。そのためか屋号や商品名に「天狗」が使われることが多い。京都に生まれた世界的なゲーム機メーカー「任天堂」も、発祥は花ガルタ製造業だった。
◆職人技 数千の結晶 京 人 形
橋本人形店京都市下京区富小路通仏光寺角。1855年(安政2)の創業。雛人形は男女一対が25万―300万円。御所、市松、浮世人形もある。
午前9時―午後6時。日曜、祝日休み。075・351・2818。
雛(ひな)の旅をたどる。
橋本寿美子さん(71)は頭師(かしらし)だ。江戸後期から代々続く。仕事場は築二百年の町家の二階。雨が降れば傘がいる。そこの古だんすの前で、十六歳の日から。雛の頭の作り方も変わらない。木の挽(ひ)き粉を糊(のり)で固めた顔型に牡蛎(かき)の殻の胡粉(ごふん)を塗っては乾かし、磨いては削る。最後に、市販の筆を何本とばらばらにして良い毛を一本一本選んで作った筆で、表情を入れる。
「目や鼻よりも、何より表情は口もとで決まります」
髪付師(かみつけし)は井上隆さん(64)。生糸を染めた黒髪を、真っすぐになるまで柘植(つげ)の櫛(くし)をかけ、備長炭(びんちょうたん)の火鉢で温めたコテをあてる。「湯上がりの髪のような」つやが出たら、彫刻刀で彫った頭の溝に埋め込んで、和紙のこよりで押さえる。手と足だけを作り続けている人がいる。手足師、澤野正さん(38)。祖父も父も一生、手足を作り続けた。手は目立たないが、やっかいなことに不自然だとそこばかりが目立つ。存在を意識させないのが理想。桐(きり)の板に指の芯(しん)となる針金を差し込み、胡粉を塗って指を彫り出す。爪には朱。「こんな細やかな思いを手先に注いでいるのは京都だけです」。ひかえめに誇りをのぞかせた。
雛には冠、扇、太刀の小道具が欠かせない。だが、最後の小道具師が数年前に廃業した。技を引き継ごうと、工藤史子さん(34)は六年前、この世界へ飛び込んだ。「分けていけば作業は百種類以上。後継者が育たなかったのも無理ない」と苦笑して、いつか、師と名乗れる日を目指して打ち込む。
雛はようやくここで、橋本人形店にたどり着く。
四代目、橋本幸男さん(53)は、和紙とわらで胴体を作る。届けられた頭と手足と小道具をつけて、有職故実(ゆうそくこじつ)にならった、織りは西陣、染めは友禅の十二単(ひとえ)を着せる。
そうして、一体の人形はできあがる。
人形店の主人は言わば、ディレクター。着付司(きつけし)と呼ばれるのは、全体の意匠を「司(つかさ)」どるからだ。
部分ごと、親から子へ、師から弟子へと専門技術を引き継いできた職人たちの数百、数千の手業が集まって、人形となる。それが他の土地の人形と際立って違う、京人形の深さだ。◆脈々と時貫き、人映す雛の旅
有職故実に従い、平安貴族の装束を忠実に再現した雛人形は、歴史のかなたに去った宮廷文化に対する現代人のあこがれが、かたちになっている
名人、と言われた父の幸蔵さんの跡を橋本さんは三十二歳で継いだ。しかし、父の得意とした直線美は追わなかった。
曲線を意識した。
理想と描いたのは、大和絵の源氏物語絵巻に出てくるようなふっくらとした男、女。それこそが今の時代が求める美意識に近い、と思ったからだ。
男雛は、蛤(はまぐり)のようなふわっとした楕円の袖(そで)口にするのが腕の見せどころ。「ただ、肩の線だけは水平に整える。そうしないと、しゃんとしない」
女雛のやわらかさを出すのには、型を作る和紙からして粘りやしなりにこだわる。衣装は「十二単の上から二枚目に黄色を入れたのが、うちの特色」。その明るさに亀甲(きつこう)や向(むかい)鸚鵡(おうむ)の模様を乗せると、はんなり映える。
座り姿は男も女もゆったり正三角形に広がるよう寸法に気を配る。「そのかたちが、見る人をとても穏やかにするんです」形を見つめる。「京の職人には、伝統のかたちが見えるんです」と、橋本さんはぎゅっと指で押さえ、男雛の風格を整える
人形は京都に始まった。
平安時代の宮中の「雛遊び」の雛を原型として、愛らしい童子を多く模した御所人形、当世評判の役者に題材にとった浮世人形、子どもの姿をした着せ替えの市松人形。多彩に京人形は発展し、全国へ発信された。
雛の方は元禄期、女の子の幸福を願う人形となって庶民にも広まった。絢爛(けんらん)な町人文化で一気に豪勢となり、禁令が出たのが享保雛。大正期は調度品に贅(ぜい)が凝らされ、檜皮(ひわだ)ぶきの御殿や蒔絵(まきえ)のたんすが作られた。物資が払底した終戦後はいかに少ない布で美しさを表現するかが競われ、最近は本物志向が忠実な平安の再現を望んでいる。
「貧しい時代に豪奢(ごうしや)な人形はいらない。明るい照明はきらびやかな装束を求める。伝統の形は基本にある。それが時代の空気に革新されていくんです」
雛の旅は、脈々、千年以上を貫いて、そこには、人が映っている。
☆歴史へアクセス☆内裏雛の飾り方が京都と東京では反対になっているのをご存じだろうか。御所では、南面して座る天皇を中心として東を上座に置いてきた。見る方から言えば、右が上座となり、舞台でも客席から見て右を上手という。このように、男雛を右、女雛を左に置いてきたのが京都。
これに対し、男雛を左に、女雛を右に置くのが東京方式で、昭和初期に現れた。当時の写真で天皇が左に立っていたという説や、御所の左近の桜、右近の橘(たちばな)にならい、華やかな桜は皇后に、橘を天皇にみたてたという説などがある。
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