トークショー IN LONDON 2000.6.23
トークショーは、アルバートホールのコンサートの翌日の午後、ホテル・ノボテル・ウエスト(元ハマースミス)のバンケットルームで行われました。
英国式アフタヌーン・ティーということで、「本格的な」ものを期待していたんですが、出されたものにはがっかりしました。サンドイッチとスコーンというおやつでしたが、なんと言っても紅茶がティーバッグというのはね(A^^;)
400人以上の接待に「ティーポットで」というのは、無理な話かも知れませんが、もうちょっとなんとかならなかったもんかなぁ。皆、言葉に出さなくても、同じ思いだったんじゃないのかな。私だけが、期待しすぎていたとは思えないんですが。
サンドイッチも、かなり残っていました。もったいないと思ったけど、そうそう食べられるもんでもないですよ。「まさしさんがお話してくださっているのに、食べるなんて失礼なことできないわ!」という声も聞こえました(A^^;)
「食べ物の怨みは恐ろしい」ので、とっととトークショーの内容に入りましょう(笑)
テーブルは、ツアー主催会社が無作為に作った10人ぐらいずつのグループの代表者(これもあらかじめ決められていた)が、くじを引いて決まりました。私は13グループで12番のテーブル。2列目、ステージに向かって右端から2番目のテーブル。半分は、同じ号車の人でした。女性として気になるのは、参加者の服装ですね。和服、ドレス、スーツ、ワンピースといろいろでした。もっとも、トークショーについては、出発まえに「個人的な集まりですので、オシャレは歓迎しますが、ジーパンなどのラフな服装でも結構です」と告知されていたので、男性はTシャツ姿の人もいましたよ。
ティータイムが始まって30分ほど経って、まさしさん登場。(もちろんまさしさんは、違うホテルにお泊まりでした。)どこから入ってこられるのかなと思っていたんですが、入り口は一つしかなかったんですね。通路(あってなき通路でしたが(A^^;))をテーブルを縫うように、反対側のステージまで歩いてこられると、左右の人達から大歓声。握手してもらっている人もいたなぁ。黄色いストライプが入った生成り色のジャケット、インに黒のハイネックシャツを着ていらっしゃいました。ズボンも靴も黒でした。私の場所から、ほんとに遠いまさしさんでした。
このトークショー、録音もOK!ビデオも写真もOK!だったんですが、「絶対に席を立たないでください」と説明があって、私もデジカメとレンズ付きインスタントカメラ(つまり「写るんです!」です(笑))をフルに使ったけれど、出来あがった写真はどれもこれも全然ダメでした。まさしさんまで遠すぎたことはもちろん、思った以上にうす暗かったことも敗因です。時と場合によっては、フラッシュは使わないほうがいいですね。近くの人の背中がバッチリ写って、こんなのどうするの?状態(A^^;) それに、やっぱり重くても普通のカメラも持っていくべきだったと後悔しましたよ。(軽いからということで「写るんです」を愛用していたんですが・・・ボソボソ)
ああ、また愚痴が(A^^;) すみません。さて、長〜い枕が終わりまして、いよいよ、まさしさんのトーク編に入ります(笑)
ほんとにご苦労様でした。皆さん、ありがとうございました。遠路はるばる日本からお越しいただき、ありがとうございました。もうねー、私は疲れました(笑) ちょっと座って、いろいろと話をさせていただこうと思います。
急にBGMの音量が大きくなって「どこかにエレクトーンのお姉さんがいるんじゃないか」と冗談をいいながらも、とっても話にくそうなまさしさん。 「音楽が鳴っているところだと、落ち着いて話ができないんですよ。」とことわって、BGMを止めてもらっいました。そういえば「日本が聞こえる」でも、「雨音さえも旋律に聞こえて、気になってしまう」と言うようなことをおっしゃってましたね。(「音楽にオフはない」というお話だったように思います)「絶対音感」ってすごく羨ましいけど、やっぱり大変なことも多いみたいですねー(A^^;)
昨日、遠いところから来てくださった方、たくさんおられました。もちろん、日本からが一番遠いと思うんですけれど。チベットの人がいました。チベットからご夫婦で来てくださった。奥さまが日本の方、ご主人がチベットの方で、ダライラマの友達、不思議な人がいました(笑) 今度、ダライラマに会いましょうって、どうやって会うんだよ(笑)
ぼくらは早めに入りまして、1週間ほどまえに入って、実はレコーディングをしてました。昨日、コンサートマスターをやってくれたギャビン・ライツって方、キャビンライトじゃないですよ(笑) ギャビン・ライツって人がコンサートマスターになって、都合二日やったんですけれどね。
初日は、エアスタジオって言う、ビートルズを育てたプロデューサー、ジョージ・マーティがやっているスタジオ、教会というかレンガ造りの、まあどこもそうですけど(笑) 宣教師のための研修施設だった場所です。それを改造して、だから天井がやたら高いんです。天井が高くて、教会のサウンドですから、非常に響きが良すぎるんですよ。昨日もお気づきになったでしょうけれど、ロイヤルアルバートホールにも、音響板が上から、キノコみたいなのがぶら下げてありましたね。あれは、天井が高すぎるんで、音が回りすぎる。音響効果のためにああいうものを吊るんですね。エアスタジオも大きいのが吊ってあって。
翌日がアビーロードスタジオの第2スタジオというとところ、ここもビートルズのホームスタジオだったところなんです。
(写真は、アビーロードスタジオです。勝手な推測ですが、奥のレンガの建物がスタジオじゃないかな?玄関ドアをクリックすると、プレートの文字が読めるかも?)
すごいなぁと思ったのは、アビーロードのスタジオの前の、有名な横断歩道があります。その横断歩道を、皆が渡りながら写真を撮るのね。僕等の世代だったらわかるんだけども、もしかしたらジョンレノンやポールマッカトニーの孫ぐらいの子たち、ティーンエージャーが、あそこで写真を撮っているんだね。それを見たときには、音楽の力っていうのはすごいもんだなぁとつくづく思いました。30年以上近く前のアルバムが、今だに人を支えているっていうのは、すごいなぁと。つくづくビートルズのすごさというのを感じました。
それから、アビーロードスタジオ自体がもう、将来まちがいなく重要文化財になるんじゃないかなという建物で。特にビートルズが好んで使っていた2スタというのは、内装をあまりいじらず、機材だけを取りかえるようにしていると聞きました。
こっちの人はオバケが好きで、シドニーでコンサートをやったステイト・シアターってところも、一番上のシャンデリアにオバケが住んでいて、ときどき見えるんだって。うそつけ!って言うんですけどね(笑) でも、見えるって言うんですね。
アビーロードスタジオにもオバケがいるって言うんでね、出てこねぇかなと思ったら、エンジニアが・・・2曲録ったんですけど、一曲目が昨日ちょっと、ちょっとじゃない、ちゃんと歌いましたけど(笑)「明後日」って言う歌ですね。もう一曲は「最後の夢」って言うバラードなんですけど。これをアビーロードスタジオでレコーディングして、それからラフ・MIXという僕等が資料用に持って帰るテープをMIXダウンしてくれるわけです。そのときに、僕等はいてもしょうがない時間ですから、下でコーヒーを飲んどったら、エンジニアが「出たんだよ」って言うんですよ。「MIXしてたら、ここにいた」って言うんです(笑) 「誰がいたんだ?」「いや、なんかわかんないけど、いた! 滅多にそういうことは起きないんだけど、さっきはいたんだよ!」って言うんでね。おそらくジョンレノンだろう言ってたんですけど(笑)
まことにいい、想い出ができたなぁと思います。ギャビンさんの弦っていうのは・・・、なかなか音楽っていうのは難しいんですけどね。音楽を仕事としている人間っていうのは、3時間のワンセッション働いていくらって、わかりやすいんですよ。ですから、仕事しようがしまいが、そこにいれば、時間がくればお金がもらえる図式(日本)ができてて、だから、日本の弦が必ずしも劣っているとは思わないんですけど、グループの組み方によっては、ろくろく弾かないのに(お金を)貰ってる人、結構いるんですよね。
・・・そういう音がない。誇りを持って行動している。自分たちがどういう現場に行って、どういう音楽をやろうといえども、自分たちのハンコを押すんだっていうプライドを感じてね。
日本では考えられないんだけども、ギャビンさんが、1回仮に録音したときに必ず復調(室)へ来て、それを聴くんですね。「5分待って」って言って、スタジオへ戻ってメンバーに意見をする。この意見のし方が、チームワークのいい野球チームのミーティングみたい。かなりきついことをいるんです。「あのサウンドで平気だって言うのは、クレイジーだ。もっとちゃんと弾こうよ。」リハーサルって言うのは、彼にとってありえない。リハーサルで試しにやろうって言っても、それがほんとによかった場合、それは採用になるんだから、世の中にリハーサルはないって言う考え方。徹底してる。それが、ほんとの意味のプロなんだろうなって教わりました。
それはいいんだけど、一昨日も、ちゃんと練習したんですよ。全曲やったんですよ。新曲を除いて。新曲は、昨日初めてみんなで合わせたんですけど。昨日の3時ぐらいから始まって、全曲やるんです。ニ部全曲やるんです。鼻歌でいいから歌ってくれって言うんです。あのホールで鼻歌、歌えないですよ(笑) だから昨日僕は、ニ部は2回やったんです。もうねぇ、地獄だったですね。歌い出したときに「ヤバイなこれは。最後まで声持つかな」というような緊張感の中で、昨日はやらしてもらいました。
ロイヤルアルバートホール、いろんな感想をお持ちだと思います。想像していたよりも小ぶりだったなとか。やっぱり風格があるなとか。椅子がセコイなとか(笑) おのぼりさんみたいになるんで、詳しくはお話しなかったんだけれども(笑) ステージから見てこのへんの位置、客席からステージを見ていちばん後ろだったらここの位置に、ロイヤルボックス、クィーンズボックスがあるんです。王冠が壁にこしらえてあって、その下にエリザベス女王のボックスがあるんですけれど。実は、入ってみたんです、打ち合わせのときに。椅子は同じなんですよ(笑) 謙虚だなーと思ってね、びっくりしました。いや、本番になると、こんなの出てくるかもしれないですけど(笑)、僕等が見たときには、まったく隣りのボックスとクィーンズボックスの椅子と変わらなかったですね。これはね、ちょっとある意味で感動しました。
なんで斜めのこんな席なのかなと不思議だったですね。普通、こう見るとか、こう見下ろすとかいうところに造りそうだけど、たぶん音は一番いい辺りなんだろうなと思いますね。正直に申し上げて、ボックスシートの方が音はいいと思います。アリーナ席は、どうしてもあんだけたっぱ(高さ)があると、日本でも開場でもそうなんですけど、1番つらいのがああいう会場なんですよ。音を作るときに。クラシックみたい残響を
必要とする音楽のときには、ああいう会場はいいんです。アリーナ席でもじゅうぶんに聴ける。アリーナ席っていうのは、意外に音がべたーって沈み込んで奥行きなく感じる。音がつぶれて聴こえる。3階席になると、音がまわっちゃいますから。エコーの成分が強すぎるって感覚がするんじゃないかな。だからボックス席っていうのが、一番いい音。するところに、さすがクィーンがお出ましになるんだなと感じましたです。
ロイヤルアルバートホールは、1867年に造り始めたって本に書いてありましたから、大変な年月、あそこに建っているわけです。30年前に大改装して、それからポピュラーミュージックに門戸を開いて・・・ロビーにやった演奏家の写真が、ずーっと並んでましたね。あれ見ると、すごいなと思いますね。もっとすごいのは、写真に撮られなかった人達がきっとすごいんだろうな。音盤でも残っていない人たち。
先日、ドビュッシーが自分で弾いた音源が見つかったって話が、出てましたけどね。あの当時は、ロウみたいなもので作っているから残っているはずがないって。それを繋ぎ合わせたら、本人が弾いた音が出てきたって話を聞いたときには、ちょっと寒気がしましたけどね。
それでも、実際の演奏は聞けないわけです。あそこで、超一流の演奏家の演奏を聴くことができた一時期の人達。音楽というのは、ほんとに一時期のものだな、って思いますね。
たとえば、昨日のライブを間近に聴いてくださった方が、こんなにたくさんいてくださる。あるいは、5,000人のオーディエンスが、昨日あそこの中にいてくれた。それでも、あの現場にいた人しか伝わらない空間だったんですよ。もう二度と同じコンサートはできないし、記憶の中にしか残って行かない音楽ってきっとあるんだろうなと思いますね。そういう現場に来ていただいて、ほんとに幸せでした。
自分としては憧れたホールだから、取材の人達に「どうだったぁ?思いは?」どうっていわれても「疲れました」としかないわけです。WOWOWでたぶん中継すると思うんですけど、全部は無理です。抜粋して中継になると思います。会場を映すために、明かりがぱーっと入るんですよ。あの瞬間が、1番きれいだったっすよ。ステージから見てて。「おおー、ほっほ(笑)、いるいる人が」ってね(笑)
ところどころ空いている席があったのに、満席っていうのは不思議だなとお思いになったと思うんです。これはこのホールの独特のやりかた、年間予約席ですから。誰がそこでやろうと、自分がそこに座る権利を持っている人たちですよ。ほんとは、あんなに日本人が入る場所じゃない。ところが、こちらでお願いして「お宅来ないんだったら、安く売って」(笑) それを回すというやりかたで。返事がかえってこない席には、さすがに勝手に座るわけにいかないってわけで。それでももう、我々主催者サイドが売る権利がある席は、1席もなかったって状況なんです。これはもうほんとにビックリするようなことで。
うちのスタッフが・・・昨日だけで10キロ歩いたって奴がいましたね。10キロって言うと、だいたいゴルフ1ラウンドにあたりますけど。ヘタだと・・・もっとになるんですけど。廣田なんかは、15キロぐらい。そのときに、ダフ屋が現れてたって話を聞いた時にね。「イギリスのダフ屋は、イギリス風だった」って、よくわかんないですけどね(笑) やっぱりね、「目の色を変えて仕事をしてた」って言ってましたよ。(客席爆笑)
いろんな経験をしますね。「どうだった」って取材されたときにね、「もうここまで来ちゃったら、あとどうすんの?」って言われた。
実はね、いつが1番震えたかって話をしますとね。昨日のリハーサルのために、僕等は午前中に会場に入っていたんです。一昨日の夜中の2時から、イギリス側の人たち、我々のスタッフ、合計150人が徹夜で昨日のステージを組んだんですね。ほんとにみんな、ほんとに一所懸命やってくれたんですよ。僕等が行ったときも、まだステージを作っている最中でね。みんなヘルメットをかぶって、一生懸命仕事してんの。そんときに「あ〜、これは俺の現場じゃないんだから、まだステージに上がる資格はない」わけね。「もういいよ」って言ってもらってから、ぼくらステージに乗る人間っていうのは、そこから入るんです。最初に、ステージの上にぽっと足を踏み入れたときに、ちょっと震えましたね。「おおー!」っていう。
これほどにはないにしても、これに近いことが昔あったなって、いつだったかなって思いうかべたらね、アリスと野球の試合やったとき(笑) ストライクが一球も入らなくて、情けなかったね、甲子園球場で。ストライクってサイン出されたピッチャーって、俺だけじゃないかな。普通、ストライクってサインは出せませんよね。しかも、キャッチャー、声で「まさし、ストライク!ストライク!」って、情けなかったですけどね(笑)
それぐらい上がった。あのとき初めてマウンドに、投球練習であがったときに、白線をまたぐ瞬間に膝がガタガタガタって震えた。あのときよりも、震えたかなって感じ。ステージに足をポンと乗せたときに、「うわぁ、きちゃたなー」っていう感じかな。
でも、そのときが一番震えて、あとはそれどころじゃない。「おいおい、ちょっと、お客さん来るまで間に合わないぞ」ほんと怖かったですけどね、その分の緊張感。もうリハーサルが始まってからは、普通のコンサートと少しも変わらなかったです。普通のコンサート以上に過酷。今日が初日で、今日が最終日ってことです。これは、しんどかったです。
だからね、もっと自分の中で達成感があるかなと思った。「あー」って、ぐしゃぐしゃに泣き崩れて 「うわー、うわー(泣く)」ってね(笑) そのままバーンと倒れて「ぐわー、死んだ!」とか、そういう連想していた、前日までは。「遺書書いといたほうがいいかな」とかね(笑) いやほんとに、そういう思いで僕はロンドンに来てたんです。
ところがね、「欲が深いんだな〜、俺は」と思いましたよ。終わったあとで。達成感がないんだよね。やったって言う。あ、もうちょっといけたのにな、とかね、もっといいコンサートできたんじゃないかな、とかね、まだ行けたのになと思うとね、悔しくて寝らんなかった。寝られなかったから、酒呑んだわけじゃないけどね。ある種の達成感はあったんだけどね。祭壇があったとするとね、祭壇に辿りつけばね、もう私の道は終わった。祭壇に辿りついてドンと座った瞬間にね、扉がばーっと開いてね、今までより長い道がそこにあった。そんな感じかな(笑) ロイヤルアルバートホールが、次の道を示してくれたっていう気がしながら・・・なんて言うの?うまく言えないんです。たぶんこれから一週間、十日、一年二年かけて、自分で整理していくことだと思うんです。
あっけなかったですね。「え?もう終わりですか?」って。いや、喋り足りなかったって言うことじゃなくてね。一つはね、あまりにも自分の普通の時間と違いすぎたってことですね。ディナーショーのつもりで、ステージにあがろうと思っていたんだけど。ディナーショーじゃないね、ディナー無いし。不思議な空間でしたね。日本だったら、朝3時半に歌っているわけですからね。朝3時半から6時半まで歌ったっていうのは、1回しかないしね、日本では。あ、そうか、2回あるんだ。じゃあ、プライベート入れて3回だ。ヤクルトが初めて優勝したときにね、高野ひかるなんかと朝3時から朝6時半ぐらいまで歌ったことがありましたけどね(笑) 翌日もコンサートだったんですけど。
不思議な空間を経験させてもらいましたね。結論を言うと、ほんとにいい勉強になった。まだ行けるって思いがね、まさか出てくると思わなかった。実際ね、どうしようかなって思ってた、このあと。ロイヤルアルバートホールっていうのは、ある種、音楽をやっている人間にとっては、なかなか行けるものでもないし、これが最高最大と決めつけるのはおかしいけれど、ある種の人間にとっては到達地点だと思うけれど。僕には到達感がないですね。欲張りですねぇ、まだまだ先があるんだなぁと思ってね。
ひとつはね、アルバムがちょうど半分まで来たところで、コンサートが入ってきたんでね、頭がもうアルバムに切り替わっていて。コンサートが終わった瞬間に次、何考えているかって言ったら、年金のことしか考えてないんですよ。すぐ年金で、まさしんぐWORLDありますからね。年金でまたこれやるのかって思っているわけ。「これ、全部やるのか?おい」って。休憩取るわけいかないなとかね。どうしようかね〜?
正直こんなにたくさんの方が、ツアーで応援して参加してくださるなんて、スタッフも思っていなかったと思います。多くてこの半分だと思ってました。こんなにたくさんの方が来てくださる、ほんとにありがたいなぁって思って。ある種、安心感があるわけですよ。400人の人が、俺の段取りを知っているって言う(笑) なんか、大丈夫だなって(笑) 400人の人にとっては、何回も聞いた話だろうなって思ったりもしてね(笑)
でも、ロンドンで話さなければならないことって言うのもきっとあったんで、ああいうトークを選んで。やっぱり不思議ですね、何度も何度も聞いた話でも、ロンドンで聞くとまたちょっと違った感じでお聞きになったかもしれないし、それから途中気を失っていた瞬間っていうのも、何箇所かあったと思います(客席爆笑)ギター曲の2曲とかね。それから「無縁坂」「精霊流し」1番シンドイ時期だったかな。僕の同級生も「あそこで寝た」って言ってました。「すまん!」って謝ってましたけどね。謝ることはないんですよね。僕なんか、どんなに憧れたクラシックの演奏家のコンサートでも、1回必ず寝ますからね。気持ちよくなると眠くなるんですよ。不健康に生活してますからね、いつでも眠たいですからね。寝ようと思えば、いつでも寝られますからね。「あーん、気持ちいい〜」ガーッ・・・寝ちゃうよね〜(笑)
普通のさだまさしコンサートでも、2列目で寝ている人いますよ。ほんとに。口あけて寝ている人いますから。いやほんとの話(笑) 俺、心配になるときある(笑) その人、落ちそうになってるんだ。あのまま、崩れ落ちて行くんじゃないかなってね。最前列です、こないだ。親子です、親子。お母さんがいっちゃてるわけ。おかあさん、寝がけに聞くクセがあるんだね。寝がけにさだまさし聴いている人、多いですからね。寝がけにさだまさし聴いている人、そういう人はイキやすいです(笑) 途中で2,3曲寝ちゃったから、このコンサート退屈だったかっていうと、そうじゃない。これまた不思議だけど、違うんですよ。寝た瞬間はもう最高だからね。寝た瞬間のこと覚えてないんだから、もお、最高!なわけ(笑) 元気になっちゃってるしね。他の人が眠くなるころ、元気になっちゃって(笑)
もう可哀想だから、最前列(笑) ここでお母さん、寝ちゃってるんですよ。俺が、起きているお嬢さんに向かって話をするわけ。そうするとお嬢さんが、(うなづきながら)思いっきりお母さん、ドツイてるわけです(笑) 「ほっときなさい」とは言えないからね。「いいよ、寝かしといて」ってわけにいかないから。ふっと目そらして、さだがこっち見ていないと、蹴っているわけ。そんなことまでして、起きてなくていいから、寝ててもかまわないから(笑)
ロンドンは、ツアーでいろんなところにおいでになるでしょう。僕等は仕事で来ているんで、あちこち行く時間・・・ほんと笑っちゃうぐらい時間、ないもんなんですよね。どうしてこんなに時間がないんだろう。寝なきゃいいんでしょうけど、眠たいしね。時差ボケですから、ちょうどこれからあとの2時間ぐらいが、一番眠たいですよ。3時か4時ぐらい。アフタヌーン・ティー、あれは寝ろと言われているような気がするね(笑)
あそこも行きたいな、ここも行きたいなって言ってて、実は昨日も弾いてましたぼくのバイオリンが、グラスゴー製だっていう話はステージでしました。グラスゴー製のバイオリン。旅行用のパンフレットに、制作年をウソを書いています。1894年製を1897年製って間違えて書いてます。実際は、1894年製のバイオリン、106年まえのバイオリン。たいしたバイオリンじゃありません。安物ですから。胴が太いんで、プロが作ったんじゃないっていうのはよくわかってた。おそらく、弟子かアマチュアが作ったんだろうと思っていたんですけど。
グラスゴー、どうしても行ってみたくてね。グラスゴーっていうのは、有名な工業都市で、スコットランドにあるんですけども。飛行機で1時間20分なんですね。着いた当日は、さすがに疲れもあったし、準備もあったし、曲もまだ作ってましたから、いろんなことで慌しく一日が過ぎて、翌々日にグラスゴーへ飛ぶことにしました。
飛行機の一番後なんですよ。ボーイング757、初めて見る飛行機なんです。いちばん後ろのせまいとこに、ヤだなー思っていたら「ちょっと遅れるから」って、「あ〜ヤだなー、早く行ってくれないかなー」1時間動かないんですよ。それで、ジュースが出てきたんですよ。「もう1時間ぐらい動かないのかなー」って思っていたら、なんかアナウンスしているんですよ。なんかトラブっているというのはわかるんですよ。私の語学力でも。10分かかるか、5時間かかるかわからないんですって(A^^;)
一緒に行ってた渡辺君がその日中に、弦のアレンジを書き上げてしまわないと、レコーディング間に合わないってことだったんで、グラスゴーで僕等が過ごす時間は、4時間半ぐらいしかなかったんです。行って当日、バイオリンショップへ行って、これ作った人を知りたいから、それを調べたらすぐ帰ろうと。ところが5時間かかるって言われたら、途中で帰ってこなきゃいけないわけですね。結局ね、その日一日飛行機が動かなかったんです。今年は飛ばない年です(笑)
つづく