京都・東山〜「三面千手観音坐像」に会う旅


突然、大雨に降られた八坂神社まえで


2003年8月17日に行われた「さだまさし平安神宮コンサート」 の翌日、3年ぶりに京都を歩きました。
今回の散策の目的は、243年ぶりにご開帳された清水寺の「三面千手観音」にお会いすることと、 小説「精霊流し」の文中に出てくる知恩院近くにある「行者橋」を探すこと。
まずは、観光客で混まないうちに清水寺へ。 川原町三条のホテルからタクシーで、寺前の参道・清水坂を あがり仁王門前まで。 タクシーの運転手さんに「平日だから混まないですよ〜。観光なさるんなら、京都駅から遠いところから 見て回って、だんだん京都駅に戻ってくる回り方がいいですよ」と言われながら(苦笑)
確かに3年前来た時、まだ時間があるからと嵐山方面まで行ったら、帰り道が大変だったなぁ。 市の中心からちょっと離れると、交通機関の時間配分を十分に見ておかないと心配です。

修学旅行の集合写真は必ずココと決まっている仁王門は、折り悪く工事中でした。門脇の階段をあがり 境内へ。随求堂で「胎内めぐり」に挑戦しました。 地下へ降りていくと、ほんとに真っ暗。漆黒の闇。鼻をつままれて もわからないというのは、こういう暗闇のことを言うのでしょう。私ひとりでは、怖くて途中で、 立ち往生してしまったかも。胎内めぐりを怖いなんて言ったら、バチあたりかな。 たぶん目をあけているより、目をつぶっているほうが恐怖感は薄れるような気がします。
壁際のロープを伝いながら、どこをどう歩いているのか・・・たぶん狭い空間を壁伝いにぐるりと回って いるのでしょう・・・、このまま果てしなく続いている道だったらどうしようと不安な気持ちになり 、中央に薄明かりを見つけたときには、折り返し地点に着いたのだと少しほっとしました。
ぼやっとした明かりの中に、丸い大きな石(漬物の重しのような)があり、それを回して願をかける のだそうです。石をまわす手だけが浮かびあがるぐらいのかすかな明かりでした。 生まれて初めて見たと言ってもいいぐらい。ほんとうに絶望の中のかすかな光というのは、こういう光 かも知れないです。
かなり暑かったはずなのに、胎内めぐりをしている時間は暑さを忘れていました。夏につきものの幽霊 話よりは、ご利益がある胎内めぐりのほうが、同じひやっとしたいならいいかもね。 ガイドブックには、胎内めぐりをしたあとは生まれ変わったような気持ちになれると書いてあったけれど、 そこまで思い至らなかった罪深い私でした。

三面千手観音坐像は、 奥の院のご本尊ですが、ご開帳にあたり清水の舞台で有名な本堂の内奥に 移されていました。坐像の高さは、64.3センチ。正面と左右に計3つの顔と42本の手があります。 (鎌倉時代初期の作)3つのお顔は、現在・過去・未来をあらわしているそうですが、これは他に例がない 坐像とのことです。
本堂の内々陣に設けられた須弥壇には、中央に三面千手観音坐像、両脇は奥の院でも両脇を守っていた 地蔵菩薩像と毘沙門天像が移されていました。三面千手観音坐像は、まばゆいばかりの金箔で覆われ、 頭上にもたくさんの小さな仏面をいただいていました。清水寺は、「縁結び」のご利益で知られるお寺。 牛若丸と弁慶が出会ったのも、清水寺門前と言い伝えられています。三面千手観音坐像を拝観することは、 243年ぶりの縁を結ぶことになるんだそうです。
観音様の手から数本のロープ(壇線)が長く伸ばされていて、そのロープを握ると願いごとが叶うとか。 しっかり握ってきましたよ。手を離したくなかったなぁ(苦笑)

観音様にお願いをして内々陣をあとにすると、 すぐそこは「清水の舞台」。 舞台とはいうけれど、 もともとは仏様に芸能を奉納する場所だったので、(人間用の)客席はないそうですが、 最近は客席を設けた催しも行われることがあるらしいです。 清水の舞台からの眺望は、春・桜、秋・紅葉はもっと鮮やかに記憶に残るでしょうね。
よく、勇気を奮い立たせ思い切ったことをするときに「清水の舞台から飛び降りる」というけれど、 大昔は実際に飛び降りた人がいたそうです。「観音信仰」といって、飛び降りることで観音様に 願いが届くと信じられていたのですね。死んでしまった人も多かったそうですが、大怪我を しても命が助かった人は、願いが届けられたと喜んだそうです。
清水の舞台は、高さ約13メートル。約80本のケヤキの柱でくぎを使わずに支えています。 二十数年前に初めて訪れたときは、ずいぶん高いなぁと思って 足がすくんだような記憶があるんですが、今はもう驚く高さではなくなりましたね。

本堂から阿弥陀堂へとお参りして、音羽の滝 へ。3本の流水は、「黄金水」「延命水」と言われ、所願 成就のご利益があるそうです。
んん?でも、昔来たときには、それぞれの水に、「恋愛」「健康」 「財(お金)」のご利益が分かれていた気がするのだけど?? いつのまにか、変わってしまったんですね。
買わなかったのでいくらか忘れてしまいましたが、お清めされた湯のみ茶碗が売られていました。 200円ぐらいだったかな?
音羽の滝から本堂の下を通って出口へ向かう。見上げると「清水の舞台」を支える柱が壮観でした。

産寧坂 清水寺から産寧坂(三年坂)をぬけて、円山公園、知恩院を目指します。 途中、有名な高台寺がありますが、 先を急いでいたので、桜も紅葉もない高台寺の拝観はパスしました。(拝観料も600必要だしね)
途中、「八つ橋アイス」「きなこアイス」を発見。連れが誰ひとり「食べよう〜」と言い出さなかったのは、 あまりの暑さのせいだったかも。かき氷だったら食べたかな。
円山公園の「しだれ桜」は、やっぱり緑色でした(苦笑) 一生懸命、 満開の桜 を連想しようと試みましたが・・・やっぱり「桜月夜」の風情には程遠い。 「月に隠れて君を抱く〜」なんて無理言わんといて〜なぁ。こだわりのO型の私としては、ぜひ春爛漫の 季節にリベンジしたいと思っています(苦笑)

円山公園を抜けると、すぐ目の前に知恩院の三門が 威風堂々と建っています。本瓦葺きの雄大たる三門の高さは、24メートル。 知恩院は、大小106の堂宇を 構える浄土宗の総本山です。「大晦日の『ゆく年くる年』で除夜の鐘を鳴らしているお寺のひとつ」と いう認識しか、私は持っていなかったんですけども、小説「精霊流し」の中で、主人公・桜井雅彦が 伯母節子の訃報を聞いた直後に、「伯母の宗旨は浄土宗だから」とお参りに出かけたお寺が知恩院だった のです。(小説「精霊流し」P315)
雅彦がお参りを済ませた帰り道、三門へ続く急な階段の男坂ではなく、気が変わって下っていったという、 ゆるやかな女坂を上がって境内へ入りました。

時間がないので、本堂と御影堂だけ拝観しようとしていたら、「このお寺には、初めてですか?」と 見知らぬ壮年男性が声をかけて来られました。文化庁の命をうけて、京都の木々を調査する仕事を されているとか。(ということは、樹医さんなんでしょうか?)私たちが学校の先生に 見えたそうで、研修か下見で来ていると思われて、声をかけてくださったそうです。まあ、5人のうち 3人は、教育関係者なので、見立て間違いではかったんですが。
おかげさまで、素人が見逃しそうな 細かいところを・・・どちらかといえば、通好み?なポイントまで・・・ご教示していただきました。 本堂の扉の蝶番に蛙、河童、亀の人形がついているのは、水の中にいる動物が守っているので、 火を寄せ付けないという意味があること。 本堂の屋根にある名工・左甚五郎が置いた 「忘れ傘」は、指差して教えてもらわなければ、 きっと一生どこにあったのかなぁ?状態だったでしょう(苦笑) それから、除夜の鐘で使われている大きな 銅鐘、「日本三大の鐘ですから、ぜひ見てお帰りなさい」と、 わざわざ案内までしていただきました。 この銅鐘、この場所で鋳型成型して作り、あとから鐘の下、周辺の地面を削ったのだそうです。

知恩院の大鐘 知恩院の大鐘


最後は、「行者橋」探しです。これが意外に苦労しました。 私が持っているガイドブックには載っていませんでしたし、小説「精霊流し」の中でも、知恩院前の交差 点近く、白川の疎水にかかる小さな橋としか書かれていません。
最初は知恩院の黒門から華頂堂を まっすぐに下っていけば、知恩院の交差点につくはずだったのですが・・・勧められて、黒門ではなく 大鐘のすぐ脇の道から丸山公園に戻ってしまったのが、ミスの始まりだったようです。 同じ古門前町でも、祇園(花見小路)よりに向かってしまい、白川はあれども「人ひとりが やっと通れる、手すりのない橋」が見つけられません。白川近くの小間物屋さんに訊ねてみましたが 「行者橋、そんなのはここらへんにはないよ」とつれない返事。
やはり逆方向では?と、大通りに向かって歩いていくと「知恩院交差点前」の標識がありました。 (電車の時間の関係で、ここで一人離脱。) 交通量の多い道路を渡ると、白川が続いていて・・・やっと見つけましたよ!行者橋! 大通りからちょっと小道に入っていくと、すぐにありました。 橋のたもとには、「一行橋」という小さな石碑。「行者橋」と「一行橋」、 地元の人が知らないというのも無理ないかも知れませんね。
実際に渡っても見ました。ほんとに、人ひとり通るのがやっと。 川(疎水)は浅く、水が透き通ってきれいでした。川べりの柳の青さとともに、一服の清涼感を感じました。
行者橋


お昼は、谷村さんおすすめの 「松葉のにしんそば」を食べようということになり、 白川沿いに歩いて、 花見小路を抜け四条駅へ。 花見小路は、紅殻塗りの壁や格子が お茶屋街の趣きを残しています。 春には桜、夏は蛍が舞う白川も、また訪れてみたいものです。
ちなみ「にしんそば」は、とっても美味しかったことを付け加えておきます。
2003年8月
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