まるまツアー IN NAGASAKI(A^^;)

1999.8
利用したツアー・・・全日空スカイホリデー/上手にフリープラン
 長崎2・3日/50,400円
往路:8/5 設定便/羽田空港663便 10:45発 12:35着
復路:8/7 設定便/長崎空港668便 18:10発 19:50着
指定ホテル/ホテルニュータンダ 095−827−6121

8月5日(木)晴れ
<出発>台風8号が発生していました。長崎のお天気を気にしながら、横浜から京急線を利用して羽田空港へ。 手荷物検査を済ませ、搭乗口へ。サア搭乗!と思ったら、長崎行きの搭乗口は1階の奥の奥にあって、なかなか行きつけません。 やっとたどり着いたら長蛇の列でした。ひょっとしてみんな、「長崎から」参加者だったりするかも(笑) 列の途中にピョンと長身の若い男性がいるのが目に付きました。おお〜、あれは・・・思わず声をかけてしまいました(笑) 機内では、さっそくスカイミュージックをチェック。「桜月夜」が入ってるじゃないですか(^^)v 
長崎空港では、原田泰治さんが同じ便から降りてこられるところに遭遇。もう、ドキドキしてしまいました(笑) 一瞬、声 をかけたい衝動にかられてしまったけど、よく考えると一面識もないものねぇ(A^^;) 私は、勝手によく存じあげているんですけど ねぇ。到着ロビーを出ると、真っ赤なTシャツを着た茶パツの若者が「さだ企画御一行様」と書いた紙を持って立っています。 「誰が来るのかな?」と思って見ていると、ちょっと派手なアロハを着た渋めのおじ様(笑)出現。ゲストのブレッド& バターの弟さんでした。その男性が案内されて行ってしまうと、つづいてノーメイクの小柄な女性が。「どこかで見たことがある」と じっと見ていたら、すれ違いざまに目があってしまいました(A^^;) 「あ、尾崎亜美!」と判ったのは、10秒以上経ってから。 今回のゲストを思い浮かべれば、すぐわかることなのにね(A^^;)
「長崎駅行き」のバスに乗り込み、1時間ほどで長崎駅近くの県営バスターミナルに着きました。 (バス料金1,200円) 台風なんて嘘のようにいいお天気。気温もすごく上がっていました。

友人達と長崎駅で合流して、「正覚寺下」方面行きの市電に乗って「西浜町」へ。 万屋町?で開かれているピーススフィアのパネル展示会を見ました。長崎のボランティアさん達が作ったという、パッチワークを 見ることができました。(まさしんぐWORLD No.134「ピーススフィア事務局だより」参照)
近くでお茶したあと、江山楼・浦上店へ行きました。今度は逆方向の「赤迫」方面行きに乗って「茂里町」下車。 長崎文化放送の向かいに、ブリックホール がありました。まさしさんは、ここの名誉館長なのね〜。「イチジキカンチョー」のトークを思い出してしまいました(笑)
梁川橋を渡ると、すぐに江山楼。「秘伝」に歌われた「魔法の鍋」の味、たっぷり堪能しましたよ。横浜の中華街の味とは 違うような気がしました。 あっさりしているのにコクがあるというのかな?どれもこれも美味しくいただきました。お腹にずしりときたのが、おまんじゅう (肉まんの肉なしみたいなもの)に、こってりと甘辛に煮た豚バラ肉をはさんでたべるという料理。最後は、全員お腹いっぱいに なってしまって、揚げボールみたいなお料理は食べられなかった。もったいないので「お持ち帰り」にしました。

食事会を終え、長崎駅前の居酒屋白木屋に移動。雨がパラパラ 降り出してきましたが、駅前の陸橋の上にある広場では、市民の「お祭り」のイベントが始まっていました。道路にも出店が 出ていて、人通りも多かったです。 2次会を終えて外に出ると、雨が強くなっていました。「明日は暴風雨になるから、ビーチサンダルを買ったほうが いいですよ。」とアドバイスされて、コンビニでビーチサンダルを購入。ちょうど2足しかなかった。買えてよかったね〜。
オランダ坂下にある「ニュータンダ」(まさしさんのかつての常宿)は、すっかり照明を落としてしまっていました。長崎のホテルは 夜が早い?まあ、時間も12時だったからね(A^^;)

8月6日(金)はコンサートレポートです。


8月7日(土)曇り時々雨
6時半起床。長崎滞在最後の日。昨夜の「長崎から」の余韻も冷めやらぬまま迎えた朝は、小雨に煙っていました。グラバー邸は あのあたりかな。ピーススフィアの建設予定地も近くだよね。そんなことを思いながら、ぼおっとベッドに座って遠くの空を 見ていました(A^^;) 今日で長崎ともお別れ。そんな寂しさがこみ上げてきます。が!!・・・今日は、まるまツアーの醍醐味を 味わう日です(笑)
ホテル裏手の「オランダ坂」へ。(GOODプロポーションのモデルは、枚方のきりんさんです。)雨に 濡れた石畳も風情があって、なかなか良いですね。まさしさんも「出島の屋敷は雨ばかり・・・」 (「紫陽花の詩」)と歌っていたけど、長崎は雨の似合う町なんでしょうね。
「市民病院前」から「築町」で乗り換えて、待ち合わせのために「長崎駅前」へ。 長崎の市電は、後ろから乗って前で降りるときに料金を支払うのですが、一律100円です。 「乗り換えします」といえば、乗換え券をくれるという点も良心的ですね。コストを下げるために、ワンマンにして車両も各地から 払い下げてもらっているのだとか。1両なので、混んでいるときの乗降りは大変だけど便利ですね。子供の頃乗っていた鹿児島の 市電を、懐かしく思い出しました。 運良く雨も上がり、いよいよ超まるまツアーの始まりです(笑)

蛍茶屋から鳴滝までは
中川越えてく 川端柳
他人(ひと)の心をごまかすように
七つおたくさ あじさい花は
おらんださんの置き忘れ
     (「紫陽花の詩」)

「螢茶屋」方面行きの電車に乗り、終点「蛍茶屋」へ。(写真下左)まっさきに「蛍茶屋」へ。やっぱり、ここはは ずせませんね(笑)  途中に「伊良林小学校」が見えました!。「螢茶屋」は、今は名前だけなのですが、昔ここに峠の茶屋があったそうです。
「長崎県の歴史散歩」という本によると「溺れ谷の深くきりこんだ湾内にある長崎市は、まわりを高い山にかこまれている。 長崎から陸路そとにでるには、このけわしい山をこえなければならない。いくつかの通路のうち、古くからもっとも往来が さかんな街道が、長崎の東につらなる日見嶺をこえ、諫早に通じる長崎街道だ。街道の起点となったところが市電の東終点、螢茶屋。 古くはホタルの名称地で、茶屋がひらかれていたのでこの名がある。」と書かれています。 今は川底がコンクリートで固められていて、ホタルの姿も見られなくなってしまったとか。残念ですね。
余談ですが、「日見峠」という名前は「女郎花」の歌詩に出てきますね。早朝まだ暗いうちに螢茶屋界隈の宿を出立した旅人が、 ちょうどこの峠で日の出を見ていたことから「日見峠」というようになったそうです。たぶん昔はこの峠まで、旅立つ人を見送った のでしょうか。

「紫陽花の詩」の歌詩どおりに、中川を越えて(橋を渡って)しばらく上流に向かって歩いていきました。まさしさんが小学生 の時に見ていた風景とは、すっかり変わってしまったんでしょうね。川沿いぎりぎりにビルや住宅が建ってしまって、 川端に柳の木は見当たりませんでした。(写真下中)
しばらく歩いて行くと「ここが『鳴滝』という土地の由来の場所じゃないかな?」と教えてくれた場所は、ほんとに 滝のような轟音が響いていました。さっき見た静かな中川からは信じられないくらいの音です。ここだけは、手をつけずに (コンクリ化せずに)残してあるのですね。(写真下右)

鳴滝から左に折れて(右手に学校の校庭が見えました。県立女子短大かな?)少し歩くとシーボルト宅跡。(写真下左) そうここ!ここです!(笑) ここでまさし少年は、よくキャッチボールをしていたんでしたね。いつだったか、このシーボルト像に よじ登っていましたっけ(笑)>まさしさん。
思っていたよりも小さな公園だったので、ビックリしました(A^^;) でも子供にはちょうどいい遊び場だったんでしょう。まさし少 年が遊んでいたのを想像すると、なんだか不思議な気持ち・・・。タイムスリップできたら、あの日のまさし少年に会いたいな。
シーボルトは蘭学医としての業績もたくさんありますが、中国から出島に伝わったアジサイを、愛妻お滝(彼女は丸山の遊女で あった)の名前にちなんで「ヒドランゲ=オタクサ」と命名したのを、「お滝さん花」と長崎の人が呼ぶようになったそうです。 シーボルトは、海外持ち出しを禁止されていた地図を持ち出そうとしたとして、お滝と愛娘・お稲(のちの「オランダお稲」)を残 して国外追放になったのですが(シーボルト事件)、きっと紫陽花の頃は、シーボルト像を囲むようにオタクサが咲くのでしょう。

他人(ひと)の心をごまかすように
七つおたくさ あじさい花は
おらんださんの置き忘れ 


隣りにある赤レンガの「シーボルト記念館」を閲覧して、急ぎ足である場所へ。長崎に行ったら、 絶対に行きたかったのが実はここだったりするんです(笑)  それは、まさしさんが今でも長崎に帰ると上っているらしい「城の古址」。昨日の雨で、さぞや大変な山道になっているだろう と思ってズボンで行ったのですが、案外あっさりと上れてしまいました。もっとも、シーボルト宅跡から城の古址へ行くまでが 大変だったんです。詳しい人が一緒じゃなかったら、到底行きつけなかったかも知れません。
それにしても、さすが長崎坂の町です。ほんとに息が切れてしまうような坂道ばかり。横浜も坂が多いけど、それ以上に急坂 が多いような気がしました。

まさしさんを真似て、城の古址の岩の上に立って眺めた風景を撮りました(笑)(写真上右) まさし少年の秘密基地にこっそり 入りこんだ気がして、ちょっとドキドキ(A^^;) きっと友達と一緒の時ばかりじゃなく、悲しいことがあったときも一人でここに 上ったんでしょうね。
城の古址は唐渡山(とうどさん)とも呼ばれ、13世紀頃に長崎小太郎重綱という人物が城をかまえていたのだそうです。 その当時は諏訪神社のあたりから岬が突き出ていたそうで、今の長崎の市街地のほとんどは埋めたてなんですね。1571年の 長崎開港までは城の古址周辺が長崎村といわれ、いわば長崎発祥の地と言われています。城の古址は、ごつごつとした岩場の 多い山なのですが、かつて長崎の石橋・石門・石柱などは、すべてここか風頭山から切り出されたそうです。(参考「長崎県の 歴史散歩」)
雨はすっかり上がって陽が差してきました。このあと気温がぐんぐん上がって、汗びっしょりになりながらもまるまツアーは 続きます。

石田屋〜伊良林小学校〜自由飛行館〜眼鏡橋

城の古址から裏道づたいに山を下ります。どこをどう下りたのかわからない(A^^;)・・・地元の人しか知らない ようなレアな道です。まさし少年も、ここを下りたのかな〜。「夫婦川町」から「桜馬場」の商店街に近づき、途中 「この辺に「ヨシムラ」のモデルの吉村さんが住んでいるらしいですよ。今は、駄菓子屋をやっていないみたいだけど・・・」と 言われて、キョロキョロしているうちシーボルト通りに出ました。
次に連れて行ってもらったのは、さだ家御用達のお饅頭屋さんの「石田屋」さん!! そうそうここで、まさしさんの好きな「やぶれまんじゅう」を買うのが夢だったんです(爆) お店の中には、まさしさんのサインとまさしさんと鶴瓶さんとお店のご主人の3人の写真が飾ってありました。創業明治10年、今は 「万寿庵」という店名になっています。(本店/桜馬場中学校前)
おやつ用に「やぶれまんじゅう」の黒餡と白餡を2個ずつ買いました。袋に印刷されていたキャッチフレーズは(ちょっと長いけど) 「お酒の相手は遊びの相手 苦労しとげて茶の相手 お茶の相手は石田饅頭」と書かれていました。

電車通りに出て、道向かいにある「伊良林小学校」へ。まさしさんが、2年生から6年生の途中までを過ごした小学校で、「転宅」 の歌や「真っ赤なバラ」のトークの所縁の場所です。「いちばん貧しかった時代だけど、思い出すのはあの小さな家の思い出ばかり」 と、まさしさんはよく言っていますね。「転宅」の舞台になった「学校の裏通り」を見そびれてしまったのですが・・・。 まだあるのかな?>赤いバラの家
伊良林小学校の門の前で記念撮影をして、「自由飛行館」へ。市電「新中川町」から「西浜町」で「正覚寺下行き」に乗り換え、 終点「正覚寺下」下車です。さっき螢茶屋に行くときは気がつかなかったけれど、伊良林小学校から西浜町まで行く途中に、あの 「長崎市公会堂」がありました。23年前グレープのラストコンサートが行われた場所ですよね。 (*正確には、4月3日が長崎市公会堂、ほんとのお別れは4月5日の長崎市民会館でした。)

「自由飛行館」は 崇福寺赤門の前あたり。(鍛冶屋町6−32)そうそう、長崎は「町」は、「まち」といそうです。「鍛治屋町」は「かじやちょう」 ではなくて「かじやまち」なんですね。「たぶん、並んでいますよ。」という言葉通り、お店の外も人だかりで入ることができ ませんでした(A^^;)  待っている人の中には、稲佐山で知合った方たちもいました。知り合いが店内にいたので、一緒に 昼食を取る約束をして、私達は近くのコーヒー専門店で待っていることにしました。 あとで聞いたのですが、前夜(つまり稲佐山コンサートのあと)自由飛行館でまさしさん達の打ち上げが行われ たので、店内の壁にゲストの記念のサインがあったそうです。今度長崎に行ったら、ゆっくり見たいなぁ。

私達が入ったコーヒー専門店は、「ギィ・ラ・カランドル」。コーヒーの香りってとってもいい ですねぇ。内装もとても落ちつく感じの雰囲気です。知り合いと合流して、浜町・観光通り近くの「吉宗(よっそう)」へ。
「吉宗」は、慶応二年(1866年)からの老舗で、時代劇に出てきそうな大きな旅篭風?の建物。拍子木を叩いて迎えて くれました。茶碗蒸しと蒸し寿司のセットで1,200円。茶碗蒸しも蒸し寿司も丼サイズでビックリしましたが、とても美味しかった です。
ここで一緒に食事をしたメンバーは、山路さん、枚方のきり
んさん、トトロさん、岐阜のTさん(初対面)、千葉から参加の 魔女の宅急便さん(初対面)と黄菜の6人。 Tさんは、山路さんと6日の朝「さくら号」の車中で知合い、魔女の宅急便さんは、自由飛行館の開店(11時)を待っているときに Tさんと知合ったそうです。そんなふうに知合いが増えていくなんて、普段のコンサートでも顔見知りが増えないわけではないけ れど、やっぱり「長崎から」ならではの出会いかも知れませんね。

思案橋から眼鏡橋
今日は寺町 回ってゆこうか
それとも中通りを抜けてゆこうか
雨が降るから久しぶり
賑橋からのぞいてみようか

列車の時間がせまっているTさんが先に抜けたあと、残ったメンバーは観光通りから中通りを通って眼鏡橋へ。子供の頃によく 見た鹿児島の「眼鏡橋」に似ていて、ちょっと感激〜!! 鹿児島の眼鏡橋も、台風の水害で流されたことがあるんです。 グレープ時代の「幻の自主制作」のレコジャケを「ホモの心中」直前みたいだと笑うトークを思い出しながら(笑)、記念撮影をすませ、 次のまるまポイントに移動開始です。

諏訪神社〜月見茶屋〜桜町小学校

電停「賑橋」から「諏訪神社前」へ。 道路から見える大きな鳥居をくぐり、長い石段を上り「おくんち」の舞台になる「踊馬場」を通り、「長坂」(73段の石段) を上がります。「おくんち」の時、長坂の両サイドは徹夜で場所取りをするほどの特等席だそうです。
このとき「前夜祭」の代わりに「裏くんち」があるそうですが、「裏くんちは、かなりアブナイです。(笑)」とまさしさんが言って ましたけど、かなり色んなパフォーマンスが繰り広げられるようですね(笑) なにしろ、「裏くんち実行委員会」もあるそ うですから(爆) 「長崎では、階段のことを『坂』というのですよ。」と教えられました。
「これからが、諏訪神社の面白いお参りの仕方ですよ。」と案内されて拝殿の裏手へ。恵比須様と大黒様の恋占い (恵比須像と大黒像の間を目をつぶって歩く)は、さすがにチャレンジできなかったけど、「詩歌の神様」があった のでお参りをしました。ひとつでもいいから会心の歌が詠めますように!(-人-)
面白いなぁと思ったのが「願掛けの狛犬」・・・お願い事をして狛犬の頭を押さえてぐるっと回す・・・丸山の遊女達の間から 始まった願掛けと書いてありましたが、最後のほうに音楽の神様と書いてあったのを見て、 ・・・これからもまさしさんが素晴らしい歌を作れますように・・・狛犬を回しました(笑)

夾竹桃の花は 紅い花
私の涙は 銀の鈴
お諏訪の森の風は
日見の峠を越えて来る
親の便りを乗せながら
あの人の面影を しのばせて     (「女郎花」)


諏訪神社の左へ行くと「月見茶屋」がありました。 ここは見晴らしのよい場所で(写真下左)、月見をするためにしつらえた古い家屋がありました。昔の人は、ここから英彦山にかか る月を愛でたのでしょうか。月見族の私としては、非常に気になる場所です。たぶん、まさしさんはここにも良く来たのでしょう ね。
月見茶屋を出て、勝山小学校(現・桜町小学校)へと徒歩で向かいます。まさしさんが、5,6歳の頃、おばあちゃんに連れてこ られた「長崎県立図書館」の案内板を見つけました。まさしさんは、バイオリンのお稽古のために幼稚園には行っていなかった から、友達が幼稚園に行っている間の練習のない時は、よくここへ来ていたそうです。4歳から「かな」が読めたというから、す ごいですね〜。


勝山(現・桜町)小学校(写真下左)に通っていた1年生のころのお家は、東上町の大きな家だったのですよね。今は上町になって いるのかな。当時「向陽亭」という大きな料亭があって、その庭の木でターザンごっこをやったとか(笑) どの辺にあったのかな〜?  
勝山小に着いた頃、雨がパラパラ降ってきましたが、ほどなく止みました。学校の裏通りから、桜町公園の前に出て・・・桜町公園 といえば、「(おくんちの時に)桜 町公園のジャングルジムから、近くの教会の屋根の尖った所をすり抜けて、お旅所までふわーっと飛んだことがある」という話の公 園です。さーっと通りすぎてしまった。もっとじっくり見ておくんだったわ(A^^;) 
そのまま道なりに歩いていくと、NBCビデオホールの前に着きました。(写真下右)そう、ソロデビューのコンサートがここでし たね。
「304の席」にこだわったまさしさん、グレープの初ライブもここでしたし(この時、業界初キャバレー方式があみ出されたとい う(笑))、それよりもっと以前、繁理さんと二人でデモテープを作った時も、このビデオホールを借りきって録音したという話も ありましたっけ。「僕はいづれ304の席に戻ってくるんだ。それが歌い手の宿命なんだ。」という言葉が、ふっと胸をよぎりま した。その日はまだまだずっと先のことでありますように。

初めての長崎なのに、普通の観光客が行かないような場所ばかりの「まるまツアー」になりましたが(笑)、た くさんの人と出会いたくさんの思い出ができました。お会いした皆さん、お世話になりました!ほんとに ありがとうございました!

愛の重さや夢の値段を 数える程に寂しい時は
石畳と教会の屋根を すり抜けて丘へあがってごらん
宝石箱に身を投げたような 港の夜を抱きしめてごらん
大空に深く横たわる川が この町に注ぎ込んで 光る海になる
 (「長崎小夜曲'90」)
おわり

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