「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」発言要旨


 1120日 「第6回北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」が行われ、市側の要請により当会としての意見を以下の通り表明いたしました。市側の要請で意見表明したにもかかわらず、残念ながら協議会構成メンバーの一人である町内会長から「何であんな人を呼んで発言させるんだ?せっかく(開削工事の方向で)進んでいる話なのに・・・、ああいう人には発言させないほうがいい!!」という趣旨の発言があったことをご報告いたします。


 北鎌倉史跡研究会代表の出口茂です。まず冒頭にこの場で発言するに至った経緯について簡潔に述べます。
 1020日に「北鎌倉駅沿いの岩塊・トンネルの保存について考える集い」を開催しましたおり、都市整備部・道路課が、文化財専門委員会会議の議事録を改ざんし、洞門破壊に向けた情報操作をしていることを公表しました。それを受け、翌日に都市整備部部長、2人の次長と面会して抗議した最中、協議会に参加して意見を言えばいいじゃないですか、と突然の申し出がありました。協議会への参加はお断りしましたが、意見を述べるだけならいいですと返答し、ここにいるわけです。
 それでは、緑の洞門(北鎌倉駅沿いの岩塊・トンネル)の保存を求める地元住民のたくさんの願いを代弁して、鎌倉市都市整備部ならびに協議会に対して意見を述べます。

1.協議会の名称について

 「北鎌倉駅裏トンネルの安全対策協議会」(以下、協議会と略記)という名称はその議事録によると、昨年12月の第1(仮称)北鎌倉トンネルの安全対策協議会において、あえて「駅裏」を挿入して決定されたものです。
 JRの改札に「東口」と明記されているのに、なぜ円覚寺、雲頂庵側が「裏」なのでしょうか?コインの裏表とかの話ではなく、公的な組織が名のる名称としてはとても信じがたいことです。
 子どものころの「表日本」「裏日本」という呼称を覚えておりますが、ここ何十年もの間、そのような侮蔑的で見下すような表現はしないというのが世の常識として定着してきたはずです。協議会には鎌倉市都市整備部が参加しており、こうした常識を知らないはずはありません。
 名は体を表すと申します。なぜ、社会的な信用を無くすような名称をあえて名のるのでしょうか。

2.協議会の議事運営、発言について

 協議会が公表している議事録は羊頭狗肉で、常識として議事録ではなく、決定事項報告とでも呼ぶべきものです。発言や議事進行が何もわからないからです。
 前回828日の第5回協議会は、初めて私どもの会から傍聴することができ、どのような運営、議論がなされ、開削工事(全面破壊)を採択したかをつぶさに知ることができました。驚いたのは、賛否が公平に扱われず、疑問や批判、反対意見をねじ伏せるような乱暴で強引な議事進行によってなされたことです。
 その中で、「反対派と地権者がいっしょになるとまずい」との発言もありました。また会長は、「ようは、金さえあればいいんだよ」とまで発言しています。こうした発言が何を意味するかは、あえて私が申し上げるまでもないことです。これは、たとえば誰かが、近所の飲み屋で暴れて暴言を吐いて出入り禁止になったというレベルの話ではありません。傍聴者もいる公の場、公開の場での、会を代表する人の発言なのです。
 トンネルを破壊したいと仮定したとしても、破壊の工事のためにトンネルに接する地権者の同意を得るべく人倫に基づく礼儀を通すのが常識でしょう。協議会を代表して道義もモラルもなき振る舞いをした会長がどう対処すべきかは、もはや私の口から具体的に言うまでもないことです。

3.地権者の意見の握りつぶし

 当会が1020日の「北鎌倉駅沿いの岩塊・トンネルの保存について考える集い」の資料集で公表し、翌日は都市整備部部長と2人の次長に抗議しましたように、道路課はとんでもない行政文書の偽装、情報操作を行っています。このことは、文化財課がテープ起こしをして作製した7月文化財専門委員会会議の議事録と、道路課が協議会に提出したものを比較すれば明瞭です。
 さらに、昨年6月にトンネルに接する地権者が道路課に渡した保存を求める意見書はいまだに協議会に提出されず、握りつぶされたままです。この文書も上記資料集に転載してあります。
 加えて、当該岩塊・トンネル部分が国土交通省から鎌倉市に管理が移ったのは、ずっと平成5年からと言い続け、行政文書にそう明記してきたにもかかわらず、925日に当会が9名で都市整備部に面会し、事細かに追及してはじめて、実は平成16年からだったと訂正する始末です。
 こうしたことから、都市整備部道路課が提出するトンネル破壊を誘導する資料や計画全体の信憑性はすでに地に落ちております。

4.安全第一を無視にしたのは誰か?

 私どもの会では、地元住民に真実を知らせるため、この2ヶ月で約18000枚のチラシを配布してきました。その全戸配布のおりも、ある植木職人が「チラシではじめて知ったが、あの上の木々は前からわかっていたけど、間伐して手入れしないとだめだろ、トンネルによくないよ」と語りかけてきました。
 しかし、都市整備部道路課は26年前にも今回同様の破壊計画を企てて町内会長の反対に直面して断念したわけですが、その後四半世紀以上も岩塊・トンネルの上部の間伐・手入れを行わず、荒れ放題に放置してきました。平成5年からではなく平成16年から市の管理に移ったとしても、国土交通省に強く手入れを求めることはできたし、ましてや市の管理に移った後に手入れできたはずです。
 もし26年前に今にも崩落するとしてトンネル破壊工事施行の直前までやろうとしたのであれば、なおさら手入れをして安全対策を施すべきでした。やらなかったということは、実は安全などどうでもよくて、トンネルが脆くなることをよしとして、次の破壊の機会を座して待っていたということになります。
 最近、1979年(昭和54年)当時、つまり前回の破壊の企ての9年前の当該岩塊・トンネルの写真を見つけ出しました。その写真は、岩塊に生えた木々はずっと少なく、岩の形状がわかりやすいものでした。
 その変化を目の当たりにするにつけ、都市整備部道路課による安全第一無視の責任を痛感します。

5.岩塊とトンネルの構造的安定性について

 考えても見てください。もし崩落の危険があると仮定しても、崩落による被害と4m道路になってオートバイや車両がスピードをあげることによる交通事故の被害とを確率的に対比した場合いったいどちらが危ないと言えるでしょうか?
 都市整備部道路課が7月の文化財専門委員会に提示した資料にある「トンネル推定破壊モード」の下には大きな赤字で「緊急仮設工事必要」とありました。しかし、10月から12町内会に回覧した都市整備部の文書では、同じデータであるにもかかわらず、異なった結論を導いています。またもや意図的に危険を扇情的に煽る都市整備部による情報操作に他なりません。
 しかも、この図の岩塊は、事実と異なり不当にデフォルメされたものです。この件について当会としては、すでにこれまで様々な土木関係者、建築家、専門家から貴重な証言をいただいております。さきほど触れました35年前の写真と比べても、あるいはトンネルのすぐそばから目視するだけで、おかしいとすぐわかります。
 したがって、都市整備部道路課の今にも崩落するという根拠、構造上の安定性、力のかかり具合などが全く違ってきます。

6.保存を前提とした安全対策について

 緑の洞門(北鎌倉駅沿いの岩塊、トンネル)は、円覚寺の結界である史跡、人々が慈しみ愛でる景観として大切であり、3百万年近く前の噴火を起源とする鎌倉ガーネットという地層としても鎌倉が誇れる貴重な財産です。地元住民はもとより、訪れる観光客、世界遺産登録にかかわるユネスコなど世界の願いを集め、保存に努め、後世に残す文化遺産です。
 その意味から岩塊・トンネルの保存を前提とした安全対策を求めます。
 トンネルに根を伸ばす上部の木々の間伐、手入れをただちに行うこと。
 現在トンネルの円覚寺側にある臨時の改札に加え、大船側に新たな改札を設けることをJRに強く求め、トンネルを迂回できる通勤、通学を確保すること。
 できるだけ現状に近い保存方法、安全対策として補強策を図ること。メッシュ+モルタル吹付工法や他の有効な工法を比較検討すること。

7.住民自治について

 協議会のありかた、やり方は住民自治に反するものです。町内会長や役員会は、当該住民の意思を知り、尊重してはじめて自治会としての本分を果たすことができます。
 駅沿いの道路、トンネルを通る住民が、曲線を描いて素堀された洞門がオートバイや車輌の減速を促す自然の安全バリアーとしての存続を求め、危険な4m道路に反対していることがなぜ無視され、勝手に開削案採択などできるのでしょうか。
 協議会は828日の開削案採択をいったん白紙に戻すべきです。
 私たちは、1111日から開始した署名運動で住民の意思を示していきます。

20141120日 北鎌倉史跡研究会代表 出口茂