青丹よし奈良の都は・・・(2001.2.8)
馬酔木の森の馬酔木に
1年3ヶ月ぶりの奈良。なら100年会館で行われた「さだまさしコンサート」が主で、旅行はついででしたが(A^^;)、精神的に実りの多い旅でした。デジカメを壊してしまったのは、痛かったけれど・・・(T_T)
7日、お昼前に近鉄奈良駅に到着。Kさんと駅前のうどん屋さんでお昼を食べたあと、入り待ちの時間まで(笑)、興福寺や国立博物館を見て回りました。
近鉄奈良駅前の大きな通り、登大路の正面に見える若草山(三笠山)は、1月に有名な山焼きが行われ、まるで芝山のように見えました。山焼きの起源については諸説あるようですが、30万uの山全体が炎に包まれる様子は、荘厳かつ畏怖の念を抱かせるほどでしょうね。
若草山に向って、奈良公園沿いに10分ほど歩いていくと、右手に明治を彷彿とさせる欧風の建物があります。奈良国立博物館です。(興福寺の境内を通り抜けても行けます。)
<奈良国立博物館>http://www.narahaku.go.jp
1895年(明治28年)、日本で2番目の博物館。かつて、森鴎外が館長を務めたこともあったとか。仏像を中心とした仏教美術品が多く展示されていますが、単なる館蔵品の展示のみならず、教育普及活動として、講座や小中学生の親子を対象にした文化財教室、海外での調査研究や交流も盛んに行われているようです。毎年10月下旬〜11月上旬には、正倉院展が開かれます。本館と新館を結ぶ地下回廊があり、ミュージアムショップとレストランがありました。どちらも入館者でなくとも利用可能です。
入り口に券売機があり、入館料(大人420円)を入れるとテレカ大のチケットが出てきて、それを自動改札に通して入館します。本館は、煉瓦作りの平屋建てですが、ルネッサンス様式の重厚さが素晴らしいです。(昭和44年に重要文化財指定)
本館は、国宝、重要文化財の仏像彫刻が展示されていますが、かなりの仏像フリークでないと辛いものがあるかもしれません(A^^;) なにしろ、展示数が多いのです。(正直に言うと、途中で飽きてしまいました(A^^;))インドを始め中東の仏像もありましたが、日本の仏像との面立ちの違いが明らかで、見ていて楽しかったです。日本の菩薩は、女性的な顔立ちですが、外国のものはどう見ても若い男性でした(笑) 学生時代、仏像に詳しい教授がいて、印相(仏像の手の形)の意味を教えられたのですが、今やすっかり忘れてしまっていました。また、勉強してみようかな。
能楽の祖ではないかと思われる舞いの面も展示されていましたが、これもまた大陸伝来当時と、歳月を経て日本文化に取り込まれて行くまでの変化を見ることができ、興味深かったです。
地下回廊には、仏像の制作過程を説明したパネルもありました。ミュージアムショップには、お香や数珠のほかに、絵葉書やスカーフ、「青丹よし奈良」と言われる由縁の「丹」(=朱の墨)もありました。
新館は、絵画・書跡が展示されています。国宝の観音像や曼陀羅図の仏画を見ることができます。東大寺の過去帳(何が書いてあるのか読めなかったけれど(A^^;))は、ちょっとそそられました(笑)
コンサートの翌日、朝食はホテルの部屋に備え付けのお茶といただきものの大福(ゴチソウサマッ!
)で済ませました(笑) まずは、ホテルの近くの「猿沢の池」へ。ここは前回、行きそびれたところです。
<猿沢池>
「水三分に魚七分、澄まず濁らず、出ず入らず、蛙かはずはわかず、藻は生えず」七不思議が伝えられる猿沢池は、興福寺の南にある小さな池です。池のまわりには柳が植えられ、五重塔が水面に影を落とす様は、奈良の観光写真に必ずと言っていいほど出てきますよね。五重塔をバックに、記念写真を撮る人も多いようです。
池のほとりに、悲恋の伝説を伝える采女神社がありました。鳥居を背にした後ろ向きの社は、帝の寵愛が薄れたことを嘆き、この池に身を投げた采女の霊を慰めるために建てられたが、身を投げた池を見るに忍びず一夜にして社が池に背を向けてしまったとか。いつの世も、忘れられた女ほど悲しい人はいませんね(T_T) 9月の中秋には、月明かりのもと、龍頭船を池に浮べ、花扇を水面に流す幻想的な祭り「采女祭」が行われているそうです。
猿沢池から、興福寺へ。一般的には、近鉄奈良駅から興福寺へ行くのですが・・・お許しを(A^^;) 興福寺は、駅前から登大路を若草山方向に歩いて5分。奈良国立博物館より手前にあります。
<興福寺>http://www.naranet.co.jp/koufukuji/index.html
天智天皇8年(669)、藤原鎌足の念持仏をまつった山階寺やましなでらが起こり。その後飛鳥に移されたが、平城京遷都にともない現在の地に移され興福寺となったと言われています。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺のひとつに数えられたそうです。現在は、法相宗大本山。1998年ユネスコ世界遺産に「古都奈良の文化財」として登録されています。
前回来たときも不思議に思ったのですが、興福寺には門らしき門が見当たりません。まさしさんが、ここの山門に座り「まほろば」の曲想を考えていた、と噺歌集には書かれていましたが。今は、門も塀もなく、まるで奈良公園に溶けこんでいるようです。かつてはかなり大きな寺だったので、絶対に大きな門があったはずなのに(A^^;)
実は、私が猿沢池から境内に入ったのには、ちょっとしたこだわりがありました。猿沢池側に、かつて南大門があったとわかったからです。やはり寺には、山門から入らねば(笑)というわけです。
門の跡を記す碑が見あたらなかったので、まさしさんが座っていたのがこの場所なのか定かではありませんが、夕陽を見たとすれば、やっぱりここなのかなぁ。
南大門跡の芝生の庭(般若の芝)では、5月11,12日は薪能が催されるそうです。
ぶらぶら歩いて夕方になったし、疲れたから、興福寺の山門のところに一人でぼーっとすわってたら、芥川の世界に入っていったんです。羅生門、杜子春、蜘蛛の糸、いろんな芥川の作品が思い出されてきて、もしあの蜘蛛の糸を切ったかん陀多が恋人の姿を見つけたら果たして糸を切っただろうか、いっそ二人で落ちようかと思ったんじゃないだろうか、そんなことを思ってたらちょうど夕陽が落ちていくところで、真っ赤な、大きな柿のような夕陽がきれいだった。この世のものとは思われない光景でしたね。(「噺歌集4」より)
興福寺境内から三条通りへ出て、「一の鳥居」をくぐり「飛火野」を目指します。「一の鳥居」(重要文化財)は、春日大社の参道の起点となる大きな木造の鳥居です。参道の両脇には、2000基とも言われる石灯籠が並び、松や杉の木立の中を、道はまっすぐに春日大社に続いています。
私の前にも後ろにも人の気配はなくて、朝の清々しい空気の中をたった一人歩いていると、なぜか涙があふれてきました。押すことも引くこともできない扉の前で、ただ立ちすくむしかない自分の境遇が、堂々めぐりの押し問答を繰りかえす。・・・たとえば此処で死ねると叫んだ君の言葉は、必ず嘘ではない。けれど必ず本当でもない・・・人の世が無常である以上、誓いは愚かなことなのか。しかし、誓わずして何の証が得られようか。「ああ、ここはやっぱり神域なんだ」と思わずにはいられない。まるで、心の底を洗い出されるような、自分でも考えられなかった涙でした(A^^;)
〜春日野の飛ぶ火の野守出でてみよ いま幾日ありて若菜摘みてむ〜
飛火野は、興福寺、春日大社、東大寺、若草山までを含む、広大な奈良公園の一角にあります。「一の鳥居」から5分ほど歩くだけで、深い森に迷い込んでいくような感覚がしてきます。
芝が枯れて茶色のじゅうたんのように見えますが、それもまた、この時期にしか味わえない趣ですね。きっと新緑の頃は、とても気持ちがいいでしょう。
前の日に降った雨のせいでところどころぬかるんでいましたから、用心してそおっと歩いていると、鹿達が「あいつ、何んだ〜?」と言うように、こちらを見ていました(A^^;)。奈良公園付近は、どこに行っても鹿の群れに会います。ちょうどこの時も、7頭ぐらいの群れが道路を渡っていました。若い鹿が、車を怖がったのか?渡りそびれていたら、先に渡り終えた1頭が取って返し、その若い鹿が渡るまで傍についていたのです。親子の鹿でしょうか。鹿の群れは家族体なのかはわかりませんが、ここのところ人間の世界では、親が子を虐待し死にいたらしめるという、悲しい事件が日常茶飯事的に起きていることと比べると、なんとも救われるような思いがしました。
「春日野の飛ぶ火の野守出でてみよ いま幾日ありて若菜摘みてむ」(古今集16番の歌)この歌の時代、春先、野外に出て若菜を摘む事は、楽しい行事であったのでしょう。若菜を食せば万病邪気を払うという謂れがあり、女性は愛しい人のために若菜摘みに熱中していたのでしょう。「飛火野の番人さん、ちょっと見て来てれませんか。あと何日ぐらい経ったら、若菜摘みができますか。早く芽が出てほしいなぁ」そんな願いが、素直に詠まれています。
ある日、奈良へ遊びに行った。初めてというのではない。もう幾度も歩いているが、久しぶりに奈良公園から春日大社へぶらりと歩いた。飛火野という地名が珍しく、名の起こりに興味を抱いた。それから万葉植物園をのぞいてみる。そこで初めて“黒”や“夜”の枕詞“ぬばたま”の実を知る。
馬酔木が、そのまま字づらで読めば“まよいぎ”と読めることを発見して、面白いなしゃれになるな、とひとりでにんまりする。こんな素材を抱えて、家に帰った僕は、書棚をひっくり返して奈良で抱いた興味について追求をはじめる。
人に尋ね、あるいは自分で悩みつつ、ついに『続日本紀』に“飛火野”の由来を発見する。和銅4年に春日野の一角に“烽火(とぶひ=のろし)”の守を置く、とある。すなわち地元の人が“とびひの”と呼ぶその辺りは、もともと“とぶひの”であった。『古今集』巻一春の歌一八に「春日野のとぶ火の野守出てみよ 今いく日ありて若菜摘みてむ」を発見。『新古今集』にも「若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の 飛火野の野べの雪のむら消え」など発見。また、『万葉集』巻二相聞の八九「居明かして君をば待たんぬばたまの わが黒髪に霜はふれども」に感動。(「坂の途中で」より)
<春日大社神苑>(旧名称「万葉植物園」)春日大社の参道の途中にあります。『万葉集』に詠まれた植物約300種には、それぞれの花にちなんだ万葉歌が添えてある。園内中央には池があり、毎年5月5日と11月3日には浮舞台が設置され、春日大社に伝わる管弦や舞楽が催されています。
奈良には何度か来ているのに、ここは素通りしていました(A^^;) さだ歌の舞台を訪ね歩く者として、やはり基本は押さえないといけませんよね(笑)
でも、入ってから、しまった!と思ったんです。そう、この時期咲いている花なんて、ありゃしません。ぜーんぶ冬枯れでした(T_T) それでも、それぞれの植物の前の立て札に書かれた万葉集を、一首ずつゆっくりと読みながら苑内を回りました。木立からさし込む朝の光が柔らかく、あたりの空気まで万葉の香り(いったいどんな香りなんだろう?(笑))がしてくるような気がします。いつのまにか、すっと『まほろば』の世界に入り込んでしまいました。・・・例えば君は待つと 黒髪に霜の降る迄 待てると言ったがそれは まるで宛名のない手紙・・・人の心がいつまでも変わらないものではなくとも、私はずっとあなたを待ちつづけていましょう。それは、宛名のない手紙のように、本当に頼りない誓いだとしても。待つことだけが、今の私に許されていることなのだから・・・。
「居明かして君をば待たむぬばたまの わが黒髪に霜はふるとも」(万葉集・巻二89)
「在りつつも君をば待たむうち靡く わが黒髪に霜の置くまでに」(万葉集・巻二87)
ぬばたまは「ひおうぎ」の実と言われていますが、夏に咲く花は赤い色で(緋扇)俵のような実を結び、割れると真っ黒な艶のいい種が出てくるのだそうです。万葉びとは、その色艶を愛でて「ぬばたまの」という枕詞を生み出したといわれています。「黒」や「夜」のほかに「月」や「夢」にも使われますが、女性の美しい黒髪のたとえにも使われています。
「ずっとあなたを待っています。この髪に霜が降りようとも」そんなせつない女心を詠んだ二首ですが、「霜が降りる」を「白髪になる」と解することができます。初めてこの歌を知ったときから、後者の意味合いを感じ取っていました。まさしさんは「女の情念ってすごいなぁ」と仰っていましたね(A^^;)
神苑内には、奈良を題する名歌を残した会津八一の歌碑や、島崎藤村や折口信夫の歌碑もあり、また現代短歌を代表する前川佐美雄、宮柊二の歌碑もありました。短歌に親しむ者としては、なかなか興味深かったです。帰るとき、受付の方に「宜しければ、感想をお願いできませんか」と言われ、とまどいながら走り書きでしたためた文章。その最後に「さだまさしさんの『まほろば』を思いつつ・・・」と添えました。
私が立ち去ったあと、入れ違うように神苑を訪ねたネットの知り合いが、受付の方に「さだまさしさんの『まほろば』という歌を知っていますか?」と訊かれたそうです。そして「さっき、来られた方が・・・」と言って私が書いたものを差し出されたのだとか。その知り合いは、そのときはそれが私だとはわかりませんでしたが。(名前を書かなかったので(A^^;) 書いてあっても、本名じゃわかりませんよね(笑))後で、『まほろば』の歌詩を送ると約束してきた、ということでした。
受付の方が『まほろば』の歌に興味を持ってくださったことが、思いもしていなかっただけにとても嬉しかったです。意外なことで・・・これも地道な布教活動でしょうか(笑)
<春日大社>和銅3年(710)藤原氏の氏社として創建。神苑のほか、若宮神社の神宝を収蔵する宝物館などがあります。
「神苑」でゆっくりしすぎたので、春日大社本殿には参りませんでした(A^^;) Kさんと待ち合わせをしていた東大寺南大門へ。Kさんとは別のホテルだったので途中で合流したのですが、なんと同じコースをKさんも回ってきたそうです(笑)
南大門(国宝)は、高さ25mの大きな門です。両脇の金剛力士像が、迫力があります。不思議なことに、力士像が向かい合っているんですよ。ともに国宝です。
<東大寺>http://www.todaiji.org/index.html
華厳宗大本山。聖武天皇が早世した皇太子の菩提を弔うために建てた金鐘山寺がはじまり。天平13年(741)国分寺建立の詔によって、金光明寺となり、次第に東の大寺(その後東大寺)と呼ばれるようになったとか。国宝29件、重要文化財121件を有し、1998年ユネスコの世界遺産に登録されています。
「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほき ほとけは あまてらしたり」(会津八一)
前回、中門から覗いただけだったので、今回はしっかりと大仏様を拝顔することに。大仏殿(金堂)は、天平時代のものと比べると小さくなっているそうですが、それでも木造建築としては世界最大と言われています。「奈良の大仏さん」と親しまれている本尊・盧舎那仏坐像は、天平勝宝4年(752)の開眼。高さ15m、重さ380トンと推定される仏像は、造立に26年かかったそうです。盧舎那仏とは、知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出す仏という意味とか。大仏の右後方には、よく知られた穴くぐりの柱がありました。大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴だそうですが、これをくぐると幸せになれる(子供は背が伸びる)と言われていますね。はまったら困るのでチャレンジしませんでしたが、小さなおばあちゃんになったらくぐってみようかな(笑)
大仏殿から鐘楼への少々急な道を上がり、開山堂の脇を通り閼伽井屋を横目で見ながら、二月堂へ上がりました。ところがここで、手を洗おうとしてデジカメを石畳に落下させてしまったんです(T_T) レンズは大丈夫でしたが、シャッターが押せなくなってしまいました。この後の写真は、別に持ってきていたインスタントカメラで撮ることに。でも、スキャナーを持たないので、UPできないんですよねー(A^^;)
<二月堂>(重要文化財)
本尊の秘仏・十一面観音のための修二会(お水取り)が、毎年3月に行われます。修二会の創始者である実忠和尚によって、天平年間に創建されたそうです。創建当時は小規模な建物であったのが、修二会の行法に合わせて構造や規模が整えられたそうです。お堂は斜面に建てられた懸崖造りで、奈良市街を一望できます。堂下に、お水取りの香水を汲み上げる閼伽井屋があります。
二月堂の舞台からの景色は、お天気が良かったので遠くまで見渡せましたよ。写真が載せられないのが、とっても残念(T_T) 修二会の行のときに、松明が駈け上がって来る北の回廊を下りて戻りました。
東大寺をあとにして、国立博物館前からバスに乗って薬師寺へ。時間にして20分ぐらいだったと思います。バス停から薬師寺までは、徒歩5分。拝観のまえに、近くで遅めのお昼ごはんを取りました。
<薬師寺>http://www.nanto.com/yakusiji/
天武9年(680)、天武天皇が菟野皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して造られたそうです。創建当時は都・藤原宮に造られていましたが、平城遷都に伴って現在の地に移されました。南都七大寺の一つとして偉容を誇り、金堂や塔のただずまいの美しさは「龍宮造り」と賞されたそうです。幾度かの火災で次々に焼失し、創建当時の姿をとどめるのは東塔のみとなっています。
「逝く秋の やまとの国の 薬師寺の 塔のうへなる 一ひらの雲」(佐々木信綱)
このあたりは、平城京を二分する朱雀大路の西にあったので「西の京」と呼ばれています。10分ほど歩くと、鑑真和上で有名な唐招提寺があります。薬師寺へ行こうと思ったのは、薬師寺玄奘三蔵院で平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」が公開されていること(2001年いっぱい公開)と、5月18,19日にまさしさんの奉納コンサートがあるので、ちょっと下見をしておきたかったのです。
まずは、野外コンサートが行われる金堂があるほうへ。講堂は、工事中の覆いがあって見られませんでした。大規模な復興工事が行われているようですね。金堂は、二層の屋根に裳階もこしを付けた入母屋造り。昭和51年、創建当時のままに復元されています。本尊の薬師如来座像(国宝)の両脇に、日光菩薩、月光菩薩を従えた様は、日本の仏教美術の中で最高の傑作とか。月光菩薩に、どこか心惹かれてしまいました。たぶんコンサートは、金堂にステージを設営するんでしょうね(^^)
金堂前にある東塔は、唯一創建当時のもので高さは33.6m。六重に見えるけれど、実際は三重の塔です。向いあった西塔は、昭和56年に再建されたもの。薬師寺近くの池から、二つの塔と金堂を写した写真が観光写真などでよく見かけられますが、夕霞に浮ぶ伽藍の美しさは想像に難くないですね。金堂と西塔に施された朱と緑が、1300年余の時を越え、天平の昔を偲ばせるようでした。
コンサートは、金堂前の広場で東塔と西塔を借景にして行われるようです。まさしさんが、東大寺の落慶法要でコンサートをしたときも金堂(大仏殿)の正面の広場でしたが、奈良時代から、金堂の正面に儀式をおこなうことができる広場が作られるようになったそうです。一見した感じ、意外に狭いナァと思ったんですが(A^^;)、何の問題もなく無事にコンサートが行われますように・・・。
玄奘三蔵院は、道をはさんで反対側にありました。平成3年に建てられたので、まだピカピカです(笑)