2000.12.8 NHKホール

すっかりテリトリーのNHKです(笑) 渋谷駅から10分ぐらいの坂道は、日によって人ごみの中を分け行かなればならないこともあるので意外に疲れますね。
他に用事があり早めに家を出たので、渋谷に着いたのが2時前でした。ちょっと入り待ちには早いな〜と思いつつ、他に寄りたい場所も思いつかなかったので真っ直ぐNHKへ。やっぱり、入り待ちでは一番乗りでした(A^^;) 平日の入り待ちは少ないから、結局、お馴染みのMさん、Kさんと3人だけでした。
岡沢さん、繁理さんが入られたあと、向こうからキャメル色の上等そうなコートを着ておひげを蓄えた素敵な男性が歩いてくるなぁと思って見ていたら、石川さんでした(笑) 電車で来られたそうです。Kさんが2月のコンサートのことを尋ねると「そんなのあんの?」とご自分のスケジュールについては、まったくご存知無い様子でした(笑)(A^^;)

まさしさんが来られたのは、3時半でした。服装は、いつものように全体的に黒っぽい感じ。まさしさんは楽屋口に入りかけて、「おや?」という感じでもう一度私達のほうに顔を向きなおされました。何か仰りたかったのかしら?今日は笑顔を見せてくださらないのね、と淋しく思っていたら、ニコッと笑ってくださったので嬉しかったです(^^)

コンサートは6時5分過ぎに始まりました。私の席は1階C6列で喜んだのもつかのま、なんとP列(オーケストラピット)にもお客さんが入っていて、実際は11列目だったんです(A^^;) WORLDのときもP列にお客さんが入れたら良かったのにねぇ。
まさしさんのトークは、だんだん身体を張ってきてます(笑) 友人が言うには「エガシラ入っている!」って(笑) ん〜、確かに(笑) 腰骨を打ったと言ってましたが、この先、大丈夫かしら?
「人の国のことは言えないけど・・・」と、まだ決まらない米大統領選挙に少々呆れ顔のまさしさんでしたが、ひとつひとつの選挙区がそれぞれ独立している州だから、いろいろと難しいのでしょうねぇ。でもそれにしても、副大統領が決まっているとはいえ、実質上の大統領不在の期間が長くなると外交的な弊害が生じてくると思うんですが、ほんとに大丈夫なんでしょうかねぇ。大国だけにいろいろ心配。もっとも、私が思い悩むことでもないけれど(A^^;)
そうそう、3日の大宮では「キムタク」でしたが、「眼鏡を外すと『田村正和』に間違えられる」に変わっていました(爆) 
毎年恒例の、高校時代の恩師を囲んでの「七夕会」があったんですねぇ。カラオケに行ったら、点数が表示されて・・・持ち歌を唄ったのに散々な点数だったとボヤイていらっしゃいました。仏滅神主の石川正人さんが歌った「無縁坂」が76点で、まさしさんはそれよりも低い点数だったそうですから、それはがっかりされたでしょうねぇ。
「体温が乗った言葉は、人の耳を引張る」・・・日本橋・三越の店内放送はツボでした(笑) 「3階婦人下着売り場で、たくまひさよしちゃんとおっしゃる3歳ぐらいの坊やが、かぶっておられます」で、ちゃんと宅間さんがタオルをかぶったのが大ウケでした。

12月8日は、ちょうど太平洋戦争開戦(パールハーバー)の日で、そのことを新聞もテレビもほとんど取り上げないことに愕然としていましたら、まさしさんがトークの中で少し触れてくださったので、ほっとしました。戦争を忘れたいと思う人もいるでしょうが、繰り返さないためにも思い出さなくちゃいけないことがありますよね。多くは語られなかったけれど、「僕は長崎出身ですから」と仰った短い言葉に平和に対する思いが凝縮されているように思いました。
青春の蹉跌、病気そして帰郷・・・身体を壊して長崎へ帰ったときの、不甲斐ない自分への苛立ち、しかし帰る場所があって、迎えてくれる家族があって幸せだったと・・・細かいギャクを交えながら苦労を語るまさしさん、「昔には絶対に戻りたくない。どの俺も嫌だよ。でも、会いに行って「人生を捨てるな。いつか・・・」と励ましてやりたい俺がいる」という話は、なんだかこちらがもらい泣きしてしまいそう(;_;)
「辛いことが続いている人、きっといいことがあるからね」と、まさしさんの言葉を信じたいなと思いました。
「僕の歌は個人書簡。(自分にとって)カッコつけた歌は、上滑りしていく。人の心に残るような名曲と作れるように頑張っていきたい。人生の持ち時間を計算する年になったけれど」と、歌作りへの情熱は今も冷めやらずにいることを話されました。
そして「今年ほど「バイオリン弾きにならなくてよかった」と思ったことはない。満席のロイヤルアルバートホールで歌ったんだということが、これからいくつもあるだろう試練の中で自分の背骨を支えてくれるだろう」と。私も、あんなに感動したことはなかった。証人として立ち会えたことを、一生忘れないと思います。
最後は「元気と勇気」の話。これを聞かないと、忘れ物をしたような気持ちになりますね。元旦の朝、枕元に置かれた新しい命と「元気でね。幸せでね」と書かれた真新しいカレンダー、私は来年、どんな思い出を記すのでしょう。まさしさんのカレンダーは? こっそり見てみたいですね(笑)(xx)\(~~)

コンサート終了は、意外に早くて9時ごろでした。なんとなくトークを急いでいたように思えたのは、気のせい?
出待ちは、大阪から来られた5人の参加もあって、13,4人いたと思います。あまり人数が多いと「他の場所へ移動してください」と言われるかもと思っていましたが、寛大な目で見てくださったようでした(^^)
お母様はハイヤーで帰られましたが、お父様はまだ出てこられませんでした。石川さんや渡辺さん、繁理さんは渋谷駅方向へ歩いて行かれたのですが、飲み会があったのかなぁ。打ち上げは、セットをバラす必要がない10日だと予想していたんですけど。
クリスマスが近いせいか、まさしさんへのプレゼントがたくさんありました。車のトランクがなかなか閉まらなくて(笑)、木さんやスタッフが何度も入れなおしていました。いや〜、すごかった。きっと、まさしさんのゴルフバックも入っていたんでしょうね(笑)
まさしさんは出てこられたのは、9時半ぐらいでした。終演後も楽屋挨拶に来られた方が多かったでしょうね。「長崎から」で共演したBEGINが来ていましたし、ロビーに和服の浜美枝さんを目撃した人もいたようです。
奥様と詠夢ちゃんがいらしいて(大陸君は見かけなかった)まさしさんの運転で、助手席は奥様、後部座席に詠夢ちゃんが乗り込まれました。何度見ても羨ましい光景(A^^;)
まさしさんは、車に乗るときも「ありがとう〜」と仰ってくださり、車を発進されるときも窓をあけて「ありがとう〜」と仰ってくださいました\(^0^)/

紅白で何を歌うのか、まだ決まっていないそうです。来週にはわかるかな。歌ってほしい歌は、いろいろあるけど、一般の人が喜んで聴いてくれる曲と考えると、難しいですねぇ。とにかく、まさしさんが楽しんで歌える曲に決まるといいですね(^^)
書き忘れていましたが、紀宮様の御来席はありませんでした。

BACK