季節の栖〜Twenty Five Reasons〜
1999.10.09(土)千葉県文化会館
1.唐八景
2.風の篝火
3.案山子
4.木根川橋
5.道化師のソネット
6.無縁坂
7.檸檬
8.主人公
9.夜間飛行
10.ふるさと(唱歌)
11.本当は泣きたいのに
12.佐世保
13.遠い海
14.驛舎
15.桜散る
16.飛梅
17.修二会
18.ひき潮
EC1.聖夜
防人の詩
EC2.夢の夢
PIANO:倉田信雄 PERCUSSION:川瀬 正人 GUITAR:石川鷹彦
MARIMBA:宅間久善 BASS:岡沢 章
開場17:30 開演18:00 開演本ベル18:07
緞帳にタイトル「季節の栖」の文字・・・千葉県文化会館の幕は無地なので、きれいに映っています。時計の音がチクタクと聞こえます。
「唐八景」
まさしさんは、オレンジ色のジャケットに黒のシャツと黒のズボン。黒っぽい革靴。襟もとの第一ボタンがキラキラしてます。これは、初日ではアンコールの衣装でした。ちょっとビックリしました。今まで、衣装が入れ替わったのは見たことなかったから。デザインはシンプルだけど、色のコントラストがはっきりしていて、カッコイイです。
「風の篝火」
「案山子」
<MC>
「ご無沙汰をしておりました。ある事情がありまして(笑)、今日のコンサートは、本当は9月の19日にやるはずでした(A^^;) 1ヶ月遅れたわけは、このコンサートをかけてあとでじっくりとお話させていただきます。
「季節の栖」コンサートタイトルが緞帳に映るという親切さ(笑) 「きせつの酒」と読んだ人がいましたけどね(笑) 今年6月に25周年記念のコンサートをやりまして・・・30周年はどうするんだろうか。数えだと、あと3年でやることになるんですねぇ(A^^;)
今日はさだまさしの25周年を手のひらに載せるように、昔の曲から最近の曲までをお送りしていきたいと思います。さだまさしの初期に人気のあった「夢供養」というアルバムから「唐八景」「風の篝火」と、アルバムの1番、2番の順番どおりに聴いていただきました(笑)
「案山子」を作ったとき、25歳の若僧にどうしてこんな詩が書けるんだろうか、故郷を離れて都会へ出て行った息子を思う親の気持ちがどうしてこんなにわかるんだと言われました。実はそうではなくて、僕自身が親元を離れて故郷を思うそんな案山子の一人だった。ほんとは故郷が恋しくて恋しくて・・・
私は、天才でした(笑)・・・(「公家の出」の駄洒落トーク)・・・「かわいい子には、たびをはかせろ」って言うんで(笑)、地下足袋のこおんな長いのを履かせられてね(笑)
一人暮しで一番不安なのは、病気のときだよね。僕達は、毎日を更新して生きているんだよね。朝になって、たまたま運が良く目が覚めた(笑) もしかしたら目が覚めないかもしれない(笑) そう思ったことがあるよ。遺書書いとこーかな?って。書いたこともあった(A^^;)
中川中学校に通っていたんだけど、当時はね〜荒れてたね〜。明るい荒れ方だったけどね。僕が1年ときの3年の番長が、授業中に酒に酔って(笑) もうここからスゴイよね(笑) 授業中に酒に酔って、家に帰って日本刀を持ち出して、日本刀が家においてあるっていうのもまたスゴイ(笑) 学校の職員室に殴りこんで(笑) 担任の・・・机を切っていた(笑) その人、それからどうしたんでしょうね?(A^^;)
僕はいい仲間に恵まれた。国学院の仲間とは、今でも2週間にいっぺん酒飲んでるし。いい先生にもめぐり会えた。縁というものがあるんだろうね。みんながいいという先生が、自分にとってもいいとは限らないけど。
「九州男児」っていう言葉を発明した九州の女は偉いね。「九州男児は強いのよ。女を守るのよ。」と言って守らせる(笑) 男なんてさ、おだてときゃいいのよ。「まあ、素敵!こんなこともできるのね。シェ―ッ!」(倉田さん、爆笑)帰りたかったよ。もう、「帰りたい」って思いが蓄積してね。複利で殖えていったね(笑) もお今なんか、利子だけで帰りたい(爆)」
「木根川橋」シルエットの入ったギターでした。歌の最後の「先生のいびき」(BY 石川さん)が、はまりすぎ(笑)
「道化師のソネット」
「9月の4,5とロサンゼルスに行ってきました。19日が日延べになったわけは、この次のブロックでじっくりお話します(A^^;)
初めてラスベガスに行ってきました。恐ろしい町だと思いましたねぇ。ラスベガスってとこは(笑) 空港の中に、飛行機を降りたらすぐのところに、スロットマシーンが置いてある(笑) オレは機械相手のゲームって嫌いだな。負けてくれないからね(笑)。なんて機械のように冷たいヤツだ!って・・・機械なんだけど(笑)
アメリカ人はアホやね。ビルの屋上、276メートルの高さのビルの屋上に、遊園地があったんです。そこにジェットコースターがありましてね。そのジェットコースターのところから、さらに40メートル垂直に上がる「ビックショット」っていう乗り物があったんです。4人がけでこんな、こんなヤツで・・・オレは高所恐怖症だから・・・乗りません。廣田を乗せてみました(笑) 廣田は、以前に東京厚生年金で奈落の底に落ちたことがあります。落ちる恐怖を知ってます(笑)・・・「殺す気かー!」日本語の叫び声しか聞こえなかった(笑)
弟の繁理が、ホテルの皆の部屋割りをしたんですが・・・マネージャーの一人の高木が、困った顔してオレのところへ来て「繁理さんが、部屋割り間違えているんじゃないかと思うんですけど・・・」って言うんで、ちょっと見に行ったんです。そしたら、ダブルベット(笑) 繁理はB型ですからね(笑) 寝られるからいいじゃないかって(笑)・・・ダブルベットに廣田と二人・・・オレは嫌だね(笑) それ以来、なぜか二人は一緒にいるんです(爆)
怖いのはいっときのもので(笑)、カジノは寒くて寒くて・・・懐が(笑)・・・ロサンゼルスは、僕にとって青春の町でね。「風見鶏」のレコーディングのときだったけど、1ヶ月半くらい暮らしてた。あのころはロサンゼルスものどかな田舎町だった。車の渋滞もなかった。ほんのちょっとフリーウェイで、渋滞するぐらいで。23年も経ってしまうと、もう大都会。
僕は、若くして売れたから(笑)・・・(拍手に応えて)ありがとう(笑) 日本では、免許を取る暇が無くて、ロサンゼルスで国際免許を取った。あっちでは、試験問題集がスーパーで売ってます。答えも載ってます。広大なアメリカでは、車の免許のあるなしは死活問題だからね。免許を取らせるために、試験をするんだね。日本は、こんなに小さな土地だから、車が増えすぎると問題がある。日本は、免許を取らせないために試験をするんだよね。法規も面白いよー。アメリカ的なんだよな。4つ角で、4台の車が続けてきたら、どれが優先なんですか?って訊いたら、「そのときは、来たもの順!」って(笑) 日本でもルールとして明記してほしいのは、「坂道を登っているとき、自分の後ろに5台以上ついたら道を譲る」よくあるんだよね。大名行列になってる。「あの〜、繋がってますよ〜」って、前を見ると、農家のおじさんがのんびり運転してたり(笑)
免許が取れて、すぐ写真を撮るんだけれど、カメラマンが「スマイル!」って言うんだよね。「え?スマイル?ニッ(笑)」「オー!キュート!」(笑) すぐにペラペラの仮免許証をくれるんだけど、これでもう乗っていいって言うんだよ(A^^;)。半信半疑でレンタカーに行ったら、ほんとにすぐ車を貸してくれて、免許取ったその日から乗った(笑) 次の日、ディズニーランドまで運転した。ぼくの車に初めて乗った勇気あるヤツは、あのへんで(客席を指差し)今日も僕のコンサートをサポートしてくれている(PAの)和田和正。小田和正じゃないよ。頭の色は、似てるけど。僕がピッチャーだとすれば、彼はキャッチャーだな。和田と二人でディズニーランドへ行った帰り、フリーウェイがちょっと渋滞していた。・・・初歩的なミスでした。(ロス・フリーウェイ渋滞追突事件の話)
それからベンツを買ってもらった。中国へ行く前だから金があったんだねぇ。まるで背中に羽根が生えたみたいで、嬉しかった〜(笑) すぐに、高校時代の恩師の安本先生に見せに行った(笑)・・・(新青梅街道の信号で追突された話)・・・オレはどうしたかっていうと、ダッシュボードからレイバンのサングラスを出して(笑)・・・車から降りたら(ぶつけた大学生たちは)オレよりでかい(笑)・・・(ベースの岡沢さんに向かって)楽しんでます?(A^^;)・・・安本先生に「先生、こんなことあったんですよ〜」なんて言って、バンパー見たら凄いへこんでんの!(爆笑)先生には「馬鹿だなぁ、おまえ。カッコつけてるからだぞ」って言われるし(笑) 取り寄せるのに1ヶ月かかったよ。
ロサンゼルスでレコーディングしたとき、夜中に一人で車運転して、ホリディインとか、リトルトーキョーのレストランに入って食事したり、今だったらアブナイと言われる場所にも行ってた(A^^;) あの頃は安全でのんびりした町だった。コカコーラの自動販売機があちこちにあって・・・今じゃあ、(お金を盗むために)すぐ壊されてしまうんだって。
皆も変わったし、オレも変わった。でも、どこかに変わらないものもあるだろう。」
「無縁坂」
「檸檬」イントロのアレンジが、すごく素敵! まさしさんは12弦ギター。声がちょっと割れてるし、苦しそうな歌い方。今日も喉の調子はよくないのかな。
「主人公」
「「主人公」は22年前に作った歌・・・さだまさしをよく知っている人にアンケートを取ると、必ず1位はこの歌です。22年間、オレはこの歌を超える歌を作っていないと(笑)・・・こうして歌っていると大きな歌に育ててもらったなぁと思います。今にも緞帳が下りてきてもおかしくない(笑) ラストみたいだった。宅間、盛り上げすぎだぞ! そんなに力まかせに・・・そのうち血管きれるぞ〜(笑)
(大相撲の「物言い」を真似て(笑))え〜さきほどの協議について申し上げます(笑) 「物言い」は誰でも真似できるからね、今度やってみて(笑) こういうふうにね、ほっぺたをつまんで「先ほどの・・・」ってやると似てるから。
ここまでいいペースで来たねェ。1時間で?8曲かー!? ここから時間がかかるから(笑)・・・(喜ぶの客席の拍手に)え?どういう拍手よ、それ(笑)
ロスの後、フロリダに行くことになっていたんです。今日のコンサートが決まったのが、半年まえ。もう、6月にはチケットを売っていました(A^^;) すべては、毛利衛さんのせいなんです(笑) 石川鷹彦さんと「ほのぼの」というアルバムをレコーディングしているときに、くたびれ果てて合宿している自分の部屋に戻って、テレビをつけたら毛利さんの笑顔が映っていて、なぁんて素敵な笑顔なんだろうって思ったのね。ぼくらの世代の子供の時分って、男の子はみんな宇宙飛行士になりたかった。オレは利口すぎたんだねぇ。オレの時代には、間に合わないって思ってしまった。毛利さんは、あきらめなかった。自分の夢を守り通した。毛利さんの笑顔は、夢を諦めなかった人が、その強い夢が叶ったときのほんとの笑顔だった。ぼくは毛利さんの笑顔を見て大好きになって、勝手に毛利さんに捧げる曲を作った。それをスタッフが、まだCDにできていなかったときかな?デモテープだったかな?・・・毛利さんにプレゼントしたのがきっかけで、種子島で食事をしたこともあった。
毛利さんから、5月の連休に電話があったんです。「毛利です。また飛びます」(笑) 今度はNASAの仕事で、地球の立体地図を作るために飛ぶのだそうです。「今回は、個人的にCDプレイヤーを持って行っていいので、さださん、あの曲が入ったCDを僕にくれませんか」「ああ、いいですよ。何百枚贈ればいいですか?」「1枚でいいです」(笑) 「さださん、僕は宇宙で聴いたCDプレゼントしますよ」って(笑) 次のコンサートでロビーに飾っておくから、見てね。まあ、見てもしょうがないって人は、見なくてもいいけどね。オレは飛べないけど、歌い手になったおかげでオレのCDが宇宙に行くことになった(笑)
毛利さんからまた電話があって「さださん、よかったら打ち上げを見に来ませんか。家族席を用意させていただきます」「え!いいんですか!(笑) それでいつなんですか?」「9月16日です」(会場爆笑)自分のスケジュールを見て(笑) 9月16日三郷、9月19日千葉、この2ヵ所さえ来月に行ってくれたら(笑) 一生に一度のことだし(笑)・・・お客さんの身になって考えたんです。「ごめんねー。かくかくしかじかで・・・打ち上げを見てきたんだよー」って、盛りあがるんだろうなー。(会場から拍手)毛利さん・・・飛んでません。日延べになったんです(T_T)
口惜しいから、打ち上げ台だけでも見に行こうかと・・・宇宙センターまで行かなくてよかったよ〜。あのとき巨大ハリケーンが来ていて、300万人に避難命令が出たんです。大統領命令ですよ。行ってたら、難民の中にまじって荷物持ってあっちウロウロこっちウロウロして・・・日本に帰ってこられるかどうかもわからなかった(A^^;)
NASAから招待状が来たんです。1月13日。残念だなぁ。静岡でコンサートなんだよなぁ。 一生に一度のことだし、これさえ動いてくれたらなぁ(笑) スタッフがうつむいているよ(笑)
「夜間飛行」
メンバー紹介
「今日は、長崎くんちの最後の日です。おくんちの間、長崎港にお旅所ができるんですが・・・ぼくは子供の頃、空を飛んだことがある。おくんちの最後の晩に、桜町公園ジャングルジムからお旅所まで、確かに飛んだんです。でも、あいまいになってきた。20代の時は感覚があったのに。おじさんになったんだなぁ(A^^;) ジェームス・バリーの「成長しない少年」という小説の中に、こんな一説があります。「鳥が空を飛べるのは、自分が空を飛べることを疑わないからだ。人間が飛べないのは、信じていないから。自分を信じれば羽は生えるんだ」ぼくが空を飛んだ話は、もんたよしのりは信じてくれた(笑)
ジェームス・バリーの「成長しない少年」・・・「ピーターパン」の原作です。原作は、ケンジントン公園が舞台・・・来年ロンドンでコンサートをする予定です。ケンジントン公園の一角にあるロイヤルアルバートホール。日本人の男性では、大相撲が行きました(笑) 8,000人入る?レンガ造りの1871年の建物です。服部先生から聞いたんだけど、このあいだアルフィーがベルリンでコンサートをやったとき、日本から1,000人連れて行ったらしい(笑) 来年は2000年だし(笑)・・・目標は2,000人だな(笑) 盛りあがるだろ―なぁ。2,000人で無意味にケンジントン公園を歩いたりしてね(笑)
〜ロス在住の阿岸明子さんが、オーロラファウンデーション(オーロラ基金)を設立したので、そのチャリティコンサートで歌ってきたという話〜
海外で頑張っている日本人は、日本をとっても愛している。この国に暮らすぼくらは、どうだろうか。彼らのように日本を愛しているだろうか。危機感が全くない。考えただけで気が遠くなるよ。ウラン溶液をバケツでなんて。東海村の事故の翌日、ぼくは日立でコンサートの予定だった。万が一のことを考えて、お客さんの安全のためにコンサートは中止にした。もっとも交通機関もストップしていたから、行きたくても行けなかったけれど。日立は11月に延期になったけれど、翌日の水戸は予定通りできた。水戸は盛りあがったよお。オレ、あのコンサートは一生忘れない! お客さんの共通の趣味じゃん!さだまさし(笑) そうでしょ(笑) 水戸はね、始まる前から拍手している(笑) 「おいおい?まだ始まらないのに、もう拍手してるよ。どうしたんだぁ?」「生きてる喜びじゃないかぁ?」(笑)・・・作業員だけを責めちゃいけない。こうなってみると、彼らも被害者だったんだと思えてくる。
ベネトンの調査によると、日本で一番危機感のない場所は原宿・・・原宿に集まってくる若い人たちにアンケートをとったら、国のことを考えているのは0%だった。海外で差別と戦い、日本をしょいながら生きている日本人のほうが、この日本のことを案じている。
オーロラ基金のパーティがあった日の昼間、日本人の養護老人ホーム、ケイロウナーシングホームを慰問に行ったというか、阿岸明子さんと一緒にオーロラ基金の中からいくばくか寄付を持って訪ねて行ったんです。日本から来ているボランティアの人達が、ぼくのコンサートを聴きたいと言うんで。老人達の顔を見て、いろんなことを考えた。自分の怠惰な生活が恥ずかしくなった。
ギター1本持って行ったのよ。すぐ近くにもうひとつ日系人のための老人ホームがあって、そこはまだ介護は必要でない比較的お元気な老人達のためのホームなんですが、そこからもたくさんの人が歩いてきてくれて、わざわざぼくの歌を聴きに来てくれた。「こんにちは。ぼくは日本から来た歌手のさだまさしです。」200人の老人達のまえで、さだまさし無力だった(A^^;) 90歳代、さだまさし知らない!(笑) 60年前にアメリカに渡って、さだまさしなんて知らなくて当然なんだ(笑)
見まわしてみると女性の方が多かった。女のほうは長持ちするんだなぁ(笑) 30分ぐらいの時間で「精霊流し」「無縁坂」と歌ったけど、あんまり反応がなかった。若いボランティアの人達は喜んでくれたけど、もっと楽しんでほしいと思うのが、ぼくらのサガ。とっさにね、思いつきで「ふるさと」を歌った。
震えるような思いを、どう言ったら伝えられるかなぁ。老人達はね、3コーラス歌ってくれた。何度歌ってきたんだろうか。昔、奴隷のような仕事をさせられて、日本に対する差別も受けて、泣きたい日もあっただろう。海に向かって立っているお墓を買うことが、彼らの夢だった。日系人のお墓は海を向いている、それは日本に向かっている。・・・ぼくらは(日本に対し)どれだけ与え、愛し、耕しているだろうか。彼らに恥ずかしくて恥ずかしくてぼくは涙がこぼれた。
「ふるさと」
「本当は泣きたいのに」今回のツアーでは、椅子に腰掛けることが多いまさしさん。バックが間奏の間に星空に変わってとっても素敵でした。
人が生きるということは、年をとること、死んで行くこと。当たり前のことなんだけど、その当たり前が難しい。
〜超一流のじじいと酒を飲んできたという話〜
文芸評論家の山本健吉先生、ぼくらは山本一家を名乗っていたんだけど、長男が角川ひろきさんで、角川さんも大変なことがあったけど(A^^;) ぼくはクスリはやらないから(笑)薬と名がつくのは、風邪薬ぐらいだから(笑)・・・超一流のじじい達から教えてもらってきたこと、これから財産になっていく・・・早くじじいになりたい。性格はババア体質なんだけど、体質的にジジイ向きなもんでね(笑)
〜梅原龍三郎、遠藤周作、森敦各先生との関わり〜
山本健吉先生は優しい人、山本健吉先生と角川ひろきさんと、奈良で吟行したことがあったけど、法隆寺の夢殿横の桜を「夢しだれ」と呼んだのは山本先生が最初で、それ以後ぼくらはそう呼ぶようになったんです。山本健吉先生と長崎の興福寺で長崎を考えるシンポジウムがあって、そのときにぼくは先生にお尋ねしたんです。「先生、ふるさとってなんでしょうかね?」そしたら山本健吉先生はこう言った。「ふるさとは、町もぼくを覚えていてくれるところ」 そのときは、「うーん。そうなのか」と思っただけだったけれど、長崎の町を歩いていて、子供の頃、バイオリンをさげて(お稽古に)いやいや通った寺町通り、その途中にあるお寺の塀に傷を見つけて、「ああっ、この傷、確か子供の頃もあったなぁ」って。そのとき「ああ、これが、ぼくを覚えているんだ」 山本健吉先生、深いことを教えてもらった。
俺はカッコイイじじいになりたい!
「佐世保」
「遠い海」
「驛舎」
「桜散る」
全部バラード、禁断の4曲つなぎで聴いていただきました。近況報告をしてまとめに入る時間になりました(笑) 初期の作品をリメイクして録音をしています。以前「帰郷」というリメイクCDを出しましたが、今回はその第2弾として「続・帰郷」という・・・帰去来、風見鶏、私花集から14曲・・・年内か1月に発売できると思います。25年たった今のさだまさしの声で歌いなおしています。どうぞ期待していてください。〜元気と勇気の話〜
「続・帰郷」を録っていること、はからずも東海村の臨界事故でスポーツ新聞で知っていましたが、こうやってまさしさん自身の口から「期待してください」と自信たっぷりに言われると、とっても嬉しいですね。
「飛梅」
「修二会」・・・9/20の東総でもそうでしたが、ギターの弦が切れるほどの熱演です。
「ひき潮」
<EC1>
「聖夜」・・・衣装がブルーグレーのダブルのスーツに変わりました。オレンジよりもパンプキンカラーというような明るい色のシャツ、ネクタイはえんじ色と黒のコンビのように見えます。今回のツアーは、とってもおしゃれですねぇ。
「防人の詩」
<EC2>
20:50 2度のアンコールに呼びだされたまさしさん、ヨタヨタと歩いてきて笑いを誘います。(ほんとにクタクタなんでしょうね。ちょっと可哀想な気も・・・)コスモスの花束を貰って「秋桜か・・・」と感慨深げでした。
「夢の夢」・・・うーん。この曲、コンサートの最後に弾き語りで聴くと、ウルウルになっちゃって、ちょっと恥ずかしいですね。でも、素敵な曲!
<うちわ振りかざし隊報告(笑)>
最初は行く予定はなかったんですが、先月「東総」に行ったことに味を占めて(笑)、日帰りできるところならなるべくたくさんのコンサートに行こうと思い、参加しました。仕事の日だったので、どんなに急いでも入り待ちには絶対に間に合わないはずでした。ところが!!会場について、ミニオフの待ち合わせ場所にした正面玄関で待っていると、楽屋口らしきところに数人の人影があるじゃないですか! 様子をうかがうつもりで行ってみたら、Kさんがいて「道路が混んでいるみたいで、さださんまだなのよ」と教えてくれました。嬉しー\(^0^)/ 待ち合わせ場所もよく見えるので、さっそく入り待ち(笑) (待っている間に、ミニオフ参加のPさん、Mさん、名古屋のTさんも集まってきてくれました。)
石川さんはいつものように優しい笑顔でした。まさしさんは、ベージュのツィードぽいジャケットを着ていらっしゃるように見えました。すっかり秋の装いですね。楽屋口直前で、うちわに気がついてくださったようでした。
「お見送りは、混雑する楽屋口より駐車場の方がいいですよ」とある方からアドバイスされていたのですが、ほんとに楽屋口付近は狭いせいもあって、15人ぐらい集まってしまうともういっぱいという感じ。係りの人から「もっと離れてください!」と注意が飛んで来るので、アドバイス通り駐車場の出口へ皆で移動しました(笑) 私達のほかに、Iどーさんのグループが加わり総勢8人が派手なうちわを持って並んでいる姿は、あまり明るくない照明の下でどんなふうに見えたかしら?(笑) 昼間はいいお天気で暖かかったけれど、ぐんと気温が下がって寒かったです。薄着で来てしまったので、余計そう感じたのかも。
30分近く待っていると、楽屋口付近で歓声が上がったのが聞こえたので「あ、まさしさんだ」とわかりました(^^)。ベンツがこちらに来るまでのほんの短い時間なんですが、もう胸はドキドキ(笑) 顔は弛みっぱなし(A^^;) いけない!笑顔、笑顔!(笑)
まさしさんは、窓から顔を出して「みんなどうもありがとう!」と手を振ってくれました。やったー!!\(^0^)/「うちわ振りかざし隊関東支部」今度は大成功を収めました!(笑) 次もガンバルゾ〜!!