ティナさん 「白夜と黄昏の光」
2000.8.14 自分でさださんファンなのかよくわからないのですが、気がつくと つらい時には、さださんのはげますような曲を聴いています。 この間星野道夫さんが主人公だということで心の時代を買いました。{白夜・・・}に 大泣きしてしまいました。星野ファンの私としては哀しい物語なのに あまりに美しいメロディーで。 古い楽曲をもってきてしまって恐縮ですが、まるで私にとっては、あの {フレディもしくは三教街}のあの部分のようでした。 曲がはじまるとほんとにいけません。しばらく涙なしではあの曲は聴けないんです。 (星の航海師ナイノア・トンプソンさんをご存知ですか?その前の航路は伝統航海師である彼も だぶってきてひとりでに泣けてきます) それにしても、渡辺敏幸さんのアレンジはどうしてあんなにきれいなんでしょう・・・・ なみだ、なみだです。 おやぢっちさん 「Song for a Friend」 2000.5.24 そのアルバムが発売されたのは僕が中学3年の時。高校受験の勉強をがんばっていた頃だったと思う。 当時僕にはおつきあいしていたいた女の子がいたんだ。 もちろんさわやかな恋愛だったけどね。手をつなぐのもドキドキしてさ。 卒業を間近に控えたとき、僕は彼女にアルバムの中の1曲を贈ったんだ。 ♪たとえこの恋が終わっても 信じあえる友達でいよう 命懸けで愛した人を 憎むなんて出来るはずがない♪ こんな歌詞で始まる「Song for a friend」と言う曲を。 僕はいつでも誰かを好きになるときは、命懸けなのかもしれない。 好きになったら、一途なんだ。びっくりするくらい。 そんなわけで、あまり人気投票とかで名前のでてこない曲なんだけど、 僕の中ではとても大切な曲なんです。 この文章を読んだみなさま。 お時間がありましたら、この曲をもう一度聴いてみてください。 そして、誰もが出会ったであろう一場面を思い出してみてください。 山路さん 「まほろば」 1998.10.17 私のまるまになるきっかけになる曲は「まほろば」です.当時はまだ中学生.いろいろな音楽に 興味を持ち始める頃で自分の感性に合うアーティストを探しているときでした. その頃の音楽の興味を振り返ってみると,まずはまったのがALICEでした. 「チャンピオン」がきっかけになっています.谷村新司さん,堀内孝雄さんの男性的な歌声に まず魅了されました.ラジオを聞き始めたのもこのころ.ALICEの番組は必ず聞いてました. さだまさしという名前を知ったのもこのあたりで,「気ままな夜間飛行」 という番組をやっていたのを記憶してます. さだまさし氏の歌を初めて聴いたのはザ・ベストテンで「天までとどけ」だったと思います. ご存じの通り,この曲は高音を多用した穏やかなメロディですから当時の私の感性には合いません でした.男性としては声が高いこともあったので. ではなぜ,さだまさし氏にはまったのか.きっかけは,ニッポン放送でALICEがやっていた 番組の新譜紹介のコーナーで,「夢供養」を特集したことにあります. この時にかかった曲が「パンプキンパイとシナモンティ」と「まほろば」の2曲だったこと. そして「まほろば」を聞いたときに,さだまさし氏の骨太な部分を感じた ことが多分全てでしょう. 以来,まるま歴ざっと20年.ラジオ番組は「全力投球」「セイヤング」 「有限 会社 さだまさし 大世界社」と聞きまくり,その間に彼の人間性にもひかれたことも あって現在に至っています. あと初めて出会った曲の「天までとどけ」ですが,まるま虫になったあと好きになり, 当時のギター1本での弾き語りバージョン(ステージバージョン)をコピーしました. さだまさし氏のギターをメインに使った曲は,アコースティックギター弾きにとっては格好の 練習曲になりますので,ギターを弾く方,チャレンジしてみては?(結構難しいですが) かいちゃんさん 「長崎小夜曲」 1998.10.15 一番好きな曲は「長崎小夜曲」。春野の野外で聞いたあの心地よさが忘れられません。 曲中の「長崎」は、聞き手個々人のよりどころとする町の代名詞だと思っています。 親元を離れて大学生活を送っていたので、特に好きなのかも知れません。 「言葉」を大切にすることの重要さを、昨今いろいろなところで耳にします。 私自身、今は専業主婦ですが、小学生でさだ少年にはまり、出身大学は外国語学部、 就職後は日本語変換システムの辞書部分の開発に従事していましたので、「言葉」については 多少ともこだわりを持っているつもりです。2歳半になる娘と過ごしていても、 「美しい言葉を」といつも身につまされます。 ところで、「心の時代」のp115からの 「秋桜」の件ですが、、、、確かに山口百恵さんもさださんの「秋桜」もすごいです。 (私は別に怒ってもいませんが、)何となく、この「和名」というところに気づいてくれた さださんにすごくうれしいのです。何だか言葉に関しての共通点を見出したようで。 薫さん「主人公」「償い」 1998.9.1 北九州へ家族旅行に行ってまいりました。そういえば一昨年の旅行も九州だったのですが、 太宰府天満宮へも寄ってきました。 さださんの歌、妻の第一位は「主人公」だそうです。OL時代、残業をしながら自分を励ます ためによく口ずさんでいたということです。 わたしは「償い」です。わたしもなにかに赦されたいという気持ちがあるのだと思います。 この歌を聞くとわたしまで赦されているような気がします。 t-sawadaさん 「マグリットの石」 1998.8.22 今年23歳になる僕のまわりには、さださんを好きな人は残念ながらいません。 当然といえば当然ですよね。20代前半といえばGLAYやSPEEDなどに興味を持つ 年頃でしょうし、実際そのようです。もっとも、GLAYなどが嫌いなわけではありません。 念のため。 僕の一番好きな歌はアルバム”夢の吹く頃”収録の「マグリットの石」 です。何となく他人の目を気にして、自分を押し殺して生きていた頃この歌と出逢いました。 〜 嘘で磨いた輝きよりも 真実のまま錆びた魂が欲しい 〜 「自分を殺して偽りの中で生きるよりも、まわりから何と言われようと自分らしく生きていく ことの方が、何倍も価値が有るんだ」と中学3年の頃この歌詞を読んでそう考えるようになり ました。失敗を恐れることなく自分の考えるように行動することで、自分らしさというものを 確保しました。 人気投票などでは支持率の高くないこの曲ですが、僕にとってはとても大切で、思い出深い1曲 です。そんなわけで、カラオケに入らないかなぁ? トトロさん 「案山子」 1998.8.1 その歌は僕がさだまさしの名を知った頃、既にその歌はありました。 しかし、その歌の心情を実感として得ることはなく、単なるいい歌だなぁ…という時間、 単なる好きな歌という時間を、僕の中でその歌は過ごし続ていたのです。 平成六年十二月、五十五歳で父が他界しました。その年の紅白でさださんはこの歌を歌唱しました。 〜元気でいるか 町にはなれたか 友達出来たか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る〜 そのとき、涙がたまらず流れました。実家が東京、僕が住むのは長崎。 その距離の中でたまさかの実家への電話で、 更にたまさか無愛想に父が出たとき、おきまりのように口にしていたのは、 あの歌の出だしの歌詞のようなことでした。その言葉を言った後には有無もなしに受話器は 母に渡されました。そんな父の心情がズンと伝わって来たのが、このときだったように思います。 父が饒舌な人だったらどんな話しを僕にしてくれたろう、一緒に暮らしていたら…なんて、 様々のことが去来したのがさださんが唄った「案山子」の時間でした。 お前にしてやれること何もない お前が泣くなら 傍で困ることくらい お前が困ったなら 人知れず乗り切ることを祈るくらい 他人さまの父上と同じように力強い父だと思わないで欲しい 俺だってお前と同じように泣いたり困ったり ただそれだけの男なのだから 父が死んだとき、危篤の父の傍に駆けつけたとき、父にはもう喋る力も僕をわかる力も ありませんでした。本当に無口に静かに父らしく逝ったと思います。 そんな父が「案山子」の歌詞やメロディに乗って、自分の心を僕の胸に差し入れてくれた、 そんな風にその時を記憶しているんです。 「僕の父は…」なんて話しを語れる程の父ではなかったけど、だからこそ父を語りたい衝動に かられることがあります。そんなとき、「案山子」の歌に出て来るような父だったと思えたり、 こんな風に父を書けたりするのは、さださんのお蔭だと思ったりしています。 今でも「案山子」を聴くとやばいなぁって瞬間があります。目と目の間がジ〜〜ンとしたりすることがあるんです。 「案山子」が僕にとっては、きっと生涯忘れられない想い出の歌になるのでしょう。 こどものおもちゃさん 「風に立つライオン」 1998.7.22 「風に立つライオン」は、父のお気に入りです。 あれは、お医者さんの話ですよね。父は、自分とどこか重ね合せているのかもしれません。 アフリカに行く勇気はなくとも、もっと田舎に行って医療に携わりたかったのかもしれない、 と今さらながら思います。 50を過ぎてしまった今となっては、難しいことでしょうが、医者余りの時代に、 それでも、大学病院では、さんざん待たされたあげく、一人の診察時間は短いという おかしな状況にやはり矛盾を感じていることもあるのではないかと思います。 父は長崎の大学にいましたので、どうしてもそうなってしまうのでしょうか。 「歌詞がいい」と、ほめまくります。 両親とは離れて暮らしていますが、さださんの歌を聞くと、ついついじーんときてしまいます。 おかめさん 「主人公」 1998.7.14 三十路を過ぎてる私は、小学校の終わりから中学生の頃にさだファンを自認しておりました。 次第に熱が冷めてしまいましてついにコンサートに出向くこともなかったのですが、 ご活躍の様子を耳にするたびに、自分の乙女なりし頃を思い出して懐かしいような恥ずかしい ような気持ちになるのでした。 それで、思い出の曲というと「主人公」です。学区の都合で 級友のほとんどいない中学校へ進学することになった孤独感に加え、片思いしていた男の子は まじめに受験勉強のかいあって志望校へ合格したのに、私は勉強を怠けて公立中学校へ進んだ というようなこともありました。「主人公」という歌を最初は単にいい曲だと思っただけ でしたが、次第に自分自身を勇気づけるためにと泣きながら聞いたものでした。 手元にLP(だったんですよねえあの当時は)がないので記憶が確かでないのですが、 ライナーに「自分が主人公だ、と思うのは危険な考えだと思われがち ですが、自信がないときの起爆剤だと思って下さい」といったようなことが書かれて いたように思います。この言葉はその後もっと年を喰ってきてしんどいときにも、思い出されて 私に力を与えてくれました。 今の私には、残念ながらさださんの楽曲や詩に両手をあげてひたりこむ感性を持てなく なってしまいました。熱心なファンの方には申し訳ないと思いますが、どんなに素敵な人にで も恋してしまうかどうかは別だということで、どうぞ許して下さいな。 さださんの、ますますのご活躍をお祈り申し上げています。 |