鎌倉市都市整備部の回覧文書を糾す


  10月の中頃から、「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会 事務局 鎌倉市都市整備部 道路課整備担当」による「『北鎌倉駅裏トンネルの安全対策』についてのお知らせ」が、「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」(以下、協議会と略)に参加する12町内会に回覧されています。

1.住民自治を反故にする採決をしてから事後通知するやり方

 回覧文書にあるように、8月の第5回協議会(12町内会、JR横浜支社、円覚寺、雲頂庵、大船高校、小坂小学校、北鎌倉幼稚園、都市整備部が参加)において「トンネル部分を撤去し、擁壁工事を行う開削工法が採択されました」。このような重大な決定が、ほとんどすべての地元住民が知らないままに強引になされ、反対してももう遅いと思わせるようなやりかたで、事後通知的に回覧で知らせるやりかたそのものが住民自治に反する不当なものです。
 当会が、9月20日以来現在まで、協議会に参加する12町内会に1万枚以上のチラシを全戸配布した結果、はじめて地元住民は事の重大さを知り、驚き怒り、トンネルの保存を求める多数の意志が広まっています。回覧文書は、こうした多数の反対意見を知りながら、意図的にひと言も触れていません。
 反対意見を無視して、都市整備部による一方的な情報だけが天下りで回覧されるのは、著しく公平さに反します。

2.情報操作する都市整備部道路課の資料に信憑性はない

 当会が10月20日の「北鎌倉駅沿いの岩塊・トンネルの保存について考える集い」の資料集で公表し、翌日は都市整備部部長と2人の次長に抗議しましたように、道路課はとんでもない行政文書の偽装、情報操作を行っています。このことは、文化財課がテープ起こしをして作製した7月文化財専門委員会会議の議事録と、道路課が協議会に提出したものを比較すれば明瞭です。
 さらに、昨年6月にトンネルに接する地権者が道路課に渡した保存を求める意見書はいまだに協議会に提出されず、握りつぶされたままです。この文書も上記資料集に転載してあります。
 加えて、当該岩塊・トンネル部分が国土交通省から鎌倉市に管理が移ったのは、ずっと平成5年からと言い続け、行政文書にそう明記してきたにもかかわらず、9月25日に当会が9名で都市整備部に面会し、事細かに追及してはじめて、実は平成16年からだったと訂正するしまつです。
 こうしたことから、都市整備部道路課が提出するトンネル破壊を誘導する資料や計画全体の信憑性はすでに地に落ちております。

3.トンネル崩落の危険については様々な評価がある

 上述の文化財課の議事録には、道路課の森課長が「25年前に私が担当していたときに、施工するところまで行った。」と述べています。正確には、26年前の1988年(昭和63年)のことです。都市整備部道路課は、今と同様のトンネル破壊計画をたて、施工する(つまり実際に工事する)ところまで推し進めたが、反対にあって断念したということです。
 しかし、上述の9月25日の場で、都市整備部はこの当時の破壊計画書の行政文書の存在を認めていないのです。まったくもって信用のおけない話ばかりです。
 都市整備部は26年前も今と同じように、トンネルは危険だ、今にも崩落するとの理由でトンネル破壊を企てたのですが、その後四半世紀以上たってもなおトンネルは崩落していません。
 9月の鎌倉市議会決算審査特別委員会によれば、平成25年度の道路維持補修事業の中に「北鎌倉トンネル改修設計業務委託」が計上されています。都市整備部道路課は、1月10日から来年2月まで、サンコーコンサルタント株式会社に業務委託し、この会社によるトンネルの安全調査や工法の設計が都市整備部の資料となっているのです。こうした資料に、トンネル破壊を執拗に望む都市整備部の意に反するような不利なデータがはたして出てくるものでしょうか。

 10月9日に当会が11名で市長に面会したおり、会員の知り合いの建築家によるトンネルの構造はあんがい丈夫だとの見立てを市長に説明してあります。
 また、現場を知る、ある専門家の所見では、「トンネルは一体化した岩盤で、そう簡単には崩落しない。天井部のひびわれ補修、岩塊の強度確保には手の打ちようがある。重量貨物列車は走らず、電車は停車低速走行で鉄道関連の衝撃インパクトはすくなく、むしろ、車両、バイク走行による負担があるだろう。アンコールワットの写真で記憶があるとおもうが、石造物、岩塊崩壊要因として植物根が一番始末が悪く・・・いままで放置していたことがおかしい」と述べています。

4.26年間安全対策を放棄してきた道路課

 最近のチラシの全戸配布のおりも、ある植木職人が「チラシではじめて知ったが、あの上の木々は前からわかっていたけど、間伐して手入れしないとだめだろ、トンネルによくないよ」と語りかけてきました。
 しかし、都市整備部道路課はこの26年間、岩塊・トンネルの上部の間伐・手入れを行わず、荒れ放題に放置してきました。平成5年からではなく平成16年から市の管理に移ったとしても、国土交通省に強く手入れを求めることはできたし、ましてや市の管理に移った後に手入れできたはずです。
 もし26年前に今にも崩落するとして破壊の施行の直前までやろうとしたのであれば、なおさら手入れをして安全対策を施すべきでした。やらなかったということは、実は安全などどうでもよくて、トンネルが脆くなることをよしとして、次の破壊の機会を座して待っていたということになります。

5.保存を前提とした安全対策を!

 私たちは、史跡、景観として大切であり、地層としても貴重な岩塊・トンネルの保存を前提とした安全対策を求めます。
 トンネルに根を伸ばす上部の木々の間伐、手入れをただちに行うこと。
 現在トンネルの円覚寺側にある臨時の改札に加え、大船側に新たな改札を設けることをJRに強く求め、トンネルを迂回できる通勤、通学を確保すること。
 できるだけ現状に近い保存方法、安全対策として補強策を図ること。メッシュ+モルタル吹付工法や他の有効な工法を比較検討すること。

6、緊急仮設工事案から車を通すために開削案へ

 では、なぜ協議会は、補強策を捨てていきなり全面的に破壊する採択に至ったのでしょうか?
 回覧文書には、4回分の議事録(議事録といえないほどお粗末ですが)によると、まず3月の第2回協議会で「トンネルの緊急仮設工事を実施する」と決定しており、道路課は5月の第3回協議会に、緊急仮設工事の三つの工法案を提案しています。
 第3回協議会の議事録によると、その提案を受けて「トンネルの緊急仮設工事・・・実施に伴って自動車が通れるかどうかについては、事務局で検証を行う」「緊急仮設工事の工法の選定については・・・協議会会長と事務局を中心に検討をすすめる」と決めています。
 つまり、車を通せるかどうかが工法選択の唯一の判断基準となっており、安全対策についていずれがベターなのかは何も触れていません。しかも、車が通れるかどうかの検討も協議会会長と道路課に委ねられているのです。

 ところで、回覧には含まれていない第4回協議会の資料によると三つの緊急仮設工事案以下のようになっています。

対策案1覆工コンクリート 横1m60cm 高さ1m58cm
対策案2ライナープレート 横2m10cm 高さ1m84cm
対策案3メッシュ+モルタル吹付 横2m35cm 高さ1m93cm

 案3から案1に向かって、内側の補強部分が順次分厚くなっています。しかし、案3はこの幅で、大型車ならともかく、はたして車が通れないといえるのでしょうか。案2でも少なくとも小型の車なら通れるはずです。北鎌倉の路地沿いでは、2mに満たないところを、その幅に合わせた小型車を購入して家から路地を通って道路へと通行している家庭が決して珍しくありません。

 ところが、7月の第4回協議会の議事録によると、案の2と3について「両案とも自動車の通行が出来ない」と断定し、自動車が通れるかどうかを第1の判断基準とし、その上で「緊急仮設工事は、メッシュ+モルタル吹付工法よりも坑口部分の保護があり、安全なライナープレート工法を選択し、近隣住民との実施に向けて協議を進める」と述べています。
 しかし、ほとんどすべての近隣住民に知らせないままだったのは周知の事実です。事を公にしないで、史跡、景観の保護や地層の重要性、と安全性の両立を目指すのではなく、最終的に大型の車が通れるかどうかを基準に工法を決めようとするのは言語道断です。

 第4回協議会で道路課は、緊急架設工事と同時に「トンネルの恒久安全対策(案)」として全面破壊する「開削工法」「トンネル工法」を提案しています。この資料も回覧にはありません。
 そして8月の第5回協議会においては、トンネルを内部から補強する「緊急仮設工事」は脇に押しやられ、「開削工法」が強引に採択されているのです。その様子は当会会員3名の傍聴によってつぶさに見聞きされています。しかも、文化財専門委員会会議の議事録を偽装するような情報操作をやった上での採択ですから正当性がありません。
 では、何のための緊急仮設工事案だったのでしょうか?道路課による26年間不変の全面破壊を押し通すための方便にすぎないような扱いです。
 緊急仮設工事案から開削工法へと誘導する論理は、車が通れるかどうかという言説であって、トンネルに合わせて車の大きさや駐車場を選ぶのではなく、車にあわせてじゃまならぶっ壊せばいいという私的な暴論です。

 以上から、10月27日付けですでに送付しました「「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」参加各位への要望書」において要求した通り、トンネル部分を撤去し、擁壁工事を行う開削工法の採択の白紙撤回を求めます。