住民監査請求の陳述を行いました


  2月16日(火)午前10時から約1時間、鎌倉生涯学習センターの第5集会室にて、2月2日に提出した「住民監査請求」の陳述を行いました。

 正面の二人の監査委員に向かって左側に、陳述人である出口茂、鈴木一道(北鎌倉緑の洞門を守る会共同代表)、佐伯剛弁護士(馬車道法律事務所)、他に二人の請求人が座り、向かって右手には、鎌倉市議を含む8名の傍聴人が参加しました。

 冒頭に鈴木一道が緑の洞門の歴史的・文化的価値を中心に陳述し、ついで出口茂が開削による血税浪費をやめ、保存が十分可能であることを陳述しました。(それぞれの内容について、陳述向けに作成した文章をぜひご参照下さい。)最後に佐伯剛弁護士が法的観点から開削の予算執行の違法・不当性を陳述しました。

 初めての経験で、質疑応答もなく、監査委員が陳述を聞いておわり、という進行に、正直びっくりしました。開削の予算を執行しようとする側とその違法・不当を訴える側、その双方が意見を述べ、質疑応答を含めて審査するのが本来のやりかただと思います。

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 以下に陳述者である当会共同代表、鈴木一道と出口茂の陳述内容を掲載いたします。


緑の洞門は鎌倉市が歴史と共生できるか判定するリトマス試験紙だ
鈴木一道 


1 はじめに
 私たちは、「北鎌倉史跡研究会」として2013年の12月から活動を開始した。2015年3月に「北鎌倉緑の洞門を守る会(北鎌倉史跡研究会)」と名称を変更し今日に至っている。この2年間はさまざまな職業を持つ者たちの活動で、身体的、資金的にその負担は決して楽なものではなかった。それでも、歴史的にも景観的にも大切な洞門を安全に次の世代に引き継ぎたいという思い、それだけで各界の専門家にヒヤリングをし、JR、消防署、警察へ出向き事実の確認をし、市役所で情報開示請求をするなどの地味な活動を続けてきた。
 また、約100人の会員が海外をも含む約2万筆の署名を集め、8回の住民集会を開き、そして昨年10月には緑の洞門ニュース(その前身を含む)等を要約した約100ページの『緑の洞門(北鎌倉駅隧道)を巡るながれ』を刊行した。
私たちがこういった活動をする中で、鎌倉市では洞門の開削を先に決定して、その理由づけに洞門の危険の喧伝を行うという方針を決め、安全対策協議会をして地元意思を歪曲する機関として機能させたことなどが判明してきた。
 私たちは、北鎌倉の魅力を高めているこの洞門の歴史的、景観的価値に鑑み、その保存を求めてきた。そして安全対策を講じながら保存をすることが可能であり、安全対策にかかる経費が開削にかかる経費に比して安価であることも明らかにしてきた。
 ここでは、4人の専門家の評価を紹介し、その歴史的価値から洞門を含む岩塊はこれを保存すべきことを訴える。


2 専門家の評価
矢島國雄氏(一般社団法人日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会委員長)は、丁度一年前に、鎌倉市長松尾崇および鎌倉市教育委員会教育長安良岡靖史宛の下記要望書等(2015年1月28日)を提出している。
  「鎌倉市円覚寺西側結界遺構の保存に関する要望について」
  「鎌倉市円覚寺西側結界遺構の保存に関する要望書」
 ここでは、「小さな洞門の開けられた岩塊は、北鎌倉の風景によく溶け込み、近隣住民のみならず観光客にも鎌倉の入り口の象徴的存在として永く親しまれてきました。しかし、この岩塊の意義は何よりもその歴史性にあります」とし、次の3点を挙げている。
  ・円覚寺の寺域範囲を示す西側結界
  ・北条泰時の四角四境鬼気祭という境界祭祀の隣接地
  ・源氏の先祖により、平安時代後期以来、鎌倉の北の境界とされてきた可能性の高いもの

 そして、「まさしくこれは中世鎌倉の景観を今に伝える歴史的遺産であり、世界遺産再登録をあらためて目指す鎌倉市にとっても、将来、「武家の古都」の資産として有効な活用が望めるものです。…。住環境の安全性の確保は何より優先されなければなりませんが、遺構の歴史的意義を無視した今回の計画については撤回を求めざるを得ません。…。今また、街角に残る貴重な中世の風景が失われようとしています。
 遺跡は一度失われると二度と元には戻りません。1000年近く前から生き続けてきた遺跡が、この工事によって、失われようとしています。市長および都市整備におかれては、この計画の無謀さをぜひ認識していただきたく、賢明なご判断をお願いするしだいです」とし、「文化財保護の観点により事態を深く憂慮し、工事計画の撤回を求めます」と結んでいる。この要望書に対して、鎌倉市が如何なる対応を取ったかは不明である。

古川元也氏(神奈川県立歴史博物館主任学芸員)は、昨年10月から12月に開かれた遊行寺の一遍聖絵展で公開された、円覚寺に比定される場面の絵について、「路に沿って水路が走り、町屋は通りに面して両側に並んで、雰囲気は1334頃成立の『円覚寺境内絵図』に通じるものがある。…。北鎌倉駅に隣接する近代の洞門の保存が取りざたされているが、こういう歴史的検証をするためにも、地域の風景は残したいものである」とする。(『国宝一遍聖絵』遊行寺宝物館発行 2015年10月 pp.102~105)

内海恒雄氏(鎌倉世界遺産登録推進協議会広報部会長)は、「尾根は国の史跡にすべき景観だ」と強調し、「中世から近世にかけての『鎌倉の玄関口』という重要な場所に当たる上、鎌倉特有の谷戸地形も良く残っており、日本遺産や世界遺産登録を目指す鎌倉には欠かせない」としている。(『神奈川新聞』2016年2月12日)

馬淵和雄氏(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会委員・同理事)は、円覚寺結界遺構の歴史的意味を問うとして、『一遍聖絵』における北鎌倉の「木戸」は岩塊前面の十王堂橋付近の可能性が高いとし、また、十王堂橋一帯の境界性、北鎌倉の北の入り口としての塁壁についてふれ、岩塊一帯の歴史的重要性を指摘している。これに続いて、「鎌倉時代以前から長く生きてきた景観を、たまたまその時に担当した市役所職員が壊す権利はない」、「現代人の要求を優先してどうしても遺跡を壊すのであれば、それがどういうものであったか、できる限り正確に調べ、できるだけ原型に近い姿で国民の前に提示しなければいけない」と喝破している。(「鎌倉・研究ライブ!第1回『円覚寺の奇跡』レジュメ」2016年2月)


3 まとめとして
 開削が実施されれば、円覚寺の結界、鎌倉の北の境界はその形を失うことになる。この岩塊の先端は、かつては現鎌倉街道十王堂橋にまで延び、そこには関所、十王堂、安倍の晴明石があった。北条時宗が鎌倉へ入ろうとした一遍を押しとどめたのもこの地であったとする専門家の見解もある。したがって、この岩塊は横須賀線開通によって、その先端を破壊されたとしても、中世鎌倉の景観を今に伝える歴史的遺産であり、鎌倉市にとっても「武家の古都」として保存すべき資源である。
 鎌倉市においては、これら専門家の保存を要望、期待する文書に対して、また保存を求める多くの市民の声に対して市長、市議会議員、市役所幹部が真摯に向き合い、そのうえで開削しか方法がないとしたのであろうか。最初から開削を前提として、洞門を利用している地元住民や通勤通学者に対しては、安全対策協議会という名の数多くの虚偽を介在させて恐怖心をあおる団体を組織化し、一連の手続きを進めてきたのではないか。
 既に鎌倉市は開削の業者を決定し、開削計画を実施に移す積りであるようだが、まだ計画を撤回することはできる。
 計画を撤回せずに、たとえ開削が完了したとしても、この歴史をないがしろにし、専門家や住民の意見を無視してきた行政のやり方は批判され続けるであろう。
 そして、いつの日か開削を誰が何のために必要としたかが判明し、鎌倉市による血税の使い方は正しかったのか否かが糾弾されるに違いない。道理の通らないことは、いつか必ず破綻する。
トンネルは最近のもので、守る価値はないと、一部には岩塊の歴史的価値について否定的な意見を発する者がいる。トンネルの歴史がたとえ100年に満たないとしても、トンネルの開削は、1000年の歴史的価値を持つ岩塊の破壊を意味している。
 一歩譲って、現時点でその評価が定まっていないとしたら、差し当りこれを保存し、その判断を将来の研究に委ねるというのが、科学的態度であり、古都鎌倉の我々が尊重すべき態度であり義務でさえある。
歴史的価値を認める専門家が多く、その安全対策が開削工事よりも安価にできるとしたら、選択すべき代替案はいずれか、その答えは容易であろう。
 鎌倉市の歴史的遺産は鎌倉市だけのものではない。鎌倉市はその保全の責任、義務を社会に、すなわち日本に対してのみならず、世界に対しても負っていることを忘れてはならない。


住民監査請求での陳述向け原稿
鎌倉市は保存を忌避し浪費を強いています  出口茂

1.名越切通・やぐら・洞門の保存の実例


 1)「緑の洞門(北鎌倉隧道)保存・安全対策の提言」

 北鎌倉緑の洞門を守る会(北鎌倉史跡研究会)は、2015年12月10日、鎌倉市長、歴史まちづくり推進担当部長、まちづくり景観部部長、都市整備部部長にたいし、「緑の洞門(北鎌倉隧道)保存・安全対策の提言」第一提言を提出しました。さらに、2016年2月4日、その第二提言を提出しました。
 様々な専門家のご協力をいただいて鋭意努力して作成したこの第二提言は、多様な保存工法から保存イメージ図にいたる説得力あるものです。この提言は、「緑の洞門保存・安全対策募金」によせられた数多くの鎌倉市民の篤志よって作成しえたものです。
 鎌倉市長ならびに行政は開削を拙速で予算執行する前に、こうした市民の声、熱意、提案に誠実に応対し、市民的な提言を話し合う機会、協議の場を設ける責務があります。

 2)逗子市が名越切通を保存した教訓

 上述の提言がとくに参照したのは、逗子市における名越切通・まんだら堂保存のすばらしい実例です。昨年二度にわたって名越切通の保存現場を調査し、逗子市教育委員会を訪れて保存に尽力した担当者と話し合い、その「保存の哲学」に感銘を受け、まとめたものです。
 そこで私たちが得た確信は、保存する意志さえあれば、最新の保存技術を駆使して、必ず保存できるという真実です。逗子市が事前の調査費を含めて数千万の金額で保存できたのですから、はるかに小規模の緑の洞門をずっと安価に保存できるのは明らかです。

 3)逗子市が脆弱な洞門を保存した実例に学ぶ

 とくに第二提言は、まんだら堂にあるNo.24やぐらを逗子市が保存した例をとりあげています。このやぐらは緑の洞門とほぼ同規模の洞門で、「無数の亀裂が発達していることから小規模な落盤を繰り返し生じたと考え」られるものです。
 緑の洞門はこれまで落盤したことはありません。側壁の剥離・剥落があったとされるだけで、それすら何の証拠も残されていません。素堀で掘られてからおよそ85年の間、洞門としての安定したアーチ構造を保っています。
 より脆弱な洞門を逗子市が保存し、ずっと安定性のある緑の洞門を鎌倉市が保存できないわけがないのです。

 4)交通遺跡としての保存の哲学

 逗子市が、通行止め、放置や破壊に組みすることなく、交通遺跡として保存したのに比し、鎌倉市は、釈迦堂の洞門・切通を通行止めにして放置し、大仏坂切通を含めて交通遺跡としての保存の哲学を持たず、歴史的・文化的に価値あるものをいらずらに劣化させています。
 本来鎌倉市こそが、逗子市以上に交通遺跡の保存の哲学を称揚すべきです。

2.開削に固執する鎌倉市行政の瑕疵

 1)逗子市の成果物を無視する鎌倉市行政

 逗子市は「『名越切通』における対策工事の考え方や進め方、具体の対策工法などについて、同様な史跡を抱える自治体の皆様に大いに活用され、全国規模における史跡整備の一助になればと考え」報告書を提出しています。(逗子市教育委員会「国指定史跡名越切通 崩落対策報告書」平成19年3月)
 隣接する鎌倉市がこの成果を知らないわけがありません。十分承知の上で、緑の洞門保存を忌避し、税金を浪費する開削しか選択しなかったのはまさしく行政の瑕疵です。

 2)鎌倉市は一度も保存の検証を行っていない

 逗子市は、保存にあたる部門がしっかりしており保存の実績あるコンサルタントに依頼し、立派に保存事業を実現しています。それに対し、鎌倉市は、そのような保存の努力・検証を一度も行っていません。
 鎌倉市行政は、今から約28年前からずっと緑の洞門の開削・破壊を意図し、企画してきました。これまで3千万円を超える税金を浪費して調査を依頼してきたコンサルタントは、保存事業の実績のないところです。
 土木の専門家によれば、同じ土木関係とはいえ、保存のノウハウがあるかどうかが雲泥の差です。それは、医療にたとえれば、産婦人科と終末医療ほどの落差です。その意味で、鎌倉市がこれまで緑の洞門をめぐって、保存の実績ある業者に一度も調査を依頼しなかったのは行政としての瑕疵です。

 3)グロテスクな保存イメージ図について

 鎌倉市が「財団法人日本トンネル技術協会」に委託した「北鎌倉隧道安全性検証等業務」の「報告書」において描かれた保存のイメージ図が大問題となりました。それは、土木の専門家が一別してその異様さに驚くほど稚拙で、悪印象をかもしだすものでした。
 保存の実績もノウハウもない業者が描いたからです。
 逗子市の保存の実績を参考にすれば、そんなグロテスクな保存イメージ図になるわけはないのです。

3.鎌倉市行政の危険を煽る情報操作

 鎌倉市は、これまで緑の洞門の危険性を不当に煽りたて、開削・破壊のために税金を浪費して意図的な情報操作をしてきました。

 1)鎌倉市都市整備部による公文書偽造

 「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」(辻会長 地元12町内会、地権者、学校関係、そして都市整備部が参加 以下、協議会と略)は、2014年8月の第5回協議会において、強引な議事運営で緑の洞門の開削を採択しました。この採択のひとつの根拠とされた「文化財専門委員会会議」の「議事概要」は都市整備部道路課によって改ざんされたもので、公文書偽造にあたることが発覚しました。

 2)恐怖を煽る崩落予想図の流布

 2014年10月、都市整備部は地元12町内会に洞門崩落の危険を煽る文書を回覧しました。しかし、このカラーの崩落予想図には根拠のないことが判明しました。鎌倉市議会で問題にされたにもかかわらず、なんら訂正の回覧はなされていません。

 3)行政が議会に陳情する前代未聞

 2014年12月、協議会の辻会長、他4名によって提出された洞門開削を促す陳情書が市議会で採択されました。協議会の会長名でのこの陳情は、行政である都市整備部が構成メンバーとなっているにも関わらず市議会へ陳情するという前例のない不当なものでした。

 4)開削を誘導するための通行禁止

 2015年4月、「剥落の危険」を理由に緑の洞門は通行止めにされました。剥落・落石対策を施せば、十分保存でき、通行も可能にもかかわらず、不便が強いられたのです。

 5)開発談合と開発利権

 2010年から2011年にかけて、当時の副市長、都市整備部など行政、山ノ内下町中町内会の辻会長と他二名の地元有力者の間で、4度にわたって「開発談合」というべき会合がもたれました。そこで、緑の洞門開削は鎌倉駅周辺の開発の突破口と位置づけられています。

 歴史的・文化的価値、緑や景観を大事にしていくとの基本姿勢を押し出す鎌倉市は、その本文をまっとうすべきです。保存のための技術の日進月歩もノウハウもわかっているはずです。開発・破壊よりも保存の出費がずっと安価だともわかっているはずです。それでもなお開削・破壊に莫大な税金を投入するのはなぜなのでしょうか?
 なぜそのような税金の浪費、犯罪的行為に手を染めるのか、すべての市民に明確にすべきです。

4.地権者の同意なしに予算執行、開削工事はできない

 今手元に開削工事のための膨大な仕様書、「北鎌倉隧道安全対策工事(市道434-0465線)の入札にかかる文書一式」があります。その中に、「施工条件等」として「関係機関との未成立協議内容」が記されており、2016年2月までの「隣接地権者」との協議を行うことが述べられています。最後にこの点に関して述べます。

1)隣接地権者の意見書を隠ぺいした都市整備部

 緑の洞門に円覚寺側で接する私有地の地権者は、本住民監査請求の請求人でもあります。
 この隣接地権者は、2013年6月に都市整備部道路課に「意見書」を提出しました。しかし、この保存を求める意見書は、協議会が開催され、そこで開削案が採択された後まで隠ぺいされ続けました。隣接地権者の開削反対・保存の意向をなきものにして、開削のレールが強引に引かれていったのです。

2)隣接地権者への誠意ある対応を放棄し続けた都市整備部

 鎌倉市がもし開削にかかる工費をできるだけおさえようとする意志があれば、隣接地権者に誠意ある対応をして説得に努めるはずです。しかし、実際はそのような対応を放棄しつづけています。
 2015年10月にいたるまで、議会での答弁として明らかになっていることですが、円覚寺側から工事を、地権者の許可・同意がなくてもやると断言しています。
 加えて、2015年12月21日には、隣接地権者に事前の連絡も、許可を得ることなく、私有地に立ち入っての測量が無断でなされました。

3)大船側からの工事による税金の浪費

 ところが、2015年11月以降、緑の洞門の大船側から、そして雲頂案の山側から手作業で工事をする工法に一転しました。分厚い仕様書にも、そのような人力・手作業による工法が明記されています。
 円覚寺側から車を入れて行う工法にたいし、この工法は、大船側は1.3mの狭い道が線路沿いに続いており、人力・手作業によるたいへん手間のかかる工事になり、それだけ工費を浪費するのは必定です。

4)隣接地権者の同意無しにありえない

 以上、鎌倉市民の血税をいらずらに浪費しての開削工事は不当です。
 いかなる工法によろうとも、工事にともなって隣接地権者に被害を及ぼす蓋然性を否定できず、隣接地権者の許可・同意を得ることは開削工事着工の前提とされるべきです。
 隣接地権者との協議、その同意なしに予算の執行は着手されてはならないのです。


当日の様子は、以下にも紹介されています。

ジャーナリスト高木規矩郎さんBlog「鎌倉の世界遺産登録を考える」

工事直前住民最後の抵抗か(開削が決まった「緑の洞門」7)


市議会議員 保坂れい子さん
北鎌倉隧道・住民監査請求 請求人の意見陳述
住民監査請求―請求人、関係職員双方立ち会いの意見陳述に