2010,11年(平成22,23年)の開発談合について


 2015年6月5日(金)に情報公開請求で入手した「北鎌倉素掘りトンネル対策 面談の概要メモ」(第1回は平成22年6月1日、第2回は8月6日)および「JR北鎌倉駅沿いのトンネルに係わる×××××氏、辻会長との協議記録」(平成23年8月24日と11月8日)の四つの文書で明らかになったのは、「トンネル対策」はごく少数による開発談合によって仕組まれていたことです。北鎌倉一帯をどこにでもあるような平凡なまちに改造していくための「まちづくり計画」、その突破口、シンボルが「トンネル対策」というわけです。

 「コンビニや病院などがないと住みにくい町」「北鎌倉は、いま住みにくい町になっている」との前提から、「鎌倉が発展するためには北鎌倉の整備が必要である」との北鎌倉改造計画とでもよぶべき全体像です。そのためには「一時的に景観が崩れる」ことをいとわず、緑が残ればいいだろうとの発想です。こうした戦略の元に、「短期的方策」「中期的方策」「長期的な方策」を練っています。

 「長期的な方策」の眼目は、「横須賀線の地下化」「JR全体の地下化」であり、これによって路地の風情は一掃され、北鎌倉駅周辺は激変してしまい、開発が一挙に進行するのは必定です。
 「中期的には、北鎌倉駅の改札の地下化」がうたわれ、トンネルを崩して4m道路にする地点が出入り口の1つに想定されています。こうした「ビジョンは持ちながら、方向をコントロールしていくべきだ」と、ごく少数の内密な企みとして推し進められてきたことがわかります。

「短期的な対応」として「JRの電柱の移設」あるいは「北鎌倉駅のバリアフリー化」「駅の仕組み、出来映え」「屋根をつける」「東瓜ヶ谷の道路の真ん中にある桜の木」が問題にされています。

 かくして、「××の9割はトンネルを残してほしいという意見だと思うが、安全を考慮すると擁壁とすべき」「撤去する案で纏まるような説明をし、理解を得たい」という「トンネル対策」を打ち出しています。開発談合にとって、トンネルの開削・破壊は短期的・中期的方策の最大の眼目、長期的な方策の地ならしに他なりません。

 ちなみに、これまで「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」に都市整備部が参加し、昨年12月にはその協議会会長が陳情を提出するという不当性を問題にしてきました。すでにこの談合の時点で、×××は、副市長・都市整備部部長、道路整備課長を前にして「市へ要望書を出したらいい」と語っており、官製談合とでもよぶべき出来レースが当初より仕組まれていたことになります。
 この要望書は間もなくして、平成22年10月7日付け、11町内会会長連名の「北鎌倉駅ホーム脇道路」の安全対策に関する要望、として市長に提出されています。(昨年10月20日の集いの資料集参照)

 最後に、これまで鎌倉は、高度成長期を中心に、大規模に緑を喪失してきましたが、バブル崩壊後は保存運動の成果もあり、緑喪失率は鈍化傾向にありました。しかし、昨今の経済状況を鑑みるに、ディベロッパー、不動産屋、銀行などによる開発の荒波が迫っていると危惧せざるを得ません。大船や鎌倉駅周辺に比して緑がずっと豊かに残る北鎌倉周辺がその餌食にされようとしているのです。
 小さな、愛らしい緑の洞門を保存したいという地元住民の熱意は、ただ単に1つの洞門を残せばいいということではなく、「平成の北鎌倉攻め」とでも呼ぶべき開発の津波を止めたいという意志です。

2015年6月9日(火)
北鎌倉緑の洞門を守る会(北鎌倉史跡研究会) 代表 出口 茂


ことの真相が明らかになる記録文書を入手

 第1回 北鎌倉素掘りトンネル対策 面談のメモ(H22.6.1)
第2回 北鎌倉素掘りトンネル対策 面談のメモ(H22.8.6)
JR北鎌倉駅沿いトンネルに係る■■■■氏、辻会長との協議記録(H23.8.24)
JR北鎌倉駅沿いトンネルに係る■■■■氏、辻会長との協議記録(H23.11.8)