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2002.3.23中野サンプラザ(18:07〜21:18) 3001回目のコンサートは、3000回のうらうらかな春のお天気とはうってかわって、気温がぐっと下がり時々雨となった 重い曇天のお天気でした。午前中は陽も射していていたんですが、お昼過ぎからポツポツと降り出し、3時ごろには激しく降り 雷もなっていました(^_^;) コンサートの前に、3000回コンサートのために大阪から来ていた友人と食事をして、短い時間でしたが、上野不忍池、無縁坂、 湯島丸赤、湯島天神、妻恋神社、湯島聖堂とまわり、たったふたりだけの「湯島まるまツアー」を楽しみました(^^) まさしさんの衣装は、黒のスーツ。ネクタイも同じ黒。ちょっと光る素材です。シャツはチャコールグレーで、全体的に 黒っぽーい感じ。 3000回の緊張から解きほぐされ、とてもリラックスされていたようでした(^^) もう喋る喋る(笑) 3000回で話し足りなかったんでしょうね。「(3000回は)お客さんを楽しませることしか 考えてなかった。もっと話したいこともあったけど、言葉が出てこなくて・・・それなのに4時間もやっていた(笑) 3001回はこんなに楽しいのにねぇ」やはり3000回は、いつものまさしさんではなく緊張されていたんですね。 3000回でも言われましたが、「大切なのは、今日からの一歩」と(^^) 初心者調査もありました(笑)記念すべき3000回と、 新たなる1歩の3001回に立ち会えたこと、すべては偶然がもたらしたことですが、嬉しくて素敵な偶然に感謝!! ヽ(^o^)丿 「3000回のコンサートは、ストリングスが22人もいたけど・・・今日はたった3人」アコースティックコンサートでしたが、 サンプラザで41回目のコンサートになるそうです。中野サンプラザの思い出というと、まさしさんは長崎水害のときのことを 思い出されるとか。急遽チャリティコンサートをやろうということになって、そのときのホールが中野サンプラザ だったんですよね。また楽屋姫の野原さんは、グレープの解散コンサートを思い出されるそうです。私も、野原さんと同じです(^^) 行きたくても行けなかった解散コンサート。サンプラザと聞くと「三年坂」のアルバムを思い出します(^_^;) 1973年10月25日デビュー。今年の秋に30周年目に入る。グレープ時代のキャンペーンの話、盛岡での思い出はあまり多く 話されないので、今回はいろいろ聞けて嬉しかった(^^) わんこそばを○○○杯食べたとか(@_@)、IBCのKディレクターのことなど。 「そういう人たちを踏み台にしてきたんだね。そういうふうに支えてくれたから、歩いてこられたんだね」しみじみと 語っておられました。もしも盛岡に行く機会があったら、「ちょくり庵」を探して行ってみたいな。まだあるかな?(^_^;) 3000回コンサートのとき、別々に楽屋を訪ねてきたNHKのSプロデューサーとフジテレビ・Mフェアのプロデューサーに 全く同じことを言われたそうです。「まさし、3000回のうち1500回は喋っているんじゃないの?」って(笑) 「悔しいから、言い返してやったよ。1600回ですよ!って」口を尖らせて拗ねた風に言われたのが、可愛かった(笑) 3000回コンサートの翌日、スポーツ新聞の見出しを飾った「鉄人さだ」の文字。「次に話題になるときには、背中にロケットを つけるしかないね(笑)」と。 第2位約2500回記録の谷村さんとの思い出。「アリスという名前からしててっきり、可愛い女の子達だと思っていたのに・・・・」 可愛く踊っていました(笑)>まさしさん。そうそう「大沢悠里の悠々ワイド」で、 大沢悠里さんが「アリスのメンバーのニックネームの由来」をまさしさんから聞いたと言っておられましたが、 やはりまさしさんが谷村さんから聞いた話がもとになっていたようです。 なぜか廣田さんの高校時代のあだ名の話になり(恥ずかしいあだ名らしい?(笑))、それをまさしさんに知られてからというもの、 廣田さんがまさしさんのあだ名を知りたがって、躍起になって聞きまわっているそうです。 「あだ名もなにも「さだ」としか呼ばれなかった」と、まさしさん。 たしかに、「さだ」以上に短くて呼びやすいあだ名はなさそうです。まぁ、グレープ時代はいろいろ言われましたけどねぇ(^_^;) 「谷村さんと知り合った頃、僕はアイドルで・・・きれいで・・・コンサートには若い女の子しかいなくて、若い女の子の黄色い声が 」と言いかけたら、最前列から合いの手のように「きゃぁ、さださん!」と声がかかりました。 その声は、たぶん私の知り合いです(笑)あまりのタイミングのよさに、まさしさんも嬉しそうに笑っていました(笑) 「○○宣言」ブームも火付け役ともなった大ヒット曲を歌われたあとに「のんびりする時間が欲しい。暇になるにはヒットを 出すしかない。こんなに売れなくてもいいから、ヒット曲が欲しいね。」と。 さすがに毀誉褒貶は痛いほど身にしみて知っておられるからか、「ためにする誤解、というのもあるからね。 目立ち過ぎると悪く言う人がいるから。最近、目立ちすぎて いるから気をつけないと」という発言もありました(^_^;) たしかにまさしさん、ロンドンコンサート以来ずーっと話題の人 ですものね。それに、つい最近の思いがけない「償い」騒動(^_^;) 秋には30周年イベントが待ち構えていますものね。話題の人になればなるほど、 どんなことがバッシングにつながるかわからない。世間ってそういうものだと、身にしみておられるのでしょう。 「まさか20年後に、裁判長が・・・人生は何があるかわからないね。毀誉褒貶があったから、3000回も歌ってこれたのかも知れな い。3001回が終わったらタモリさんに感謝状を書こうかな(笑)」 と(^_^;) 「ぼくの桜」のお話で、亡くなったある有名な落語家さんの物まねが面白かったです。いったい、どこで練習されるんでしょう(笑) 一度、そんなお姿を拝見してみたいものです(^^) 石川さんのギターは、2999回の駒ヶ根のようなこともなかったようで(謎)まさしさんの喉のトラブルもなく、安心して聞けましたよ。 アンコールは1回でした。 私とみすずさんの席は一階8列の左端でしたが、なんと隣に檸檬さん、○○○○さん、とれいんさんご夫妻という、なんともコユイ並び でした(笑) <うちわ振りかざし隊報告> 入り待ちは、風が強くて傘を差すのに苦労しました。雨はすぐやんだので助かりましたが。待っている人は、10人近かったで しょうか。土曜日ということもあって、意外に多いかった。熊谷のSさんから紹介されて、足利さだ研の掲示板でお名前を拝見 していたハ長調さんと奥様にお会いできました(^^) この日のまさしさんは、赤いチェックのシャツに黒っぽいジャケットとズボン。赤いシャツがとっても可愛かったです(笑) お見送りは、風が出てまたぐーんと寒くなっていました。念のためにと持ってきたストールだけでは寒くて、ぶるぶる震えていました。 手袋とホッカイロが恋しかった(^_^;) 30人ぐらい、待っていたかも。 アココンにしては珍しくお帰りが遅かったです。石川さんは、地元なので数人のスタッフと 歩いて帰られました。あのあと飲みに行かれたのかなぁ?(笑) お父様お母様が来ておられました。まさしさんは、プラカードのようなものを手にして、ちょっと澄ました表情で出てこられまし た(笑)あのプラカードは何だったのでしょう?楽屋に届いたお花についていたのかな?車に乗り込まれるまえも、そのあとも 爽やかな笑顔で元気に手を振ってくださいました(^^) |