神の恵み〜A Day of Providence〜
「夏・長崎から’98」で、アルバムの発売に先立って発表されたとき、前評判がとてもよかった歌です。
発売前に歌詞を読んだとき、すぐに「あ、この話どこかで聞いたことある。」と思って、今までの曲のライナーや本を探して
みました。「坂のある町」(アルバム「ADVANTAGE」)のライナーノートにありました。
(書き下ろしエッセイ「自分症候群」にも書かれています。)まさしさんもこの歌(「神の恵み」)のライナーで、
「この船と“ギヴミーチョコレート”についての思い出は他で書いた記憶がある。」と書いています。
13年前の短編が、成長してさらに確固たる意志を持って、こうして歌になって戻ってきたのですね。
13年前と現在を比べてみると、あのころもいじめはあり、同じように殺人事件があり、世界情勢は不穏であったけれど、
こんなにも人の心が荒んだ状態ではなかったように思います。
毎日、新聞やTVのニュースで見聞きする悲しい事件、いじめ自殺、猟奇的殺人事件、連鎖的に起こる類似事件、ドラッグ、
援助交際、政治家の汚職、自然破壊、環境汚染、なくならない戦争、すべては人間の奢りから生じたものでしょう。
今もどこかで、いたずらに他人を貶めようと隙をうかがっている悪い奴等がいるのです。
まさしさんの言う「間違い」とは何か。そしてそれを「ただす」とは?エッセイ「心の時代」にこうありました。
我が国は戦後、米国の文化や常識を基準に生きてきた。アメリカが宗主国となっての“植民地的”文化支配を
受けてきた。おかげでこの国の悪しきもの、封建的な風習、悪い文化、またねじ曲がった階級制などがある意味で是正されたと
いっていい。こういうのは大歓迎だよな。
だが同時に良き因習や良き文化も、「みそもくそも一緒に」葬り去られてきたともいえる。この辺が辛いところ。結果、我々は
東洋人としても半端になり、日本人としてのアイデンティも失った。
我々の「常識」を形成する要素のなかに思想や宗教、または教育や慣習などがある。さらに伝統にも風土も異なるもの同士である
ことをお互いにもう一度確認したいもんだ。(エッセイ「心の時代」より)
歌詞の中で、「大人達」はチョコレートを神棚に飾るほどに誇りを失ったとあります。これが、日本人としてのアイデンティを
失った「間違い」の一つの隠喩なのでしょう。そして、ポケットはチョコレートで膨らんだけれど、
こころはしぼんでいった少年の「僕」は、「坂のある町」のライナーでは、「ぼくは、一生その呪文(ギヴミー)を唱えることは
ないだろう」と誓っています。この歌は、未来の大人達への応援歌なのでしょう。投げ出すな、ひたすら生きていけと。
未来をあきらめるなと。次のバトンを渡される人達へ、そしてまさしさん自身の子供たちへの思いが託されているのでしょう。
1998.9.30