2001.2.7 なら100年会館〜修二会(お水取り)1250回記念〜
朝から冷たい雨でした。8時30分に子供達を学校へ送りだし、8時55分の新横浜発の新幹線に飛び乗りました(A^^;) 車内アナウンスには気をつけていたんですが、例の車掌さんのようなアナウンスはなかったですねぇ(笑)
京都駅からすぐに近鉄に乗り換え、奈良まで直行です。早めに奈良について、ゆっくりお昼ご飯を食べ、興福寺や国立博物館を見て回りました。詳しくは、旅日記で。
関西(キョードーさん)は、警備が厳しいと噂に聞いていたのですが(A^^;)、心配していたほど怖くなかったですよ。最近は入りの時間が遅いので、もう少し遅くてもいいかなぁと思ったけれど、心配なことがあったので早い時間から待っていました。
というのは、前々日の大阪・門真市のアコステで、まさしさんの声が出なくなりコンサートを中断したと聞いていたからです。この時期、まさしさんは喉の調子が良くなかったり、体調を崩したりしやすいですね。ただのファンがいくら心配してもしょうがないこととわかっていても、やっぱり寝不足になるほど心配でした(A^^;)
入り待ちには、関東のおなじみさんが4人。近郊の方が3人(一人は男性)、全員で8人でした。そのあと、初めて入り待ちするという大阪の母娘が加わり(とっても楽しい方でした)、なぜか会館専属の警備員さんまで話に加わってきて、とっても賑やかでした(笑)
メンバーは全員楽屋入りしたけれど、肝心のまさしさんはなかなか現れません。病院へ行っているのだろうか、そんなに具合が悪いのだろうかと考えは悪い方向へばかり。途中で道に迷われていたそうです。結局、まさしさんの入りは、5時を回っていました。話相手がたくさんいたので、気が紛れたけれど寒かったです〜。傘を挿していても、手に持っていた紙袋は、破けそうなくらいになっていました(A^^;)
まさしさんは、私の心配を払拭してくださるかのように、にこやかでお元気そうでした。楽屋口に入るときも振り返って手を振ってくださったようでした(^^) まさしさんがお元気だった、ただそれが嬉しくって、実はあまりよく覚えていません(A^^;)
わざわざ奈良に行くことにしたのは、昨秋に行われた諏訪湖グリーンホールのディナーショーでのまさしさんのひとことがきっかけでした。私は、このディナーショーには行っていませんが、友人から聞きました。正確ではありませんが、こうおっしゃっていたそうです。「来年2月に、「修二会」コンサートをやることになった。「修二会」という行が始まって来年が1250年になるそうで、東大寺さんに呼んでいただいた。」最初は野外でやって欲しいといわれたけれど、冬の野外は勘弁してくださいとお願いした結果、なら100年会館で行うことになったと仰っていたそうです。
それなら「修二会」にちなんで変わった趣向があるかも知れないと期待して、チケットを取ったわけです(A^^;) お坊様の有難いお説教があるのかとか(笑)、もしかしたら、ステージの両脇で松明が灯されているんじゃないかとかね(笑) 先行予約の前に、念の為問い合わせもしましたが、その時点では主催側もどんな内容になるのかはわからなかったようでした。JCBのチケットには、今までと同じで「日本架空説」としか書かれていませんでしたが、キョードー大阪で発売したチケット(ある人から譲っていただいた)には、ちゃんと「修二会1250回記念」という副題がついていました。
100年会館は、外観も異色な趣で、ホールも凝った作りでしたが、ロビーが暗すぎました。六本木あたりのクラブじゃないんだからさぁ・・・と、思ったぐらい(A^^;) ピーススフィアのボランティアさん達が、何をしているのかわからないぐらいだったんです。
ホール内に入ってビックリ! なんと、私の席は最前列!! しかも、トークのときの立ち位置です。隣りの席の友人と「間違えてないよね?」と何度も確認し合いました(笑) ドキドキしたけど、嬉しかったです〜(^^) たっぷり、生まさしを味わいました。うん、美味しかった!(笑) 詳細は、私だけのお楽しみにしておきます。
うちわもしっかり振りましたよ(笑) 最前列なので、回りの人への気がねが少なくて済みますね。修二会1250年記念にちなんで?、作り直したんです(^^) 前のはキラキラがヌケ始めていたので、ちゃんとフサフサにしておきました(爆)
まさしさん、やっぱり喉のほうは、大変辛かったようです。お水を飲む回数もいつもの3倍ぐらい、歌やトークの途中の咳払いも多かったですね。でも、さすがプロです。門真のことを知らない人には、そんなに気にならなかったかも知れません。ほんとに頑張っていらっしゃいました。抱きしめて、いい子いい子したくなるぐらい。(笑)
最初のほうは不安定だった喉も、尻上がりによくなり、門真で中断を決断する目安になった「秋○」を歌いきったときには、ほっとしました。メンバーも、まさしさんを援護するように、心をひとつにして頑張っているのがわかりました。アンコールを終えたときには、私のほうが放心状態でした。
このツアーの呼び物の「幕」が吊れなかった場合、メニューが若干違ってくるのですが、その場合の2曲めに来るはずの曲がありませんでした。「あれぇ?」と思いましたが、奈良ということで歌われなかったのかな? 好きなんですけどね〜。特に「つ〜きな〜汁」と歌われるところが(笑) 八王子では、間奏で口笛も吹いてくださったので嬉しかったんですよ。またどこかで、この曲を聴けるといいな。
こんなに忙しいのに、お休みの日には旅をなさっているそうです。普段は移動のための旅だから、ほんとの旅とはいえないけれどと前置きして「毎日、旅をするって大変だよ。ホテル、コンサート会場、飲み屋に行く、その繰り返し。飲み屋のオネェチャンの名前しか覚えていない」と、これがなぜか嬉しそうなのでした(笑)
「なぜ、あのとき、結婚したんだろう。なぜ、あのとき、莫大な借金をしてしまったんだろう。そう思うこともあるけれど、後悔はしていない」とまさしさん。奥様が聞いたら、ちょっとオカンムリにならないかしら?(A^^;) もちろん、ゆるぎない信頼があるからこその、余裕から出た言葉なんでしょうね。結婚なさって、今年は18年目ですもの。奥様も、これぐらいどうってこともないんでしょうね。
「あそこの分かれ道で、選び直せるなら・・・」と思うことは、私にもあるけれど。自分の努力しだいで未来は変えられる。そう思って、頑張って生きていこうと思います。
「なぜ、あのときに出会わなくて、どうして、今、出会ったのだろう?」まさしさん、まるで胸のうちを吐露なさっているような?(A^^;) 偶然の風の中にありながら、やはり出会いには意味があるのでしょう。
「歌にしたい素敵な人がたくさんいるんだ。今年は、いっぱい曲を作るからね。いや、難しいのばかりは作らないよ。惚れたはれた、これが一番!(笑)」また、女性ファンを悩ましくさせる歌を作るおつもりですか?(A^^;) それも好きだけど(爆) どなたをモデルにして、どんな歌を作られるのか、楽しみですね(^^) ああ、モデルになってみたいわ〜!(笑)
奈良に来たら、やはりこの曲を歌わずには帰れない(笑)、奈良にちなんだ2曲を歌われました。そのために、通常のメニューにあった曲が3曲なくなりました。お召し替えられたあとの「ゴーシュ」(笑)につづいて、「あなたに会いたいと思う」のリフレインが切ないあの曲を歌われたときには、「え?まさか?まだ終わりじゃないよね?」って、焦ってしまいましたが(A^^;) ちゃんとスペシャルがあったので、ほっとしました。
最前列の幸せに酔っていたせいもあって(笑)、ほとんどメモを取らなかったので正確ではないかもしれませんが、「今年が、修二会が始まって1250回。日本人が日本を意識して、1250年ということなんだね」と仰っていました。真ん中の列あたりに、お坊さまがズラリと座っていらっしゃったそうです。
「奈良は、「日本人のふるさと」だね。DNAの中に、あるんだろうね」とまさしさん。私も、いつもそう思うのです。奈良に行ったのは、3,4回しかないのに、私にとっては重要な町のような気がします。輪廻転生とか前世の記憶とか言うとオカルティックに取られがちですが、私の前世は奈良にあったとさえ思えるときがあるんですよ。「斑鳩物語」に出てくる風景が、前世の記憶とだぶるように感じることがあります。菜の花畑の向こうに見える五重塔・・・これが私の原風景なのかな。
薬師寺奉納公演がご縁で、また新しい奈良の歌を作られるかも知れませんね。5月18日に歌われるかしら?それから、「BSで修二会の案内役をするからね。修二会専属みたいだな(笑)」と仰ってました。これもまた楽しみです〜。
お見送りは、11人ぐらいいたかな。「うちわ振りかざし隊」のメンバー(準メンバーも含む)が、7人でした(笑) 「うちわ振りかざし隊」というのは、もともとネットで知り合って結成したんです。東京、大阪、名古屋のメンバーが揃うのは長崎以来。この次に結集するは、薬師寺でしょう。長野につづいて、3月には中国支部も発足する予定。まさしさんの反応が、楽しみです(笑)
メンバーは、全員同じワゴン車で帰られたのですが、宅間さんはかなりお疲れだったようで、他の人が乗り込む間にも壁にもたれかかっておられました。そういえば、宅間さんも風邪をひいておられたんですよね(A^^;) 宅間さん、お疲れさまでした。
まさしさんは、別のワゴンでした。スモークガラスだったので、お顔が見えない〜と思っていたら、目の前で窓が開いてまさしさんのお顔が見えたので、とっても嬉しかったです。「どうもありがとう〜」の言葉が、いつもより優しく胸に響いたのは、無事にコンサートが終わったという安堵からだったでしょうね。
このコンサートは、どうしても下ろすことができない重要なコンサートだったそうです。「修二会1250回記念」の布石的な行事でもあったということなんでしょう。「どうしてもお辛かったら、途中でやめてもいいんですよ」なんて思っていたけど、最後までやり遂げられて立派だったと思います。まさしさん、ほんとにお疲れさま〜!