薬師寺玄奘三蔵院伽藍総供養記念
さだまさし薬師寺奉納公演2001.5.19
法相宗大本山 薬師寺 金堂前特設会場
2001.5.19(土)開演18時30分〜

(^-^)ツアーコンサートではない単発のコンサートでしたので、楽曲メニューをお知らせします。
トークについては、進行中のツアーと重なる部分があるため、自主規制させていただいた部分があります。どうぞご了承下さい。m(__)m

開演前の会場開演前の会場 開演前の会場
左・東塔/右・金堂みかん箱をつなげたような簡易なベンチ中門を背にしたステージ
ステージは、中門を背にして金堂と向かい合うように設営されていました。金堂より前が、ABCの3つのブロックに分かれ、Bが真ん中。D、Eブロックは、金堂をはさんで左右に振り分けられていました。

薬師寺・執事長さんのご挨拶が、6時25分ぐらいから始まりました。 奉納コンサートを行うことになったいきさつ、薬師寺の成り立ち、世界遺産でもある薬師寺伽藍についての説明がありました。18日にも参加された方によると、19日のほうがお話が長かったとか(A^^;)
お話の中で特に面白いなぁと思ったのは、『日本書記』の中で天武天皇が、日本各地に「業ものを保護せよ」という発令を出したというくだりでした。「業ものとは、笛が吹ける人、太鼓の打てる人、歌を歌える人、踊りを踊れる人(平たく言えば「芸能人」ということでしょうね)を手厚く保護せよと詔を出して、各地に芸能を盛り上げ、豊かな文化と明るい日本を建設したいと願ったその天皇の発願による薬師寺で、さだまさしさんのコンサートが出来ること、大変に意義があり素晴らしいことだと思う」と仰られていました。そういえば、東大寺の落慶法要コンサート(1980)のとき、まさしさんは「芸能人とは、神社仏閣に芸を奉納する人のこと。私は真の『芸能人』なんです」と言うようなことを仰っていましたよね。
コンサートに先立ち、薬師寺のお坊様方による声明(仏教音楽)「薬師」が、薬師如来様に奉納されました。これがまた、厳かで素晴らしかったです。やがて暮れゆく空に、こだまするようでした。声明の最後には、色とりどりの紙が撒かれました。果たして拍手をしていいものなのか?と気にかかりながら、まわりにつられて拍手をしました(A^^;) 執事長さんも「お経で拍手をいただけたのは、珍しいことであります。でも、嬉しいことであります」と笑っておられました。

まさしさんの衣装は、ちょっと光沢があるしっかりとした生地のベージュのスーツ。ネクタイは、よく見えなかった。紺色っぽいレジメンタルだったかな?(A^^;) しかし、まさしさんって、ほんとに「お寺」が似合いますね(笑) コンサートが始まったのは、18時40分ぐらいでした。

1.道化師のソネット
2.案山子

もう、感激でした(^^)『道化師のソネット』で始まるなんて、思ってもいなかったですσ(^^)野外だけど、お寺だから「長崎から」みたいなノリノリの曲で始まるはずはないと思っていましたが、不意を突かれて、のっけからうるうるしてしまいました(A^^;) イントロのピアノも良かったです。
ちなみに東大寺のコンサートでは、『天文学者になればよかった』で始まったそうです。東大寺のときは行けなかったので、薬師寺に参加できたことはほんとうに嬉しかった。長生きも、捨てたもんじゃないですね(笑)
私の席は、Aブロックの23列。(Aブロックは24列まで)まさしさんのお顔を見るには双眼鏡が必要な距離でしたが、D、Eブロックと比べるとまだいいほうですね。それでも、なんと言うのかなぁ?まさしさんまでの遠さに、ある種の疎外感に似たものを感じて(A^^;) なんだか遠くへ行ってしまった人を見ているようで・・・強いて言えば「私はここよー!」と叫びたくなるような?(爆)・・・我侭ですねぇ(A^^;) でも、この疎外感のような気持ちの曇りも、トークが始まると嘘のように晴れて、いつものようにコンサートを楽しむことができました(^^)

ステージは、金堂の薬師三尊像と向き合う形で設営されていました。お薬師様も、コンサートをご覧になっていらっしゃったのでしょうね。金堂にしつらえられた特別席には、お坊様達と並ぶように御両親と玲子さんが座っていらっしゃいました。
「いろんな場所で歌わせていただいておりますが、世界遺産の中で歌うのは、光栄なことですね」と、まさしさん。ファンとしても、まさしさんのご立派な姿を拝見できて、ほんとに我が事のように誇らしく感じました。「今日は『玄奘三蔵院伽藍総供養記念奉納公演』、笑ってますけど覚えて帰ってもらいますよ。あとでチェックしますからね(笑)」 
目の前に燈篭が立っていて、薬師様と目が合わない。なんだか、カメラさんに向って歌っているような気もしますが、と、苦笑しながら「お薬師様に、皆様のご健康、ご健勝をお祈りして、一生懸命お祈りしながら歌わせていただこうと思います」と仰っていました。玲子さんがまさしさんに手を振っておられました。気持ちは、私達ファンと同じかしら(笑)
「今日のコンサート、一番得をしているのは僕です。お薬師様に向いまして、心をこめて歌います。」普段のコンサートでは前の席の人が得をしているけれどと前置きして、「今日は、そこが一番いい席ですからね。1300年経っている美しい塔を借景にしたコンサート、これはほんとにできませんよお」と、後ろのブロックの客さんに手を振ったり、気を遣っていらっしゃいました。>A型まさしさん(笑)「確かに塔はきれいに見えたけど、まさしさんが全然見えなかった」という人も、たくさんおられたでしょう(A^^;)

3.無縁坂
4.精霊流し
5.秋桜

「皆さんのおかげで、ヒット曲があるおかげで、こういう場所で歌わしていただけるんですから、ありがたいことですよね。こう言ったことは、お寺の記憶に永遠に残っていきますからね。千年ぐらいたってから研究家が現れて、「どうもこの時分に、奈良でよく見るこの歌手の名前は、もしかしたら有名な奴だったかも知れない」誤解を招くような行為に走っている今日このごろです(笑)」
夕焼けが西の塔の向こうに見え、うっすらと暗くなり始めた薄暮になりました。見上げた空には、一筋の飛行機雲。素敵なシチュエーションに、まさしさんのトークも、いつものようにノって来ました(笑)

東の塔のことを、フェノロサが「凍れる音楽」評したことに疑問を持ったというまさしさん。そう、私も不思議でした。音楽が凍るってどういうことなんでしょう?動かない音楽ということなのかな?と思っていました(A^^;)18日のトークでは「フェノロサともあろう人が、この温かい塔の木組みをみて、どうして「凍れる」という言葉を使ったのか、欧米人の感受性というのは理解できない」と仰られたそうですが、コンサート終了後、ホテルでお風呂につかりながら、ふと自分が言った言葉を反芻してみて、はっと気づかれたのだとか。「この木組の美しさ、これは「一つの木で表現したシンフォニー」だ。なぜ、フェノロサは凍れると言ったのだろうか。もしも、フリーズという言葉を使っていたならば、訳が間違っていたに違いない。「凍れる音楽」というよりも「沈黙の音楽」と言いたかったのではないか。」そう閃いたら眠れなくなっちゃったと、興奮気味に話してくださいました。そうですかぁ、「沈黙の音楽」サウンド・オブ・サイレンスですね(^^)
「1300年の命を持つ人造物、これはすごいですね。歌の命は、ほんと短いです。僕の歌を気にいってくださっている方、お客様は神様だけどお客様が仏様になったら、僕の歌を歌いついでくれる人はいなくなってしまう。それでもね、「音楽は聴く栄養」だと僕は思っています。音楽は、人を癒す為にこの世に産まれたと信じています。「音楽は聴く薬」です。

6.北の国から

「ぼくは、ふだんは眼鏡を外して歩くことが多いんです。眼鏡外していると、気付かれないんだね。たまに、めざとい人が「あ、○○マチだ!」」このときのメンバーのズッコケ方が、いつも以上でした(笑) 「吉本じゃないんだから、そんなに派手にこけなくても、悔しいな」とまさしさん(笑) 私の席から見えませんでしたが、石川さんは、椅子から転げ落ちちゃったそうです(笑) 

7.関白宣言

お約束ですから、簡単には最後を〆ません(笑)<「関白宣言」
まさしさん、薬師寺のご住職とすっかり息投合されたらしく「あのご住職、大好きなんですよ。昨夜も、私ちょっと下品な話をしてしまいまして・・・ご住職、大変申し訳ございません」と言ったら、ご住職は「いや、かまわん。面白かった」と仰ってくださったそうです(笑)
このあと、トークは「中学の修学旅行」に入って行ったのですが、え゛仏様のまえでこんなお話いいのお〜!(A^^;)と思うような「寝たら起きない菅原さんの話」に、会場は超爆笑でした。「ご住職申し訳ございません。が、『つい、この柱の色を見て、この話を思い出した』っていうことにしたらどうだい?と言ったのはご住職でございます(笑) トークのオチまでご指導いただきまして」とまさしさん。ほんと、さばけたご住職のようですね(笑)

まさしさん、NHK-BSデジタル放送の企画番組(「さだまさしと原田泰治のアート紀行」)で、原田泰治さんを奈良を旅したそうです。「まさし君、おらぁなぁ、奈良にはいい思い出がねぇんだよ」と、最初は奈良行きを渋っていた泰治さん。それには、45年前の修学旅行の苦い思い出があったんですねぇ。(詳しくは「日本が聞こえる」(2001.5.21)に)足が不自由な泰治さんにとって、苦痛でしかなかった修学旅行。お話を聞いて、涙誘われてしまいました。でも、まさしさんと一緒に奈良を巡っているうちに「「修学旅行のやり直しずら」って、目が輝いていた」そうです。泰治さんがまさしさんに言われた「奈良へ連れてきてありがとう」の言葉、胸がいっぱいになりました。
そしてこの二人旅で、まさしさんは薬師寺を歌にし、泰治さんは「秋篠川の夕景を描く」ことになったんですね。7月25日発売の新曲、楽しみにしています。

8.昨日・京・奈良・飛鳥・明後日。(玄奘三蔵院伽藍総供養記念スペシャルバージョン)
9.最後の頁
10.加速度

「昨日・京・奈良・飛鳥・明後日。」ちょうど修学旅行の季節なので、ピッタリですね。玄奘三蔵院伽藍総供養記念スペシャルバージョンは、おそらく今回限りかな。当日のメンバーの名前を組み入れた、楽しい替え歌でした(笑) ここに歌詩を書けないのが残念。♪プレイボーイの石川が、ガイドにべたついて〜、おっと、この先が気になる方はメールください(笑)
「最後の頁」「加速度」久し振りに聴きましたねぇ。正直言うと、このまま「初心者メニュー」で終わってしまうんじゃないかと、心配していたんです。嬉しかったなぁ、この選曲。\(^0^)/ この頃すでにさだまさしの世界に爪の先まで染まり始めていたけれど、それでも今よりずっと「初々しい」自分を思い出してしまいました(A^^;)
「加速度」野外のコンサートでは、禁物の雨の歌ですねぇ。この公演が決まったとき、お天気を気にするまさしさんに、薬師寺のあるお坊様が「降りません」と悠然と答えられたそうで。まさしさん、「このまま、このお坊様を「夏・長崎から」に連れて行きたい(笑)」と冗談っぽく仰っていました。ほんとに、晴れてよかった(^^) 今年の長崎は、どんなお天気になるかなぁ??

まさしさんは、奈良に来るのは春が多いそうです。「若いころは、京都が好きだった。今も好きだけど、年とってくるとね、奈良に来ると、自分の体の中をすり抜ける『時間のつぶ』が大きく流れるように感じる」なるほど、そうかも知れないですねぇ。私も20数年前、初めて奈良を訪ねたときよりも、ずっとずっと奈良に対して「愛しさ」に似た思いを感じています。
「お薬師様はね、一度生きてみるものだ。人生は、一番いい薬なんだと。苦い人生を送っているあなた、きっといい人生なんだと僕は思っています」この言葉、胸に響きました。ならば、私もいい人生を送っているということのでしょうか・・・

11.惜春
12.つゆのあとさき
13.療養所


〜元気と勇気〜
「から元気を出せというんじゃなくて、根拠の有る元気を。自分を許してあげること。自分の可能性を絶対に信じ続けてあげること。」
すでに日は落ち、西の塔、東の塔がライトアップされました。まあ、その美しいこと。夜空には、星がふたつ、みっつ、よっつ。
世界遺産の中でのコンサート、感激がいっぱいでした。「惜春」「療養所」は、とくにしみじみとしていて、泣けましたよお(A^^;) 行けてよかった。まさしさん、ありがとう!!

14.舞姫
15.まほろば
16.防人の詩


やっぱり、奈良は「まほろば」ですよね(^^) この曲の、まさしさんのギターが好きなんですよ。石川さんの音と比べて目立たないけれど・・・ときどき手元に目を奪われてしまいます(笑) 奈良でお月様を見ながら、「まほろば」を聴くのが夢なんですが、この夜も月はありませんでした。いつになったら、この望みは叶うかなぁ(A^^;) 歌っている方が、私にとってはお月様みたい?だから、まあいいか(笑)
「舞姫」「まほろば」この繋がりは、個人的にはなまるでした(笑) 

EC
17.主人公
18.最期の夢

「最期の夢」しみじみといい曲ですねぇ。前世、自分がこの土地にいたのかも知れないと思うことが、奈良の風景を見ているとたくさんあって・・・この町に来るたびに、自分の心と向き合っているように思います。そんな土地で聴く「最期の夢」には、また新たな感慨がありました。
人生の最期に、たったひとつだけ望み通りの夢を見られるとしたら、私にはぜひ見たい夢があります。それは、しごく我侭できっと贅沢すぎる夢です。だけど、人生の終わりになら、夢を見るだけなら、きっと許されるのではないかと、そう思って今を生きています。あなたは、どんな夢を見たいですか。



終演後のステージ <うちわ振りかざし隊報告>
残念ながら今回は、うちわ振りかざし隊はご遠慮させていただきました。いちおう、準備はして行ったんですけどね。ペンライトも(笑) 同じ野外でも、稲佐山とはまったく違うコンサートでしたし、ライトアップされた伽藍の美しさに勝るものはありませんでした。あの幽玄な雰囲気を壊すような暴挙(笑)に出る勇気は、とてもありませんでした(笑)
「防人の詩」の最後のほうで、まさしさん、歌詩をちょっと間違えられましたけれど、そんなことはぜんぜん気にならないぐらい、素晴らしいコンサートでした。野外なのに音が逃げなかったのは、伽藍の壁にぐるりと囲まれていたから、コンサートホールに近い音響効果があったのでしょうね。ただ、みかん箱のような椅子で、お尻が痛くなった人が多かったようです(A^^;) 私は、18日の情報を得ていたので、座布団持参でした(爆)

18日とくらべると、テレビカメラが入ったせいか、トークが少なくて曲数が多かったようです。18日は、峨眉山からゴビ砂漠への例の話(笑)や、この春に沖縄に行った話などがあったとか。なお、この日入っていたテレビ局は、デジタル朝日だったそうです。てっきり読売テレビだと思っていたんですが。(後援になっていたし)日時は未定ですが、デジタル朝日で秋頃に「さだまさし特集」の中の一部として放送されるらしい?です。乞うご期待!!

<余談で恐縮です(A^^;)>
終演後、西の京駅のホームは、人がこぼれ落ちそうなぐらいに混雑していましたが、私が帰る頃にはだいぶ波もひけて(しばらく薬師寺に残って、人と会っていたので)座って帰ることができました(笑) 偶然、山下暗庵先生とお会いしたので、乗り換え駅の「西大寺」までお話させていただきました。6人ほどご一緒でしたが、皆さん、奈良のホテルが取れなくて、京都泊まりだと苦笑いされていらっしゃいました。そのなかに、オリコンの新会長(と、暗庵先生が教えてくださった)も。
暗庵先生に「先生のセイヤング復活は?」とお尋ねしたら、「断りたいですねー。前の時、土曜日の夜、家庭を犠牲にしてやっていたんです。毎週ですよお!」と力説されてしまいました(A^^;) でも、日替わり(週替わり?)でもいいから、暗庵先生や、金山さん、廣田さんが参加してくれたら、きっと楽しいでしょうねぇ(^^)

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