2001.1.29 市川市文化会館

まさしさんの、地元のひとつですね(^^) 総武線の本八幡駅から、徒歩で15分ぐらいでした。お天気はよかったですが、ちょっと寒かったです。前々日の大雪の名残が、まだあちこちに残っていました。すでに到着していた友人から、松戸のコンサートの入り待ちの様子を聞くことができました。吹雪状態で、まるで「八甲田山」のようだったとか。もしもチケットを持っていたら、きっと私も雪中行軍していたかな(笑)
開演前のアナウンスも「さださんも頑張るそうですので・・・」という、雪の日仕様だったそうです(笑) これは、たくさんの人が気がついたようで拍手が起きたとか。「体温が乗った言葉は、人の耳を引張る」ということを実証されたんですね(笑)

いつものように、岡沢さん、宅間さんが早く来られました。宅間さん、わざわざ立ち止まって写真に応じていらっしゃいました。ニコニコと可愛い笑顔でしたよお(笑)
まさしさんの私服は、黒のレザーのジャケットに赤茶色の細身のズボン。「いつも、ありがとう」と声をかけてくださいました。はずみで握手していただきました〜(A^^;)

「すごかったよ〜、雪。それでも、お客さんが来てくれていた。「お客様は神様」だと思ったよ。俺なら、絶対行かない(笑)」と一昨日のことを話されました(笑) 私の友人達も、あの日は早めに行って会場近くで待機していたそうです。まさしさんの車は寒冷地仕様なので、四輪ともスタットレスタイヤだから「心配なのは、よその車よ。ノーマルタイヤだったら、コワイよお」とか、「今日は、二列目の双眼鏡もOKよ。何でもOK!」と、松戸ではトークも雪の日仕様でギャグもたっぷりだったそうです。(笑)
「僕は、昔、アイドルでした(笑) もう、キャーキャー!!(笑) 最近は、黄色い声を聞かなくなったな。えび茶色とか群青色が多くなっちゃって・・・ねぇ(笑)」まさしさんたら、私達だって昔は黄色い声だったんですよ〜(A^^;)
「アリスが再結成したから、グレープの再結成どうですか?なんて聞かれるけれど、吉田も忙しいしね。BSの「とっておきディナショー」で、一晩限りの再結成をやったので、あれでカンベンして」なんて仰ってました。そうですね。何かの区切りのときに、グレープの姿が見られたらいいかな。「レーズン」が「ワイン」になるのは、いつかしら?(笑) 

ホテルプラザのバー「マルコポーロ」で、中村八大さんからサインをいただいた思い出を「日本が聞こえる」にも書かれていましたが、まさしさんが色紙の代わりにとっさに差し出したものは、お財布だったそうです(笑)
JR新大久保駅で、ホームに落ちた人を助けようとして命を落とした二人の男性について「俺にはできないよ。あの心が失われたってことが残念だねぇ」と仰ってました。人の命って、儚いですよねぇ。よく考えるんですが、たとえば今、私が死んで、一年後にどれぐらいの人が私のことを覚えているだろうかって。(家族は別として)
「21世紀になっちゃいましたね。ノストラダムスによると、俺はもう死んでいるはずだった。なのに、ステージに立っている幸せ・・・」あと2年3ヶ月で鉄腕アトムが誕生する(笑)、そんな時まで生きているとは思わなかった。歌っているとは思わなかったと、まさしさん。年明けの静岡で「50を過ぎてもステージに立っているなんてみっともない」的なことを仰っていたそうですが、そんなことありませんよねぇ。まさしさんの大好きな加山さんだって、まだまだ現役ですよ〜。
今までよりもずっと縮小してもいいから、ずっと歌ってほしいです。以前、まさしさんが仰っていた、リズムセクションなしのギター一本のライブでもいい。とにかく、ファンにお元気なお顔を見せてほしいなぁ。もちろん体力的にどうしようもなくお辛かったら、そのときは快く最後の花道を見送ってあげたいと思います。覚悟はあるけれど、今はまだ考えたくないですね。

まさしさんへのポストカプセル2001郵便は、市川の実家に6通のほかに、さだ企画に6通きていたそうです。そのうちの半分は、当時高校生だったファンから。追跡調査をしたら、何人かまだ「まさしんぐWORLD」に残っていてくれたと、とっても嬉しそうでした。(女性は結婚して姓が変わるから、わからなくなっているのもあったらしい。)
「ステージで倒れて死ぬ、なんてカッコイイねぇ。見てるほうは辛いだろうけど。15年もしたら、俺、点滴を横に置いて、コンサートやるよ!(笑)」そこまでまさしさんが頑張るなら、私も双眼鏡を老眼鏡に替えて(A^^;)えび茶色の声で応援するわ!(爆)
新年早々、若い若いしかも可愛い女の子に嬉しい告白?をされ、まさしさん、すっかりやる気になっているようです(笑)(それにしても若すぎ!?(笑))「今年はヒット曲をだすから。でも、作るのは俺だけど、買うのはそっちだからね(笑)」そうそう、どんなにいい曲でも、多くの人の耳に届かなかったらどうしようもないのよね(A^^;) そんなにヒットチャートを狙わなくてもいいんじゃないかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、私はそろそろ大ヒットを出さなきゃマズイなと危機感を持っています。ファンも、まさしさんと一緒に「頑張らんば」ね!

今年は面白い企画があるそうです。落ちついた大人の一味違った?企画だそうですが(笑)「今年は、本を四冊出す予定。小説も1冊ぐらい書きたいな。アルバムも3枚作ろうと思ってる。今年は忙しいよ。いい年になりそうだな」と仰ってました。
それから、秋にBSで、原田泰治さんと旅をする番組があるそうです。二人で旅をして、泰治さんが絵に描き、まさしさんが歌にするという番組です。「ジャカランダの丘」「城のある町」を引き継いだ企画といえるでしょうね。そういえば、昨年1月の新潟のトークショーで、こんな番組をやりたいなと泰治さんと二人で話しておられましたっけ。
「夏・長崎から」15周年、加山さんは「今年は、司会をやってくださいよ」というと「司会でも、5回でも8回でもやるよ〜」と仰ったそうです(笑) 加山さんも、すっかりまさしさんのペースにはまってますね(笑) ピースミュージアムは、県の土地を借りることになったので(入場料が取れない?)維持管理費等がまた大変なんだと仰ってました。
このことで友人と話したのですが、入場料を取れないなら、大英博物館のように「志」を集めればいいんじゃないかとも思います。もっといい方法もあるとは思いますが。さて、どうなさるんでしょう。
「もう1月も終わりよ〜。年年歳歳、一年が短く感じられるようになってきた。この分じゃ、俺、すぐ死んじゃうんだろうな〜」 ほんと、私も、年齢とともに年月の速さを実感しています。特に今年のまさしさん、忙しさは半端じゃないでしょう。ほんとに、お身体に気をつけていただかないと、心配で心配でたまりませんねぇ。

席は、四列めの右端でした。アンコールのとき(かなり明るくなります)うちわを小さく振っていたら、気づいてくださったようで、まさしさんの目が笑っていました。(と、勝手に思っています(A^^;))嬉しくなっちゃって、つい手を振ってしまいました(笑)
お見送りもしましたよ。繁理さんの車に、お父様が乗って帰られました。お母様は、おいでになっていらっしゃらなかったのかな。会場でも、お姿を拝見できなかったのですが。まさしさんは、「どうも、ありがとうね〜」と親しげにお声をかけてくださいました。ギターケースをひとつ車に載せて帰られましたが、このあと何かあるのかな〜。
会館の方達が、私達に対しても丁寧に「お疲れ様でした。ありがとうございました」とお礼を言ってくださったのが、とっても嬉しかったです(^^)  
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