洞門をこわしてはいけない7つの理由


 4月19日の集会「北鎌倉駅沿いの岩塊・洞門の保存に向けて 経過とこれから」にて配布した資料集に掲載した「洞門をこわしてはいけない7つの理由」を以下に公開いたします。ぜひご一読ください。
 この7つの理由は、鎌倉市在住のジャーナリスト高木規矩郎さんのブログ「鎌倉の世界遺産登録を考える」でも取り上げられています。

洞門をこわしてはいけない7つの理由

情報を操作してまで危険性を煽り、壊して取り除く計画をする人たちが居ますが、安定化の工事さえすれば、当然危険性はなくなります。明らかに不安定だった逗子名越切通しも整備(補強)工事で安全になって、常時通行可能となりました。他にも良い例は多々あると思います。
技術的観点からは、あの切通しが遺せて緑の洞門が遺せない訳がありません。名越切通しは「国指定史跡なので遺すほかない」という意思で遺りました。即ち論点は技術の問題ではなく遺そうとするかしないかだけです。洞門の価値を認めて安全に保存するか、取り除いた場合の利益を求めて開削工事をするかの一点ということになります。

■歴史的価値
このトンネルのある岩塊は鎌倉の貴重な文化財です。
重要文化財円覚寺境内絵図にあるように、円覚寺の結界であり、鎌倉の内外を隔てる境界として重要な史跡です。平安時代後期よりこの岩塊は鎌倉の北の境界でした。もとは前面の鎌倉街道まで伸びていたもので、鎌倉時代中期には第三代執権についたばかりの北条泰時が、鎌倉を災いから守る四角四境祭をこの岩の外側でおこなっています。また鎌倉時代後期には円覚寺の西側境界ともなりました。
一遍上人が第八代執権北条時宗に出会う「一遍聖絵」の有名な巨袋坂の場面は、この岩塊の先端の路上です。鎌倉時代の鎌倉を今にとどめる貴重な遺跡です。

■北鎌倉として
今の洞門ができたのは、そもそもは明治の横須賀線の開通、昭和の初めの北鎌倉駅の開設によります。いわば大きな歴史の流れの中の、必然と偶然が作り出したものです。この地が北鎌倉と呼ばれること自体が北鎌倉駅を理由としています。感慨深い歴史の綾です。従って、この洞門はある意味で北鎌倉駅と一体の存在事由であり、駅と共に北鎌倉の絶対的シンボル、北鎌倉を北鎌倉にしている由来なのです。私たちには、北鎌倉駅と周辺の風情を守る努力をする責任があります。
街の姿は、時にゆるやかな、時に激動の、歴史と自然の大きな流れに沿うものとしてあるべきで、良い街が必要とする時間の蓄積は、人間の人生の長さを遥かに超えています。このように大きな流れの景色を、たまたまその場に居合わせた人間の、目先の都合や欲で簡単に変えるということは、決して許されないのです。

■里山的価値観
北鎌倉の大きな魅力のひとつは、鎌倉の中でも特に、いわばその里山的風土にあります。首都圏にあり、大都会の中心からも近く、その暮らしに疲れた人たちが訪れて、一様に「ほっとする」といって愛でる空間です。
岩塊が、このようなトンネルとしても残って欲しい理由は、それが里山的価値観のシンボルでもあるからです。自然から逃げるのでも押さえつけるのでもなく、自然と折り合いをつけながら、謙虚に生きる美しい姿だからです。住んでいる多くの人たちがそれを愛していて、そのような街だからこそ人々は北鎌倉を訪れるのです。
大型店がなく広い道路がない、だからこそ北鎌倉に住み始めた人たちが沢山います。自然の豊かな環境で子育てをしたい人が増えています。歴史と自然の中での散策を楽しむ人々が近隣から訪れています。洞門をなくし道路を拡幅して、北鎌倉の魅力を破壊することは、このような人々をも遠ざける事になります。

■路地を護る「結界」として
線路沿いの細い路は、今でも単車の通行量が増えています。洞門のあるおかげで、「すわ抜け道!」と思って入り込んでくる車や単車は引き返すはめになっているのです。洞門がなくなり拡幅されたら、線路わきの小径には、今以上に単車が往来するようになり、自動車がうっかり入りこんでくることでしょう。歴史を感じながら子どもたちと安心して歩ける小径は、洞門の存在によって護られているのです。

■世界への責任
鎌倉は、奈良、京都、金沢、萩、・・・諸々の魅力的な街々と比べても、古都でありながら、首都圏にあり湘南の香りも近く、非常にユニークな魅力を内外から認められ注目されています。
このような鎌倉の玄関、北鎌倉のシンボルになっているものを、一部の人の一時の迷いで、無くしてしまうと言うことは、決して許されません。
そのことを指摘する多くの声が、既に上がっています。

■過去への責任
洞門をこのような姿で守り抜いてきた、過去の人々。それなりに不便を感じていた人も居たかもしれません。しかし、それ以上の価値を認めて、街の一部として、自分達の暮らしの一部として、そして自分自身の一部として大切にしてきたと思います。
鎌倉、北鎌倉は一時期すさまじい勢いで壊され続けようとして来ました。先人たちはその姿と価値を守るために、涙ぐましい努力をしてきました。そのお陰で辛うじて今があるのです。その努力と心を、私たちが今ないがしろにしてしまうというのは、許されることではありません。

■未来への責任
子ども達は一様に、この洞門のことが好きです。これから生まれてくる子ども達も、きっとそうでしょう。一部の人たちの一時の迷い、浅い考えと欲のために、かれらに意見を言う機会も与えず、無くしてしまうということは、許されません。
古くからの遺構が地域となじんだ歴史的環境も、車の往来から守られた自然環境も、破壊されてしまえば,二度と取り戻すことはできません。「洞門をなくすこと」は、一帯の「開発」への一里塚です。安全対策という偽の看板の裏側で、広い道路を中心とする「開発」によって、貴重な風景が永久に失われてしまうことを許していいでしょうか。