背景/蘭子さん

寧楽

神々の声がこだまするような万葉の香りを残した大和路は、ふみしめるごとに私の心を 古代世界へと引き戻し、憧憬と快いほどの寂寥感をもたらした。
仏の前に座りそのお顔を見つめていると、遠い昔こうして人々が手を合わせた姿がうかんでくる。 数々の仏と出会うごとに私の心は、きよめられていくのを感じた。

緑に包みかくされた秋篠寺はこじんまりとした美しい寺で、薄暗い本堂内には伎芸天女が 身をひそませていた。伏し目がちにやさしいほほえみをうかべ、どんな罪深き人をも許し 包みこもうとする豊かさで語りかけてくる。丸みを帯びたふくよかな肢体、すこし腰をひねられた立姿は、見る者に感動を与えずにはいない。 「ああこの人は生きている」そう思わずにはいられぬほど、暖かさとやさしさにあふれた天女像であった。
昭和54年3月


以下は原文

「大和路を旅して」
古代文化への憧れをいだいてまほろばの地大和を歩いていると、神々の声がこだまするような万葉の香りを残した大和路は、私の心を古代世界へと引き戻し、快いほどの寂寥感をもたらした。
仏の前に座りそのお顔をじっと見つめていると、遠い千年も昔にもこうしていろいろな苦悩を持った人々の手を合わせる姿がうかんできた。数々の仏と出会うごとに、私の心は清められていくのを感じた。

緑の中に静かに包みかくされた秋篠寺は、こじんまりとした美しい寺であった。薄暗い本堂内には、伎芸天女が身を潜ませていた。伏し目がちにやさしい微笑みをうかべ、どんな罪深き人をも許し、包みこもうとする豊かさで語りかけてくれた。
丸みを帯びたふくよかな肢体、すこし腰をひねられた立姿は、見る者に感動を与えずにはいない。 「ああこの人は生きている」そう思わずにはいられぬほど、暖かさとやさしさにあふれた天女像であった。

岩船寺は優しい農村風景の中にあった。石仏の道を歩いていくと、所々に一袋百円と書かれたビニール袋がぶら下がる無人の販売所がある。石仏に見守られているせいか、無断で持ち去る人はいないと言う。
岩船寺の境内は、山寺らしくこじんまりとしていて静かであったが、どこか寂しい感じがあった。歴史を偲ばせる三重の塔や裏山にひっそりと立つ石仏に、ある種の感慨を持たずにはいられなかった。本堂内に安置された阿弥陀如来には、他の寺のものとは異なって、上生印を示す両手の親指と人指し指との間に、網目のような水かきがついていたのが印象的だった。

今度の旅で私はすっかり奈良にまいってしまった。明るい初夏の光を浴びて歩く飛鳥や当尾の里は、古代人の足音や涙や笑いが今も木々の向こうから聞こえてきそうな気配で、私は胸をおどらせてばかりいた。次はぜひ晩秋の大和路をと、今から想像の旅は始まっているのである。
53年6月