第3歌集




カーテン・コール


さきの雨のちのしぐれと降りつぎてきみに逢ふべき日はちかづきぬ

あの夏の記憶の路のつれづれに振り向けば空を裁る縦走路

みんなみの風の岬に群れてゐるまなこさみしき馬をおもひき

葛西臨海水族園の人工のみぎはにも来る冬のゆふばえ

なにもしてあげられなかった歳月の末にかうして魚をみてゐる

駆け降りてゆくたそがれのアスファルト 海峡を出る船腹がみゆ

さやうなら 訣れの支度ができるまで水鳥の発つさまをみてゐる

失ひてのちに来る雪 幾千の水鳥の発つうみをおもひき

西のかた有明海のはぐくみしおもしろき魚を売りゐたるかな

みづいろの岬は夢の突端となりてかがやきゐたりけるかも

さくらばなあなたの好きなパヒュームがきのふわかれしままに匂へり

うつくしい夢をみすぎてゐるだけのわたしのための遠い食卓



國男を想ふ


引けば寄る精神(こころ)の不思議 ぬばたまの夜の不思議をおもひけるかも

世を挙げて帝國主義へなだれゆく幾多の夜をかなしみにけり

あたらしき旅のはじめのごとくにもはるばるきみをおもひゐたりき

雨もよひの風が戸口をたたくまでさらはれやすきこころをおもふ

旅に在ればさびしき村の賜物の<鼠の話>を蒐め来たりき

峰の雪山の桜と咲き移る季(とき)のあゆみのしづかなるかな

民俗の小暗き宵の辻々を歩幅ただしくあゆみたまひき



春の魚


はぐくみてかがやきながれ往くもののほとりに春の魚をかなしむ

感情はたゆたひながれやるせなき郡上大和の春のあはゆき

琴線に触るるばかりにひるがへる岩魚一尾(いちび)をかなしみにけり

きみにあふまでの時間を山桜遠く縁どる峪にありたり

「知りたいと思ふ事二三」 あたらしき学問をしてみやうとおもふ

薄墨の花に疲れてうつろへば昨日訣れし指をおもへり

長良川 岸を縁どる花陰のおぼろになりし恋の記憶は



勤務の余白に


あたりさはりのないしあはせを願ふため残業の椅子に書く内申書

外は黄昏であなたのいたみさへとほい潮騒のやうに聴いてゐる

ゆるやかに死のあしもとへむかふきみのはぐれさうなそのまなざしをおもふ

背伸びして見てゐたあの日あの夏のしほかぜのなかの父のてのひら

こんなにもしづかな朝はかなしみも夢も疲れて眠りゐるべし



「悲しみ」の臨床について


ありがとうございました こんなにもあかるい別れの朝の青空

みみもとでざわめく海の潮鳴りの底にまぎれぬ声調ありき

駆け抜けてゆくプレストのいのちはや きみの愛した<プラハ>を愛す

きみがあかるい雲になるまで たそがれの海の鯨をおもひゐたりき

傷つけて生きる勇気のもてるまでそのままにしておく胸のリボンも

<わたくし>でゐるしかできない日常のはざまはざまに降る夜の雪



夏の稜線


もう慣れてしまった母の入院の窓下に咲く今年の花穂

再びの手術に至る病状の推移を淡々と聞きてをり

葡萄酒色に染まる地平にあらはれて暗夜航路の尾燈は動く

これといふ話題はなくて妹と父とひさびさの食卓にゐる

どうしてもあなたへかへる感情のあるいは稜線のごとき起伏は

梅雨が明ければあなたが向かふ峰々の処女峰といふ比喩はかがやく

イタドリの葉先に光る朝露のさやかにきみを想ひゐたりき

あかときの夢にまぎれてあなたへの緩い傾斜を登りゆきたり

またひとつトラバースしてのがれゆくたをやかにして陰深き闇

おいそれと見えこぬ人生のなかほどの鞍部に坐してコーヒーを飲む

シャクナゲの花咲くころの山間のほそき泉をおもひゐたりき

幾千の魚を隠してさやぎゐる沢を見通す尾根道をゆく

夜這ひのごとく往けと教へし父のこと 山女魚(やまめ)ヶ淵に来ておもひをり

どうしやうもない僕たちのかたはらにエスケープ・ルートのやうな闇は降りたつ

かがやいてゐるのはいつか生意気なあなたがひとりでむかふ稜線



モーツァルトの椅子


<さよなら>とあなたが行ってしまふまでぼくはモーツァルトを聴いてゐる

魅入られし者ゆゑふかく畏れたる死の蔭に降る春のあは雪

モーツァルトを聴く部屋の椅子 いつか死ぬ者として在るこの世の隅に

低弦に見え隠れつつ潜みゐるものの足音 <キリエ・エレイゾン……>

死に至る病の淵に書きとめしフレーズなれば深く鳴りたり

わたくしといふ日常にあらはれて何処ぞに誘ふきみとおもひき

きみがゐてわたしがここにゐるといふ嘘ではあるが愉しき此の世

わたくしといふ存在の果てに在るふかくかなしきみづとおもへり

ゆふだちの気配が沖を満たすまでかへらないきみの帆(ウィング)を待つ



ラスト・トレイン


<準急>の車輛は河を越えてゆく ああ あなたの街の塔が見えるまで

雪嶺は遠くに見えてゐたりけり <いと深き河はしづかに流れる……>

ながれゆく風景の色 ぼくはただあなたのゆめをみてゐるだけだ

ぼうっとしてゐるあなたが好きでぼくはもうこんなところまできてしまった

待ち合はせの恋人たちのそれぞれに仕掛噴水のしぶきがかかる

詳しくはしらないけれどロング・ボブみたいな髪型(かみ)でうつむきかげんで

なめらかにおとなになってゆくきみの時間に淡くかかはりてゐる

もうすこし悪い女になりなさい 街の噂をみんなあつめて

ヴォルフガング・アマデウスといふひとがをりました たくさんの恋のうたを残しました

うそつきで、浮気で、不良で、コケットで それでも泡立つやうなアレグロ

コンスタンツェ! 今夜も軽いスカートで走り抜ける無我夢中の人生

泣くことしかできない夜のかたはらに鳴ってゐる夢のやうなアンダンテ

新雪がふりつむやうにほうほうと夜にはきみのかなしみがふる

いつかしづかな訣れの夜が来るまでのしらないふりのぼくたちのために

もう間に合はない未来が遠くにあるやうな気がする 最終電車(ラスト・トレイン)が出る



大鷹の巣


きみはつばさのやうにふるへてゐたりけり大鷹の巣に降る夏の雨



朽木村


さくらばなかぜにただよふ湖(うみ)ぎはの街にきてなほきみをおもひき

あふみよりつるがにいたるいにしへの鯖街道のあをきこかげは

背(せな)青き魚(うを)のはこばれゆきたるはあふみ大津の春の花蔭

<朽木村梅の木下>のやまかげのこころのふかみひだなすばかり

ためらひて往く川下はしなやかにぼくをうながす淵とおもひき

かつてかくありたるやうな青空のもとに眠れる村も過ぎたり

竿先に躍るは安曇川水系のはぐくみたりし魚類(いろくづ)のすゑ



レディー・M


厩舎へとつづく大学構内は春の芽ぶきのむせるばかりに

人生はあるいはあはき感情の翳さす径(みち)をあゆましめたり

馬をれば馬の愁ひにひとをればそのやはらかき唇(くち)にふれゐき

夕闇に桜が雨でにじむまで校舎の端で指をかさねて

降りしきる時間の重さ 白墨で書いた名前が消えてしまふまで

口にだせば傷つくやうな感情のふちをめぐりてゐるばかりなり

春の水みじかく越える終電車 つひの訣れといふをおもへり

おそらくはあかるい雨が降るのだらうふりむかないで訣れる朝も

また今日もみじかい春の挨拶のやうな会話をして別れたり

さはあれど翳るこころの水際に花措くごとききみとおもひき

人生はけふも釣り糸を垂れてゐるあのまぼろしの夏のほとりに

湧き水に時計回りに群れてゐる魚を見てゐきゆびをからめて

ゆびさきにしほからとんぼしらずしらずきみにおぼるるみちとおもひき



杜若


ゆきゆきてきみになだれてゆくみちの<あぶない橋>といふはどの橋

逢はざればしのに降る雨 水の面(も)に緋色の鯉は浮かびゐたりき

わたくしといふ水面のふちにくるあはくかなしきかぜとおもへり

かきつばたきけんな恋のつれづれに花の穂ひとつたづさへゆかむ

おそらくはあなたを幸福にはしない感情の渕なれば揺れゐき

いつかかたづくきもちのやうにぼくたちの季節は時をかさねゆきたり

そはそはと世界は暮れる まだここにこんなに古風な恋もあるのに

からうじてかはすくちづけ しなければならない帰り支度のやうに 

愛はときに不思議な仕掛け かの夏の巨大迷路をおもひてゐたり

気にかかることがあるから昨日からきみはこころのかたすみにゐる

恋人たちのやうに帽子を振りながら水明りする道をかへらむ

ずる休みのこどものやうにそはそはときみに電話をしてゐる真昼

いたりっく文字で書かれしこひぶみのやうなあかるいこゑであなたは

床に置くボストンバッグ つまづいて泣く泣くかへる男のやうに






意志つよき棋風なりしが去年今年(きぞことし)丸くなりたる父をかなしむ

なにはさておき金底に歩を打っておく性格なれば憎まれをらむ

中盤は出たとこ勝負 気丈夫の父は攻め合ひの歩を打ちにけり

終盤はどんでんがへし いつかしらたそがれてゐる菜の花の沖

もうすでにあなたの玉は詰んでゐる 「これまで」といふ父のくやしさ



あなたが欲しい


さくらばなおとなになればふんわりとわすれてしまふいくつかのこと

キャンパスの遠く近くで手渡される甘き別れの春の花束

世が世なら肩をならべてあるきたいあなたのために降る花吹雪

甘き別れのコントラストとなるまでに春の校 庭(キャンパス)につどふ乙女ら

もうぼくはここにはゐない 校舎から自動オルガンの賛美歌が聞こえる

こんなことをしてゐるうちにアンニュイなあなたの風邪がうつってしまふ

いくつかの別れがあって泣きながらあなたはきれいになるのであらう

しみじみときみの痛みに触れてゐるやうな会話をして別れたり

さやうなら 二度とふたたびつながらないテレフォン・ナンバーの末尾をおもふ



ヴァチカンの鳩


金髪の少女の胸に抱(いだ)かれしヴァチカンの鳩おもほゆるかも

今日は聖誕祭でローマのゆふぐれはどこもやさしい挨拶で始まる

蝋燭のほそい明りでジプシーが凍る路上に描く聖家族

貧しいが自由な筆で描き置きし神の絵あまた闇に浮かびぬ

近代のあかるい庭の片隅のヴィンチ村とはこころのいづみ

たましひのふれあふ距離にとまりたる聖フランシスコの鳥をおもひき

そんなとほい瞳(め)をしてきみはたましひのいづみに脚をひたしてをりぬ

鳥は樹にひとは泉に疲れたるたましひの緒をひたしゐるかな

まぼろしをすすがむとして降りたてばラグーンにあまたの星はふるべし

をみなとふ救済の岸 ヴェネチアのサン・マジョーレに闇は濃かりき

湧くごとくはじまるミサのオルガンの祈りの渕のしづけさにゐる

たそがれのベッキオ橋に腰掛けて僕はかなしくなるまで待とう

たましひの遠近法のはてに在る光を満たす湖(うみ)をおもひき

かつてなきまではなやぎてカテドラル前の広場の少女を撮す

たまきはるディオニソス的感情はつづきてゐたり終着駅まで

エトルリア風の会釈にさそはれて迷ひこみたる路地もありたり

イタリアよりドイツに至る道筋の<枢軸>といふ愚かな比喩は

ハンニバルのかつて踏みたる峻険を機は一時間あまりにて越ゆ

わたくしを運ぶ機影がアルプスをよこぎる頃をまどろみゐたり

厳寒の午前零時の国境に駆けつけし老女をテレヴィは報ず

一夜にしてなくなる壁のおもひでのひとつにかかる老女はありき

旅行者として振り返るだけならばベルリンもたそがれの少女も遠し



窓・・あるいは啓示について


きみの棲む街角だから温室のやうにはなやぐ窓はありたり

たそがれをきみはたゆたひゐたりけり 言ひ差してやめることばのやうに

窓際に愛は点りてゐたりけり かかるつめたき夜のしじまに

あたらしい明日があなたにくるようにぼくはかうして窓をあけてゐる

日が暮れて言葉すくなくなつてゆくきみの隣にうつむくばかり

無意識の海に降り立つ幾千のかもめのやうにあなたはねむる

もうそんなに薬を飲むのはやめなさい こんなしづかな星たちの夜に

夜のすみずみまで匂ふ花びらをだれかひそかに敷く音がする

雨が降る あなたの細い歌声が夜の底から聞こえるやうだ

待つといふこころのかたち もう一度世界にあたらしい夜がくるまで



夜のお江戸


如月の見返り柳 大江戸の朝はさざなみのごとく至りぬ

傾国の夜のしじまの窓ごしに洩れ聞く遊女野菊の寝言

川獺のやうなをとこがもそもそと情婦(いろ)に愛想を云ひてゐにけり

きこしめす噂がなんでござりんす 癪で散らかす紅鱒の皿

朝明けのさかさ睫が痛いので主(ぬし)は雪消のやうにさみしい



キャンパス物語


臆病な小鳥のやうにあたためておいた言葉はあなたのために

人生がとほくに見えてゐるやうなこんな朝でもきみがゐるから

大学のある街だからそこここの路地には消えない夢がまどろむ

いつかきた夢の坂道 よそよそしいふりをしてゐるきみの家まで

軽く手をつないで歩くキャンパスは五月の森のやうにあかるい

猫ぢゃらしきみはすまして置いておく不思議な恋の目印(しるし)のやうに

大きめの黒のカーディガンこんなにもかなしいぼくのために着なさい

ちょっとした唇づけなのに誰もゐないバレー・コートを風がわたるよ

闘ひ奪ふもののすがしさ グランドのラガーの声が遠く聞こえる

スクラムの土埃たつグランドに ああ、きみたちの恋もかがやく

南天の梢が軒にとどくまで きみが今夜の髪を解くまで

こんなにもあなたのために癒されてゐる日常としらず過ぎにき

もうそこで別れてしまふ街角の歩行者信号灯が変はるよ



《後記》

1991/12/24にこの歌集の最初の原稿は編まれていますので、もうかれこれ
5年の歳月がながれ去っているわけですね。

おそらくこのテキストファイルが僕の最後の歌集になるでしょう。
そんな感慨をふくめて、『ラスト・トレイン』と名づけてみました。
ちょっとセンチメンタルな歌が多いのはそんな事情もあるのです。

ネット上でご縁のあったあなたに読んでいただけるのを、たのしく思います。

それでは。

1996/11/22

著者