2000.9.25 戸田市文化会館   

当初、私の予定にはなかったコンサートです(笑) どうしようか迷いましたが、初日の越谷よりも交通の便がいいんじゃないかなと思って、やっぱり行くことにしました。横浜から京浜東北線で「赤羽」まで行き、埼京線に乗り換え「戸田」駅下車です。所要時間は、約90分ぐらいかな。戸田駅から会館までは、徒歩で5、6分です。
♪行きはヨイヨイ、帰りはコワイ〜〜じゃないけれど、行きは時間がかかっても苦じゃないけれど(だって楽しいことが待っているし(笑))、気がかりなのは帰りなのですよね。不良主婦代表みたいな私でも、「日帰り範囲」が基本ですから(笑)

楽屋口に着いたのは、2時半ごろ。川瀬さんファンのSさんが、ちょうどいらっしゃったところでした(笑) メンバーは、ベースの岡沢さんが一番乗り。そのあと、川瀬さん、宅間さん、石川さんと続いて入られました。皆さん、いつものマイカーです。(倉田さんは、電車でいらっしゃったみたいでしたが)
地元のY氏や、次々と人が増えて入り待ちが9人ぐらいになった頃、自転車に乗ったいまどきの女子高生が通りかかって「何?さだまさし?さだまさし、来んの? 待ってんの?」(笑)(呼び捨てされてしまってる(A^^;))「ねぇ〜、さだまさし、来るんだってさ〜!見ようぜ〜!」と友達を呼んできて(笑)、さらに5人ぐらい増えました。(動物園のショーじゃないんだから、「見ようぜ」はないんじゃないかい!?(爆))
まもなく、まさしさんがいらっしゃって・・・若い若い入り待ちがいて、まさしさんビックリされたかな?それとも、ただただ嬉しかった?(笑)
そうそう、まさしさんが来られるちょっと前から駐車場に近づけなくされてしまったので、10mぐらい離れたところからしかお顔を拝見できなかったんですよ。眼鏡を外したまさしさんを、彼女達はちゃんと「さだまさし」と認識できたかしら?(A^^;)

席は1階11列の右端のほうでしたが、よく見えました。戸田は、2年前の初日以来だったのですね。>まさしさん。やはり、オリンピックの話題から入りました(笑) 「通の見方」という話は、なんだか人生を感じさせるものがありましたよ。「シンクロナイズドスイミング、あの作り笑顔はやめてほしいなぁ。男子のは、見たくない(笑) (水の中から足を出して)八墓村だよ(笑)」あはは。確かに〜(A^^;) 
サイモン&ガーファンクルに憧れて、デュオをやりたかった、などなどグレープ時代の思い出話をなさっていました。独身時代に住んでいた市川・国分のアパートで飼っていた?ヤモリの夫婦の懐かしい話もありました(笑)
何千回も歌ってきたあの曲も(笑)「このメロディ覚えているかな。ギターコードは、これでよかったかなと不安になることが今でもあるんだ」と意外な打ち明け話もありました(A^^;) そして「今、歌いながら、なぜか昔に(グレープ時代に)泊まった博多のホテルの部屋の様子や、廊下にあったつい立の模様を思い出していた。人間、死ぬまでにいろいろ思い出すというからね」なんて、この日のまさしさんは、予定のトークをちょっと外れることが時々あったように思いました。お疲れだったのかな。
「僕のようなメッセージを感じるような作り方は、時代遅れになってしまったそうだけど、このやり方を変えるつもりはない」「人を弾きつけるような曲を作りたい」と、ロンドンでビートルズから学んだという音楽への想いをしっかりと話してくださいました。アルバム「日本架空説」については、「これからアルバム3枚ぐらいかけて、日本のいいところを歌っていこうと思っている」と仰ってました。このアルバムは、まさしさん自身への問いかけでもあると私は思っているんですけど、「僕の愛する日本という國は、ほんとうに存在するのであらうか」この結論を、まさしさんは急ぎすぎないほうがいいと考えていらっしゃるんでしょう。

「言葉は多すぎても足りなくても、人を傷つける。言葉は難しい。言葉を言うところには、軋轢が生じるもの。八方丸くしようなんて思っていると一歩も足が出ないからね。あまり気に病まないほうがいい」 ちょうど個人的に、ネットでの文字だけの意思疎通の難しさを感じて落ち込んでいるときだったので、この言葉はまるで私に向かって言ってくださったのかと思えるぐらい、有り難かったです(T_T)
気になったのは「俺はもう川にも帰ったし、あとは塩ジャケになるだけ」とぼそっと仰った一言です。「心の時代」で、星野道夫さんについて語ったとき「俺の帰りたい川はどこにあるんだろう」と仰ってました。その川を、まさしさんはもう見つけられたんですね?その川が、何を意味するのかは、私にはわからないけれど(いや、なんとなくわかってきていますが)、これからまさしさんが何をしようと思っているのか、考えるとなぜか切なくなってしまいました。人生の残り時間を気にするような、もうそんな頃なんですかね。 ラストの曲とアンコールの曲の繋がりが、まさしさんの想いを伝えてくれているのかしらと思うと、切なくて涙が出ました。私達は、まさしさんから「元気」をいただくばかりで何も返して差し上げられないけれど・・・どうかご自身もご家族も大切になさってほしいと願わずにはいられませんでした。

出待ちは、15,6人だったでしょうか。ほとんどの方が駐車場出口で待っておられましたが、私達は、搬入口の真正面で待つことにしました。20メートル以上は離れていたんじゃないかな。(もっと離れていた?)
駐車場の植え込みがあるので、まさしさんからは「さらし首」のように顔だけが見えたんじゃないでしょうか(A^^;) ちょうど街灯の下だったので、うちわが目だったと思います。まさしさんは、車の中でもずっと手を振ってくれました(*^^*) あんな風に手を振っていただくと、お見送りする甲斐があるというものですねぇ(笑)

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