季節の栖〜Twenty Five Reasons〜

2000.2.26(土)富士ロゼシアター


1.唐八景
2.風の篝火
3.案山子
4.木根川橋
5.道化師のソネット
6.無縁坂
7.檸檬
8.主人公
9.北の国から
10.夜間飛行
11.ふるさと(唱歌)
12.秋桜
13.佐世保
14.遠い海
15.驛舎
16.桜散る
17.飛梅
18.修二会
19.ひき潮
EC1.聖夜
    防人の詩
PIANO:倉田信雄  PERCUSSION:川瀬 正人  GUITAR:石川鷹彦
MARIMBA:宅間久善   BASS:岡沢 章


開場17:00 開演17:30 (17:40 本ベル)

ロゼシアターの緞帳は、「らくだ」の隊列が描かれていてとても特徴がありました。平山郁夫さんの絵だそうです。まさしさんの衣装は、もうすっかりお馴染みになったフレッシュグリーンのスーツとキラキラボタンの黒のシャツ、黒の革靴です。

「唐八景」
「風の篝火」
「案山子」


こんばんは〜!さだまさしでございます。2年ぶりにお邪魔させていただきました。2列めの双眼鏡、やめてください(笑) 今回は日にちがずれてご迷惑をおかけしてしまいました。体調を崩したわけではないんです。ステージに上がるまで、心が重苦しかったんです。今日のこのコンサート、最初の予定では、1月14日でした。なぜ、今日になったかと言うと、宇宙飛行士の毛利衛さんに「さださん、スペースシャトルの打ち上げを見にいらっしゃいませんか」とお誘いを受けたんです。こんなことは「一生に一度」のことではないか・・・「それでコンサートのほうを延期させていただいたんです。そしたら、向こうも延期になってしまいましたが(A^^;) 今日はその分まで、頑張ります。

さっそく出ました(笑)>双眼鏡ネタ! 実はこの双眼鏡の人と知り合いだったので、つい身を乗り出して見てしまいました。私の席は1階でも30列だったので、実際はよく見えなかったんですけど(A^^;) トークの途中で遅れて入ってくる人に「6時からだと思っていたでしょ。今日は3時から始まったんで、もうすぐ終わりなんですよ。うそ、うそ、まだ8曲しかやってないからね」とからかっていました。この後、最前列の4人が入って来て「あ〜よかった。よったり(4人)いないから心配してたのよ〜」と(笑)

1曲めに「唐八景」という長崎のわらべ唄から聴いていただきました。僕の故郷・長崎では、凧のことを「ハタ」と言うんです。ただ凧上げをするんじゃなくて、ガラスの粉を糸につけて、相手の凧を切って落とす・・・落ちた凧は拾った人のものになるんです・・・ポルトガルの国旗に似せて作ったから「ハタ」と呼ぶようになったそうです。

  *ハタ揚げ・・・空中でハタを切り合い、数多く切った人が勝ちといういわゆるハタ合戦です。ハタ揚げの由来は、出島に住んでいたインドネシアやマレーシアから伝わったといわれており、江戸時代から続いている長崎の風物詩です。長崎では4月〜5月上旬にかけて風頭山、唐八景、金比羅山、稲佐山などで行われます。図柄は、外国旗や万国船舶信号旗及び、紋章、商標、文字、動植物などから案出された200余種。*

僕は中学生から東京で下宿生活をしたんです。その頃、長崎人は、東京よりも上海に行く時代でした。長崎から東京まで1400キロ、上海までは1200キロだったんですよ。
弟が台湾大学に留学したときは、自分が仕送りしたんですよ(笑)
そういう時代に、僕は一人で東京にでてきたんです。子供をそんな遠くに一人で出すなんて、自分の親ながら立派だったなぁと思います。そう思わせる子供も立派ですけど(笑) 周りが「偉いねェ。九州男児だねぇ」って言うんです。・・・それもある種の勇気づけだったんですね。おだてられて・・・A型はおだてに弱いから(笑)
遠い故郷でよかった。長崎が静岡みたいに近かったら、僕はすぐ逃げ帰っていたと思う(笑) 昔は、長崎まで23時間57分かかったんです。僕にとって、故郷は「桃源郷」だったんですね。そのときの故郷への思いが財産になっていったと気がついたんです。今は諫早駅から地下を通ってすぐに長崎駅に着くんですが、昔は大村湾沿いに伊木力というみかんの産地を通って長崎に帰ったんです。
僕は友達に恵まれていたんですね。小学校、中学校、中学校の一級下とも仲がよかったし、高校時代のクラスメートとは今でも2週間に1回は会って酒を飲んだりしているし。人は俺の財産だったんだなぁ。今になって、よく思う。


「木根川橋」
「道化師のソネット」

僕はね、葛飾区東四つ木というところに下宿していたんです。荒川支水路の三角州のあたりに住んでいたんです。「木根川橋」のレコーディングのときに、雰囲気を出したくて、酒持ちこみで30分テープを回しておいたんですよ。居酒屋にBGMを使いたかったんだけど、著作権問題とかあるから、結局自分の曲で「天までとどけ」を使ったんだけど、300件ぐらい問い合わせがあって(A^^;) 「『天までとどけ』が聞こえるような気がする」って(笑) 「道化師のソネット」は、自分が主演した映画の主題歌でした。

「トベイカ」実行委員としては、主演映画「翔べイカロスの翼」という名前が出るかと、心待ちにしていたんですが、運悪く?遅れてきた最前列の女性から、お酒のプレゼント!! 話がそれてしまって、う〜ん、残念(A^^;)

(〜ロスで免許を取った話〜)ロサンゼルスは、ぼくの青春の町で(笑) 僕は早くアイドルになったでしょ(笑) 免許を取りに行けなかったの。忙しくて、時間がなかったの。お金はあったけど(笑) 筆記は英語ですよ。簡単なの。問題集、スーパーで売っているから。それに、ちゃんと答えもついている(A^^;) 覚えればいいのよ。問題は実技。市川港で、夜中に砂まいてスピンターンの練習していたなんて誰も知らないし。過去は公表していないから(笑)
(〜韓国人の先生から教えられた〜)信号のない4つ角で対向車が来たとき、向かって左の車が優先。「4台いっぺんに来たら、どうするんですか?」って訊いたら、「早いもの順!」(笑) いや、笑ってるけどね、これは重要なんです。誰が一番先かを認めるのは誰か? 認めるのは僕なんです。これがアメリカの自由の基本なんです。彼が先に来ていたと認める。それを認めないことは、利己主義でしかない。自由について考えると、深いよ。家に持ち帰ってよく考えてみよう。
免許はすぐ取れました。それですぐに、仮免許証を出してくれるんです。これで車に乗ってもいいって。自分の車で(本)免許証を取りに行く、ステキでしょう〜(笑) その足でレンタカー借りに行ったら、貸すのよ!(笑) あの国はO型とB型しかいないよ!(笑) A型の国だったら貸さない(笑) 「ご経験はどれぐらいでしょう?」って(笑)
あの頃は、免許が欲しかったんだねぇ。今は髪がほしい(笑) 倉田君も乳首が隠れるくらいあったんだから。今は、汗をかくと森林の鉄砲水(爆)

一番最初に、俺の助手席に座った勇気ある人類は、和田和正という男で・・・バッテリーを組んで26年になります。お互いの恋愛も全部知ってるし、だから一緒に死んでもいいかと思ったんでしょう(笑) 二人でディズニーランドに行ったのね。男同士、つまらない! 女がいるから盛りあがるのよ。ジェットコースター、観覧車にはのりたくない(笑) 

「観覧車で、男同士20分も向かい合っているなんて・・・」というところで、まーぼーさんが大きくうなづいていたのが可笑しかったです。

(はじめての事故)「和田ちゃん、俺あやまってくるわ」って、前の車のガラスをコンコンと叩いて、「アイムソーリー、ソウソウソーリー」・・・そしたら、その外人、俺よりこんなに背が高くて6フィート3インチぐらいあるの・・・「OK!」車のほうに乗りこもうして、瞬間俺のほうを振り向いた「But、be careful!」ドンッ、シューッ、(右手の指を口にかるくあてがうように、シナを作ったポーズで)カッコイ〜イ! エヘ(A^^;)こないだね、小林幸子ショー見てきたのよ(笑) ドンッ、シューッ、カッコイイ!カッコイイね〜って、和田ちゃん振りかえったら「うん!」(これが石川さんに大ウケ)知っている人にしかわからないけど、こっちも楽しませなきゃ(笑)

小林幸子さんのショーを見てきたせいか(笑)、さらに細かい芸が仕込まれていました。シナを作るポーズ、これからコンサートに行かれる方はお楽しみに! 和田さんの真似は、特に石川さんに受けてました。きっと、和田さんの話し方の特徴を掴んでいるんでしょうね。

(ベンツを買った話)450SLC、白鳥のように美しい車だった。もう嬉しくって嬉しくって、大事にして大事にして、友達みんなに見せびらかした。無意味に長崎まで、2度帰った(笑)
関西人は黄色は進め、赤は気をつけて進め、じゃあいつ止まるんだって訊いたら、気がむいたときって(笑) 信号が変わる瞬間、止まろうか進もうか悩むことってあるよね。回りの車の流れっていうのがあるから、むやみに自分だけ止まると大事故につながり兼ねないからね。
(新青梅街道で追突された話)その車から、大学生らしき4人の男の子が降りてきて、「どうもすみません」「どうもすみません」「どうもすみません」「どうもすみません」って(笑) しょうがないから俺は、ダッシュボードをチャッと開けて(会場爆笑)この日の為に買った、ロサンゼルスのマーケットで安売りしていたレイバンのサングラスをかけ、重そうにドアをあけて外に出たら、そいつら俺よりこんなにデカイ(笑) 俺は、ゆっくりと車の後ろへ歩いて行くと、ゴムでコーティングしていないバンパーをスーッと撫でて、「OK!」(くるっと回る(笑))いや、ほんとに回っちゃいないよ(笑)アメリカ人て、なんか回転しそうじゃない?(笑) 「だけど、気をつけて運転しろよ」ドンッ、まだ信号赤だった(笑) もう、サイテー!


「OK!」でくるっと回るところ、これもはじめて見ました(笑) 「HIROMI GO」みたいでした(笑) 

次の信号も赤、そいつら今度こっちに来て(ふかぶかとお辞儀を4回) そしたらまた次も赤、今度はそいつら、こっちがしに来て(ふかぶかとお辞儀を4回) もうーかっこ悪くてネェ。次の信号で俺、左に逃げたもん。あとで見たら、バンパー、トランクにめり込んでた。何、その笑い、俺、傷つくわ(笑)
人生何があるかわからない。その事故で何事もなくて幸いでした。このコーナーでは、事故の話をしたくかったわけじゃないのよ。ロサンゼルスのコンサートのことを話したかったの。僕の話は「躁病のたわごと」 みたいでね。横に伸びるけど、また戻ってくるんです。
ハリウッドのホリディイン、今は泊まれないってみんな言う。夜中に一人歩きはやめてくれ、って危険だから。伸びやかなロサンゼルスを知っているだけに、せつなかった。
ロサンゼルスだけじゃない、日本だってそうだ。人間は進化しているんだろうか。退化しているんだろうか。曲がり角に立っているような気がする。どこまで落ちれば、気がつくんだろうか。僕らのDNAのどこかに立て直そうという意識があると思っていたい。子供達の世代につけを残したくない。
海外に行くことは、自分の国を見つめ直すことでもあるようだ。


「無縁坂」
「檸檬」
「主人公」

<メンバー紹介>

「北の国から」(会場も歌う)

人の声って暖かいね。いい曲だなぁ。ぐんをぬいて詩がいい。雄大さとしては、北海道には叶わない。主題歌を依頼されたとき、一旦はご辞退したんです。僕は九州出身だから、九州人の俺には北海道は歌えないって。北海道出身の、キタキツネみたいな奴がいるし(笑) 今はオットセイみたいだけど(爆) こないだ千春に似ているモグラを見た(笑) ドラマの主要人物はみんなテーマを持っているんです。ドラマを見るとき、誰かのテーマが流れてきたら、その場面ではその人が中心になっているんです。
「北の国から」のCDを作ったときに、困ったのはね、どれが誰のテーマなのか、わかる人がいなくなってた。テレビのスタッフも僕のスタッフも代替わりしたから、皆忘れちゃってる。

(シャトルを見に行った話)行ってきました。皆さんを捨ててまで(A^^;) 1月29日にスタジオパークに出演して、そのあと厚木でコンサートを終えて、そのまま行きました。30日に行って、30日の日のシカゴに着きました(笑) シカゴは雪だった。♪粉雪舞い散る〜(五木ひろし風) 2時間待って、2時間半かけて国内線を乗り継いでフロリダのオーランドへ。♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆からさきゃ〜オーランド(五木の子守歌)(笑) オーランドから車でやっとココアビーチに辿りついて、どこはビーチ?ここはビーチ(笑)
ココアビーチにケネディ宇宙センターがあります。シャトルを目の前で見たよ。オレンジ色のブースターにくっついている。こんな風に(客席に背を向けて、ガニマタのポーズ)


ああ、これこれ!このポーズ見たかったんですよ(笑) TONKOさんから「可愛かったわよ」と聞いていたので(笑) ガニマタになって、一所懸命シャトルを表現しようとされていました。

宇宙飛行士の家族のために、前の晩に覆いを外してシャトルを公開するんだけど、毛利さんの家族でもないのに、毛利さんの奥様が僕と弟とご招待してくださって。感動したね。500mの直線距離から見たんだけど、ライトアップされてきれいだったよー。何の音かわからなかったけど、シャトルの方向から音が聞こえていた。
結局、雨で飛ばなかった。大気圏を出るときに水滴が凍るんです。そうすると重量が変化して軌道が狂うんだそうです。
ケネディ宇宙センターのミュージアムで「サターン5型」ロケットが展示されていた。110メートルの長さの展示室。
「打ち上げ」には各国の宇宙飛行士が来ていて、宇宙飛行士ウォッチャーだった(笑) 向井千秋さんにお会いしたんだけど、向井さんもステキな笑顔だった。毛利さんと同種類の笑顔だった。向井千秋さんといえば、石原裕次郎さんの執刀医だった人です。心臓外科のお医者さんでキャリアウーマンだった。キャリアウーマンというと、ドライなイメージがあるけれど、たおやかな大和撫子だったよ。真の強さを持った素敵な日本女性だった。
僕は、「強い夢は叶う」と言ったり書いたりしているけれど、それは叶わない夢が弱い夢だということじゃなくて、強い夢は持ちつづけられる夢だと言うことなんだ。毛利さんも向井さんも素敵な笑顔だった。夢を守りつづけた人が、夢を実現したときにもらえるご褒美の笑顔だった。だからあんなに素敵な笑顔なんだ。持ちつづけている強い夢はありますか?


「夜間飛行」

ケネディ宇宙センターでは、次に宇宙に飛ぶ日本人といわれている野口総一さんが、案内をしてくれたんです。毛利さんの坊ちゃん(高校生)にも会いました。物心ついたときに、父親が宇宙飛行士だったって、カッコイイね。私が子供の頃、父さんは失業していた(笑) アメリカで成功するより、日本で悪口を言われているほうが性に合ってる(笑)

スペースシャトルが、雨ごときで打ち上げを中止するなんて、と打ち上げ中止のニュースを聞いたときには思っていました。まさしさんに、打ち上げを見せてあげたかったのに、という思いもあったから(A^^;) でも、まさしさんのお話を聞いて、「安全第一」で、飛ぶ、飛ばないというのは大したことではないということに納得してしまいました。ケネディ宇宙センターの様子は、もっとたくさん話してくださったんですが、全部は書きとめられなくて、断片的なメモになってしまいました(A^^;) レナさんの「さだまさしのゆく世紀くる世紀」2/11分がもう少し詳しくレポされていますので、そちらをご覧になってください。

(ロサンゼルスコンサートの話)ジミーハスケルさんがコーディネイトしてくれて、いいコンサートができた。ロサンゼルスにいる日系人の結束力が強い。「まさしが、歌いに来てくれる」っていうんで、チケットを手売りしてくれて。ビックリしたのは、南カリフォルニア県人会というのがあってね、打ち上げに呼ばれた。
次の日にギター一本下げて、老人ホームに慰問に行った。敬老ナーシングホームという、介護を必要としている老人のためのホームで200人ぐらい集まってくれた。若いボランティアが、長野から何ヶ月来てますなんていうボランティアに支えられているんだね。その若い人達が、僕が歌いに来るってものすごく喜んでくれた。70、80、100すぎたおじいちゃん、おばあちゃんの前で、俺は無力だった。さだまさし、無力だなと思ったよ。お年寄りは優しいからね。喜んで聞いてくれるんだよ。でも、なんていうのかな、届かない何かを感じるんだなぁ。ライブをやってきたものにしかわからない。不完全燃焼だった。今、聴いて、年齢を超えて感動してもらえる歌を、俺はまだ作っていない。そう思った。
何を歌ったら、おじいちゃん、おばあちゃん達に喜んでもらえるだろうと思って、そうだ、唱歌ならきっと喜んでもらえると思って、とっさに「ふるさと」を歌った。あのときのことを、俺は一生忘れないよ。じいちゃん、ばあちゃんがいっせいに歌い出したんだ。3番まで。肌に粟粒がたった。どういうことだかわかる?。何べんも何べんも歌ってきたってことなんだよ。何十年も故郷を離れて、自分の住んでいる国が自分の生まれた国と戦争をしたこともあった。カリフォルニアは、日本人に対する逆風も強かった。排日運動にもあった。どんなときに、この歌を歌ったんだろうか。泣きながら歌ったこともあるだろう。肩寄せ合って、支え合って生きてきたんだろう。じいちゃん、ばあちゃんが嬉しそうに歌ってくれる姿を見て、涙がでました。ロサンゼルスに行ったら、半日ヒマがあったら、日本字のお墓を訪ねてみませんか。日本人のお墓は、墓石が皆日本を向いているんです。皆、日本を見ながら、土に返っていく。こんなに日本を思っている人達がいるのに、日本に住む僕達がどれぐらい日本のことを思っているだろうか。


「俺はまだまだ歌わなくちゃいけないテーマがある。俺が死んだあとも、口ずさんでもらえる歌を作らなきゃ。」と言いきったまさしさん、この老人ホームでの出来事が、これからのまさしさんの創作活動に大きな力になるんでしょうね。

「ふるさと」
「秋桜」

これからは、海外で暮らす日本人の為に歌いに行きたいと思ってます。おみやげはないよ。でも、『日本』だけは、たくさん持って行こうと思っている。
今度ね、ロンドンに行くのよ。ただのロンドンじゃないのよ。楽しいロンドンでも、愉快なロンドンでもないの(笑) ロイヤルアルバートホール!120年以上経っている、クラシックのホールです。一流のアーティスト達が、このステージに立ったんだ。8000人入そうです。8000人はムリよ。ロンドンにいる日本人が2万人だって。日本から、何人連れて行くかだよな。5月までに決心してくれればいいから(笑) ロイヤルアルバートホール、クラシックをやっている人間なら誰もが憧れのホールです。まさか俺が立てるなんて。
(偉大なじじいの話)じじいになっていく。僕はババア体質なんだけど。身体の構造が、ババアにはなれないから(笑) 「人は道によって賢し」というけれど、山の高さは人によって違う。自分なりのいただきをめざす。
僕はね、偉大なジジイに会わせてもらってきた。梅原龍三郎先生、川口松太郎先生とすき焼きを食べたこともある。あのとき、梅原先生に富士山でも描いてもらえばよかったなぁ(笑) 谷川徹三先生にもあったことがあります。身体にピッタリのコートを着て、かっこよかった。フランス文学者の葦原英了先生は、会うなり僕の手を取って、「『フレディもしくは三教街』って歌は、君が作ったんだってねぇ。君はああいう歌ばかり作っていなさい。」年よりはおだてが上手い(笑)
長崎出身の文芸評論家の山本健吉先生にも、僕は可愛がってもらった。僕は、山本家の次男坊と呼ばれていた。長男は、角川広樹さん。角川さんは、あんなことになっちゃったけど(大麻所持で逮捕)、僕は薬は花粉症の薬ぐらいだから(爆) 山本健吉先生と長崎の興福寺へ行ったときに「先生、先生にとってふるさとって何ですか」って聞いたことがある。そのとき、先生は「ふるさとは、町もぼくを覚えているということ」と言った。そのときには、まだよくわからなかったけど、数年経ってわかった。命・時間・心は僕の歌のテーマとしてきた。ふるさとも僕の一生のテーマになる。森敦先生は、ヘビースモーカーで、煙草の火を消したと思ったら、すぐまた付いているって思うぐらいの、マギー司郎みたいな人だった。森先生と話していると、小津安二郎の世界だったね。「そうか。アレはそう決めたか。わかった」みたいな(笑) 森先生に「ふるさとって何ですか」と訊いたら、「さだ君、命のほかに魂がある。生まれた場所だけじゃなく、魂が帰りたがっている町がふるさとなんだよ」魂が帰りたがる町が、ふるさと。ふるさとは、一つでなくてもいい。日本中がふるさとになったらいいね。
僕は、こんな偉大なジジイ達からバトンを受取ってきたんだなぁ。朽ち果てるまえに、次にバトンを渡さなきゃ。偉大なジジイになりたい。


「佐世保」
「遠い海」
「驛舎」
「桜散る」

バラードを4曲続けて聴いていただきました。バラードが4曲も続くと、聴いているほうは疲れるでしょう。歌っているほうはもっと疲れるんです(笑)
(〆のトーク・元気と勇気)元気と勇気は、使えば使うほど増えるんです。でも、背伸びはほどほどに。ちょっとずつ、ちょっとなら頑張れるから。


「飛梅」
「修二会」
「ひき潮」
EC
「聖夜」
「防人の詩」

残念なことに2回目のアンコールはありませんでした。「夢の夢」が聴けないなんて、富士の方はちょっと損しちゃったんじゃないかな。でも、一所懸命のまさしさんだったから、アンコール1回だけでもじゅうぶんに満足したコンサートでした。

<うちわ振りかざし隊&お見送りし隊(笑)報告>

13時までの勤務を終えて、家に戻らず新横浜へ直行(A^^;) 予定よりもひとつ前の新幹線に飛び乗りました。富士の駅からタクシーでロゼシアターまで5分。はじめてのホールでしたが、とてもきれいでしたよ。楽屋口の近くに行くと、Kさんが来ていました。そのとあと名古屋のTさんも来て、入り待ちは5人。お天気はよかったけど、ちょっと風が強かったかな。富士市独特の?パルプ工場からのニオイ、馴れるまで少し気になりました。陽は差していたけど、やっぱり2月、長い時間待っているのは、ちときつかったです。約1時間後、石川さんがご自分の車でいらっしゃいました
それからしばらくして、タクシーで現れたまさしさん。新幹線で直接こられたのかな。さーっと入って行かれたので、まさしさんのお顔はあまり拝見できませんでしたが、宅間さんも乗っていらっしゃいました。慌ててうちわを振ったけど、気がつかれたかしら?
富士までやってきたのは、4月の横須賀まで「さだ切れ」になってしまうことへのストレス(笑)解消のためでした。フェスも誘われたけれど、娘の高校受験日と重なってしまって、さすがの私も諦めました(A^^;) それから、会いたい人が二人いたからです。お一人は、まさしさんに双眼鏡ネタで突っ込まれていたCさん。もう一人の方には、残念ながら連絡ミスでお会いできませんでしたが。
お見送りは、すごい人だかりでしたよ。20人以上いたんじゃないかな〜? 東京のコンサートやA WEEKでよく見かける常連さんも来ていて、富士は日帰り圏内だし常連さんのテリトリなんだなぁと、改めて思いちゃいました。
双眼鏡(笑)のCさんも加わってうちわ隊もスタンバイしていると、石川さんの車は、他のメンバーとは逆方向(駅方向ではない)ヘ。また車を止めてくださり(石川さんは優しいからね)ちょうどCさんの前だったので、Cさんも石川さんとお話することができました。まさしさんは、今度はスモークガラスのワゴン車に乗って駅方向へ。(風の噂によると、このあと翌日のコンサートに備えて静岡に行かれたのだそうです。)奈良か京都でも、中が見えないこのワゴンだったとか。「さださん、乗ってるよ」という誰かの声で、一所懸命うちわを振りました(A^^;) 私は見えなかったけど「さださんも手を振っていたよ」というTさんの言葉に、うちわ振りかざし隊の任務(笑)遂行できてほっとしました。

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