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野鳥への給餌問題を考える



まずは、ボクのエッセイ集から数年前のを引用。

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日本の話ではないのだが、雪の多い土地に住んでいる人が庭にバードフィーダーを設置し、毎日欠かさずに給餌を続け、訪れる野鳥を眺めては楽しんでいた。
そんなある時、旅行のため自宅を留守にして、ほんの数日間だけ給餌を休んだ。

旅行から帰って庭を見ると、雪の上に飢えて死んだ小鳥の死骸が幾つも落ちていたそうである。

野鳥が雪国の冬を生き延びるのは容易ではない。
食いだめの出来ない野鳥は、苦心して餌場を開拓し、春までを食い繋ぐための、毎日の行動パターンを見つけ出す。
しかし、この野鳥たちは、バードフィーダーが出現したために地道な開拓努力を放棄して、すっかり人の給餌に依存しきっていたのである。

昨今はバードフィーダーがブームだ。
雪の多い山間部のペンションなどが、宿泊客サービスのために設置する例も見られる。
大規模なのは、町や村を挙げて実施している、白鳥やその取り巻きであるカモ類への給餌である。
一見、これらは愛鳥的な行為なのだが、逆に野鳥たちのリスクを増大させている。

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このエッセイは雪国での実例である。
ごく小規模な悲劇だが、給餌問題を考えるための好事例になる。
大規模な給餌が長く続けられた後に中断されれば、より大きな悲劇が起こるだろう。

つまりは、
@給餌を長く続けると、それに依存した、野鳥の行動パターンが出来てしまう。
Aそして、給餌をやめたときに問題が生じる。
ということだ。

それなら「給餌を途切れさせずに続ければ・・・」と考えたくなるが、そうは行かない。
人の行動に永続性などあるはずがないからだ。
鳥インフルエンザの騒ぎで、ハクチョウへの給餌を中止する自治体が続出したのは好例で、誰があの事態を予想出来ただろう。

自然環境は長い時間をかけて少しずつ変化する。
その変化に追従し、野鳥は何世代もかけて、習性を変えたり肉体そのものを変化させることで適応していくが、人による給餌の中止は突然やってくる。
人間世界は変化が早い。国や地域の経済破綻もあるだろうし、戦争だって起こる。

腹を空かせた野鳥が新しい餌場を見つけ出すのは簡単ではない。
自然界は場所ごとに生態系が出来ていて、新参者が割り込むのは容易ではない。
突然給餌を止められた白鳥や、干潟干拓で餌場を失った渡り鳥たちが、その場で大量死すれば目に見える悲劇となる。
しかし、餌場を失って飛び去った鳥たちの運命は、誰の目にも見えることがない。


(注記 : かく言う筆者自身も、自宅の庭ではメジロへの給餌を楽しんでいる)

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