99/11/13 アントニオ猪木トークショー in 銀座ソニービル8階

NUMBER誌主催のアントニオ猪木トークショーに行ってきましたので、報告します。

99・11・13 土曜日11:30〜12:30まででしたが、電車の事故とかで少し遅れて始まりました。

主賓: アントニオ猪木氏、 アナウンサ: 辻@アホ(テレビ朝日)

副題:20世紀スポーツ最強伝説

私は、最前列のど真ん中に座りました。猪木氏とは、2mくらいの距離でした。デジカメも持っていたのですが、主催者が「カメラによる撮影禁止」というので写真は撮れませんでした。距離的にとても近かったので、フライイングしても撮ってやれば良かった。残念。

猪木「元気ですかー(いつもの調子で)」

観客「オー」

最近のことについて

猪木 「(ジャイアント馬場)のようにあの世にいってしまう人もいて少し寂しい。挑戦状がまだ残っているんだ。三途の川を渡ってしまって」

辻「いや、三途の川を渡らずに、猪木さんの挑戦を待ってるんじゃないですか?」

辻「引退の実況で世界最強の55才と言ってしまいましたが。」

猪木「最近は、本は読むけど新聞、雑誌は読まない。いろいろ書かれているけど気にしない。若いころは、どう書かれてるか気になったけど、これは小川にも言っているが、新聞、雑誌を読むとどうしてもマイナーな方を見てしまう。だから読まないことにしている。」

10・11 小川 vs 橋本戦について

猪木「日本のスポーツ医学は、20年遅れている。俺たちは、スクワット3000回という鍛えられ方をしたが、今はそういう事をやると膝をやる危険があると言ってやらない。小川の場合は、体質改善が急務だった。」(小川の絞られた体は猪木氏の指導に寄るものだったようだ)

新日本の新体制について

猪木「新日本は、指導者が変わり、カラーも変わってきて、一歩踏み出す勇気が無くなってきていた。藤波は性格的に純粋だ。しかし、いろいろやりたがる性格でもある。長州は、猪木を蹴飛ばしてでも外に出た。藤波にはそういう事を出来なかった弱さがあった。政権は、丁度いいタイミングで変わったと思う。日本と同じで外圧がないと変わらないから」(外圧?それは猪木氏だろう。)

UFOは何故作ったのか

猪木「UFOは、実は新日本の海外事業部の積もりで作った。ところが、武道館で坂口と小川が揉めて、新日本とトラブルになった。」

橋本について

辻「橋本は、UFOへ行ってほしいという要望もありますが、皆さんどーですか。」

観客「UFOへ行ってほしい。(大拍手)」

猪木「橋本は、捨てきれるかどうかだ。橋本は、あれから7キロ落として腹がへっ込んでいる。顔も良くなっている。」

辻「と言うことは、猪木さんが指導しているということですか?」

猪木「(含み笑い)。目頭が熱くなるプロレスが今は無くなっている。危機感を感じている。俺たちのやって来たことを残さなければならない。」

猪木「橋本は第一ハードルは、越えた。猪木イズムを継ぐのは、小川でも橋本でも誰でもいい。俺は、力道山から闘魂の部分は引き継いだ。もう一人のジャイアント馬場が呼んでいる(笑い)」

藤波社長に望むこと

猪木「団体の乱立は俺と馬場さんの責任でもある。俺なんか張本人でもある。藤波には、これを直して貰いたい。コミッショナーを作り、統一化してほしい。俺の本音はもうプロレスとは縁を切りたい。しかし、天命と言うかそうせざるを得ない部分がある。」

日プロを飛び出した時のこと

猪木「思ったことをやれた。それと若かった。悔いはない。実は、馬場さんと一緒に日プロを出ようとしていた頃もあった。しかし、最後に意見が違ってしまった。」

猪木「昔は、俺が切符を売った。俺たちにはそういうノウハウが有る。」

袂を別れていった者たちへ

猪木「俺から出ていった奴、いろいろ居るけど結局、俺をつぶせた奴は居なかった」

前田へ

猪木「前田が俺の所に来たとき、俺(前田)が一番弟子でしたね、などという。俺もそうだねと言った」

猪木「前田はこだわりが強い。しかし、最近は人を認めるようになってきた。人間的に成長している。」

高田へ

猪木「プライドの試合を見たが、高田に「お前、練習してるのかよ?」と聞くと高田は「いやあ、そうなんです。練習してないんです。」と言う.。練習してないようではいかん。」

猪木「そういう意味では、藤原が一番年も上だったし、いろんな意味で分かっていたと思う

蝶野へ

猪木「蝶野は、首が悪い。いい意味で変革の時期に来ている。ケガをするとマイナス思考になりやすい。これを神のメッセージと取るべきだ」

猪木「NWOは、本場で無くなっちゃう。在ってもしょうが無いだろう。

武藤へ

猪木「武藤は、膝が悪い。基本的には映画に出たい選手だから猪木イズムを継ぐのは無理だろう」

アナウンサーへ

猪木「興奮もしない試合でアナが絶叫するのも大変だろう。」

アメリカのプロレスについて

猪木「アメリカは、PPVとグッズの売上が大きい。興行会社が利益を追い、選手が夢を与えるシステムが出来ている。」

猪木選手の一番思い出に残る試合

猪木「難しい質問だが、ドリーファンクジュニアとの試合が一番思い出に残っている。真夏でテレビ用の証明でマットの上なんて40度くらいあったと思う。大変だった。」(馬場も同じことを言っていました。ドリーファンクジュニアの全盛期の強さは、B.I砲に同じことを言わせる凄味があったと言うことか)

猪木「別格は、アンドレ。若手が100キロのベンチプレスをやっていると、そのバーベルを取ってオモチャのように軽く廻していた。」

猪木「大きな人間は、倒してしまえば同じと思っていたので闘い方はあった。」

アリ戦について

猪木「アリは4オンスのグローブにバンテージをバチバチに巻いてきた。触られただけで効いた。私も靴のなかに鉄板を入れようと思った。しかし、直前で止めた。」

ジェシージェンチュラ知事について

猪木「ベンチュラとは、3回会っている。俺を尊敬してくれてるようだ。北朝鮮にベンチュラを呼びたい。平和外交に適している。」

長州の復帰について(大仁田に汗まみれのTシャツを送ったことを言う)

猪木「それは、わかんねえよ。」

辻「猪木さんの復帰は無いのですか?」

猪木「(含み笑い)ファンを裏切ることになるから、、、、」

佐山について

猪木「佐山は、切れてしまった。先日佐山と酒を飲んだが、「さびしい」と言う。佐山は勿体ない。タイガーマスクになりホーガン以上のチャンスがあった。」

小川を倒すには

猪木「藤田あたりが行けば、難しいけど可能だとは思うよ。鈴木健三も今のシステムでは駄目になる。」

猪木氏のプロレス観

猪木「アメリカのプロレスはドラマになった。アメリカ人もコメディなんか見てるくらいならプロレスのドラマを見ている方が楽しいので、PPVが伸びたのだろう。しかし、日本人は「闘いの部分」を忘れてはならない。日本だろうが、アメリカだろうが、本物の「闘いの部分」のあるプロレスを見せれば、関係なく本物を見てくれると思う。」

UFOとは?(世界格闘技連盟 OR 未確認飛行物体)

猪木「どっちだっていい。形も何も無いのだ。」

あと、アメリカでの事故を起こした話とか、今、詩集を書いてるとかの話も出ました。

最後は、「1,2,3ダー」かと思ったが、それもなく、闘魂ビンタも無し。カメラ撮影も禁止だったのでイマイチ締まらない最後でした。

 

本文は、私(紀井孝宏)の記憶とメモに寄るもので、ニュアンスの違いや、若干の聞き取りミスが有りましたらご容赦願います。

 

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