カンボジア遺跡巡り
カンボジア タイ
シェムリアップ バンコク
今回の旅は、カンボジアの「アンコールワット遺跡」を始めとする遺跡群を見学することでした。戦争で破壊されたり、自然の崩壊にまかせたりで遺跡が崩れる前に、そして補修される前の自然な姿を見ようということで計画しました。それに自衛隊がはじめてPKO活動で支援した国でもあるカンボジアが今どうなっているのか興味もありました。
ただ、カンボジアは「海外危険情報」がでている関係もあり、今回も前回のイタリアに続き完全パック旅行となりました。
1 旅行の概要
2002年 3・9(土) 成田出発 タイ・バンコク着
10(日) タイ・バンコク発 カンボジア・シェムリアップ着
● アンコール期最古のロリュオス遺跡群
● プノン・バケンの丘から夕日の映えるアンコールワット鑑賞
11(月) シェムリアップ滞在
● 世界遺産アンコール東部遺跡群観光
● バンテアイ・スレイ観光
(東洋のモナリザ・デバター像)
● 偉大なる遺跡・アンコールワット観光
12(火) シェムリアップ滞在
● 朝日に輝くアンコールワット鑑賞
● クメールが生んだ奇跡の王都・アンコールトム観光
● 巨大なガジュマルの根が覆い被さるタ・プロム観光
● オールドマーケット見学
● トンレサップ湖での水上生活見学
● カンボジアが誇るアプサラダンス鑑賞
13(水) シェムリアップ発 タイ・バンコク着
● バンコク市内観光
(王宮・エメラルド寺院)
● ショッピング
14(木) バンコク発 成田着
2 出発前の準備
今回は今までの旅行と違って、アジアの発展途上国、タイ・カンボジアが目的地。どの資料でも、治安が悪い・水を飲むな・虫に注意・暑い・お金は小額紙幣のみ・お腹の薬必携などということが列挙されていました。
なにか戦場にでも行くような気持ちで準備していきましたが、結論から言えば、確かに暑く大変でしたが、ホテルから一人で出なければ安全だし、虫(蚊)もさほどおらず、心配するほどではありませんでした。
それでもカンボジアではやはり使えるのはアメリカドル(それも1ドル・5ドル紙幣)とタイバーツがほとんどで、現地のカンボジアリエルはあまり歓迎されません。
今回の旅行では、事前に1ドル紙幣や5ドル紙幣に両替し(いっぱいのお札でお金持ちになったような気分でした)、虫除けスプレーを捜し(冬はあまり売っていませんでした)、懐中電灯を準備し(日が落ちると真っ暗です)、期待と不安の入り混じった出発となりました。
3 タイ・バンコクへの移動とその第一印象
今回のバンコクへの移動は、往復とも日本航空ということで安心の飛行でした。
それでも成田までの移動は、前回のアクシデントに懲りて(忘れた人は中会ホームページ・すばらしきイタリアを読んでください)、JRの成田エクスプレスを止め、京成にしました。おかげ(?)でアクシデントもなく無事成田着。そしてテロの影響でチェックインが大変かとも思っていましたが、案外簡単に出国できました。
成田18:35発、そしてタイ・バンコクが23時着(現地時間です・日本とは時差2時間)。例によって機内では、6時間半の飛行中に機内食が1回と、茶菓がでました。日航は本当に親切で、機内食のメニュー・出てくる時間・用意してある飲み物の種類などすべて日本語・英語・タイ語で書いたパンフが用意してあります。ビールを飲んで、ワインを飲んで、入国カードを書いていると時間はすぐ過ぎていきますね。(さすがにイタリアまで飛ぶのと違って、短かったですね。)
バンコクの空港は日本の成田よりずっと広く、近代的な空港でしたが、やはり深夜でも暑い!冬の日本から夏の外国に行くときは、服装が大変ですね。皆さんはどうしているんでしょうか?早速上着を脱いで暑さ対策ですが、この時間深夜だというのに、現地は到着ラッシュで、出迎えのバスが駐車場になかなか入れず、ホテルについたのは深夜1時40分でした。
空港からは高速道路で一気に市内まで入ってしまったのと、夜中で周りがよくわからないため、ビルしか見えず、「思っていたより近代的な都市だなあ」という印象でした。それにホテルは32階建ての高層ビルで、10階から上がホテルになっていました。設備も日本のホテルと何ら変わらず、テレビはNHKまで入りました。翌日はカンボジア出発ですのですぐ就寝です。
翌朝7時モーニングコール、備え付けのミネラルウォーターで歯を磨き、食事(バイキング形式)を済ませ、玄関に集合してみてビックリ!玄関前が一大マーケットに変身でした。それも衣料品の露天ばかりで(店の数は50ぐらいでしょうか)、ちょうど日本のお祭りのときの出店の集団が開店中です。その周りには風呂敷やらバックやらにいっぱいTシャツ、G−パンを詰め込んだ人・ひと・ひと・・・その熱気に一瞬出て行くのをためらうほどです。
空港へのバスに乗ってから現地ガイドに聞くと、ここにはバンコクの布製品の卸市場が毎日できるそうです。地方からきて、ここで仕入れて、もって帰るとか。その値段ですが、Tシャツが約50バーツ(日本円で160円ぐらい)、きれいな刺繍のブラウスが100バーツ(330円ぐらい)で、こんなに安いならお土産に買って帰ろうかなんていっていたら、ガイドからこんな話が・・・「ここのGパンは2〜3回洗濯すると短パンになるよ」「一緒に洗濯するとみんな同じ色になるよ」それでもいい人は買ってくださいとか。どこにでもこんなバッタもん(これがここでは本物なんでしょうか?)がありますね。
4 カンボジア・シェムリアップへの移動と街の印象
今日はいよいよカンボジア入りです。昨日着いたバンコク国際空港からカンボジア・シェムリアップ国際空港まで1時間の飛行です。空港のカウンターにはチェックイン待ちの人がいっぱいいるので、さすがアンコール遺跡は人気あるんだな、と思っていたらそれはシンガポール行きの列で、我々「バンコクエアー・シェムリアップ行き」は、端っこの窓口1つで細々と受け付けていました。
出国手続きが終わって、搭乗待合口で待機することになりますが、ここでも日本のように正確な時間管理はなく、飛行機出発の予定時間が過ぎても何の案内もなし。11時10分離陸予定が、30分になり、そして実際に飛行機に乗り込んだのは11時45分でした。でもさすがタイ・バンコクですね。この待合所には籠に入れたバナナが置いてあり自由に食べられました。他にジュースとミネラルウォーターが無料サービス中。さっそくいただきですね。
飛行機は昔のYS−11のようなプロペラ機(国際線でもプロペラ機)で、70人乗りぐらいですがほぼ満員で出発です。大半が日本人で、スチュワーデス(いまはキャビンアテンダントですね)も2人のうち、1人は日本人でした。やはりそれだけ日本の観光客が多いということでしょうか。1時間の飛行でもそこは国際線、アルコールもあれば食事もあります。バタバタとした忙しい1時間でした。ここで出てきたビールが「タイ産」のビールでとてもおいしく、日本へ帰るときにお土産に買って帰りました。
シェムリアップ空港に着いてビックリというか、想像どおりというか、ターミナルビルは平屋建ての倉庫みたいな建物が1つあるだけです。(左の写真がターミナル)
それでも一応入国手続きのためのカウンターがあり、いかめしい係員がいます。早速ここで例によって外国での洗礼です。列の後ろに並んでいると、係員が添乗員とひそひそ話。
後で聞くと、一人1ドル出せばグループをすぐ入国させてやるとか。もちろん添乗員はお断りしました。それにグループの人のバッグが1つ壊れていて、この手続きに30分以上かかりました。その間冷房もない(天井にファンがあるだけ)ところで待ちぼうけです。暑い・さすがに暑い・バスに乗って聞いたら今日は38度。この3月・4月が乾季にあたり一番暑い時期とか。体が持つかな。しかし大丈夫・この旅行間、昼食後に必ずお昼寝タイムがあって休息が取れました。うまく考えていますね。
カンボジア情報 カンボジアの現地人の家は高床式の住居で、木の骨組みにバナナの葉を使って屋根や壁を覆っただけの粗末なものです。日本のように地震や台風がないからでしょうか?1年に1度ぐらい腐ってくるので交換するとか。 その高床の下にハンモックのようなものを釣って、暑い日中は休憩しています。もちろんお金のある人はきちんとした家を建てて住んでいます。そばに井戸が掘ってあり、子供たちだけでなく大人もここで体を洗っていました。 |
5 アンコール期最古のロリュオス遺跡群
ホテルでの昼食後、午後3時いよいよ遺跡の観光に出発です。まずアンコール王朝ができて最初の王都「ロリュオス」にある遺跡です。800年代(日本では平安京時代)に築かれたヒンズー教の寺院で、町から30分ぐらいのところに遺跡群があります。各国の援助により舗装された幹線道路から、がたがたの細い道路を入っていくと森の中に突然現れるのが「ロレイ」遺跡です。
「ロレイ」は、当時、大貯水池の真ん中の小島の上に建てられた寺院(893年建造)で、今は周りに水がありませんが、レンガ造りの4基の祠堂から構成されています。(写真では後ろに2基隠れています。)
一部は大きく破損していますが、残っている2基は高さ10メートルぐらいで壁面には金剛力士像(左の写真)や、デバダー像(女神像)が当時のまま残っていました。ここには今も仏教寺院があり、若いお坊さん(修行中の子供・10歳ぐらいか?)が、窓から顔を出して我々を興味深く覗いていたのが印象的でした。
彼らの目には我々はどのように映っているんでしょうかね。ここには寺院の果樹園があり、南国の果物がなっていましたがバナナ・マンゴーぐらいはわかっても、それ以外は何か理解できませんでした。
次が、アンコール遺跡中最も古い寺院の「プリア・コー」。879年に建造された寺院で、当時は周囲100メートルの周壁に囲まれ、中央の基壇上には6基の祠堂が並んでいます。
今は周囲の壁はその礎石を残すだけですが、祠の壁には「カーラ」(想像上の動物で、カンボジアでは代表的な装飾モチーフ・時間を象徴する神。仏教ではエンマ大王に相当)の美しい漆喰彫刻が残っていて、当時の華麗さを偲ばせます。
プリア・コーとは「聖なる牛」を意味し、基壇の前に3体のナンディン(牛)像(上の写真・後ろは物売りの子供)が配置されています。
この牛はヒンドゥ教の代表的な神である「シヴァ神」の乗り物だそうです。当然この牛の前で記念撮影ですが、さすがにこれにまたがっての撮影はバチがあたりそうなんで止めました。現在ドイツのNGOが修復作業中でした。この後あちこちの遺跡で、各国の調査団が修復と調査をしており、何とかこれらの文化遺産を残そうと努力していました。
続いてアンコールワットの原型ともいえる「バコン」の遺跡です。このバコン寺院はその後に建設されたアンコールワットの原型とも言える寺院で、周囲に環濠(堀)を巡らせ、その中を三重の周壁で囲み、その中央部に5層のピラミッド型の基壇を作ってあります。
その中心部の頂点に紅色の砂岩でできた中央塔(写真の一番高い部分)が載っています。もちろんアンコールワットに比べれば、規模は小さく、周囲300メートルぐらいですが、その基壇の上まであがって回りを見渡すと、森の中にあるこの寺院の荘厳さが実感できます。当時は権力の象徴であり、信仰の中心だった様子が想像できました。
ここで本日の遺跡めぐりは終了です。これから夕日に浮かぶアンコールワットを見学に行きます。ここには今回の旅行の楽しみのひとつがあります。実現できればいいんですが・・・
カンボジア情報 家の周りの畑(雨季は水田)では、裸の子供が遊んでおり、そのそばで牛や鶏がのんびりと草を食んでいます。びっくりしたのは、牛や鶏が痩せていて、最初牛をやぎと間違えたほどでした。 これはガイドによると、えさは自分で見つけて食べるだけで、日本のようにえさをやっている訳ではないので、あんなに痩せているとか。この牛は農耕用で牛乳は出ないそうです。また放しっぱなしでも、牛泥棒や鶏泥棒はいないそうです。 |
6 夕日に映えるアンコールワット
天気がよければ6時ごろが日没で、雲がかかっていれば当然夕日は見れません。「今日はどう?」と聞いても、ガイドは首を振るだけ。それもそうで、カンボジアでは天気予報はやってないそうです。
でも今日は朝からいい天気なんで大丈夫でしょう、との言葉を信じてアンコールワットの北にある「プノンバケンの丘」に来ました。ここは高さ60メートルの自然の丘で、頂上にはテラス状の広場があります。ここから頂上までは40度ぐらいの傾斜の坂道を慎重に登ります。
でも私たち夫婦は象での山登りに挑戦です。事前に見たガイドブックには、ここには象での山登りがあると書いてあったので、到着するや乗り場を見つけて一直線。
5時30分で上りは終了とか。最後の客になりました。象の背中のバスケットの中に載って、人間用よりやや緩やかに作られた象用の登山道をのんびり登ります。象が5頭連なって山を上る姿は勇壮というか、ユーモラスというか、背中で右に左に揺られながらけっこう楽しめました。ちなみにこの料金は15ドル。ホテルで缶ビールが2ドルですから高い?安い?(写真の右側に、丸い台がありますがこれが乗り場)
山の上には人・人・人。よくもこれだけの人が集まるね、というぐらいでした。ここから見た夕日は、満々と水をたたえる西バライ(11世紀に造られた東西8キロの大貯水池)と樹海の上の落ちていく自然そのままの姿です。
写真でうまく取れないのが残念です。帰りは人間用の道を降りてきましたが、日本と違ってまったくの自然のままなので、階段や柵があるわけではなく、急斜面を落ちないように気をつけてゆっくり降りなければなりませんでした。アンコールワットの感想がないって・・・残念ながら木の陰になってよく見えませんでした。
こんな夕焼けが見れれば最高だったんですが、この写真はガイドブックからの拝借です。
カンボジア情報 どこの遺跡にも子供たちが物売りをしており、「お兄さん、1ドル、買って」と日本語で話し掛けてきます。つい相手しようもんならそこらじゅうの子供が寄ってきます。 安いものなんで買ってあげたほうがいいのか、買わないほうがいいのか迷います。でも救われるのは子供たちの表情が皆明るいことです。思うことはもっと政府がしっかりしなければ、ということです。この子供たちにぜひ明るい未来をあげたいと思いますね。というわけで、お土産を買ってしまいました。やさしいね(?) |
7 世界遺産アンコール東部遺跡群
今日は8時出発で、まずアンコール東部地区の遺跡めぐりです。
ホテルから20分ほどで「プラサット・クラバン」へ到着です。ここの特徴は平地式の寺院で、1つの基壇の上に5つの塔が一直線に並んでいます。フランスの努力で保存状態もよく、当時の面影が偲ばれます。ここの珍しい点は、他の寺院のように外壁に彫刻がしてあるのと違って、塔の内部の壁面に浮き彫りが施されています。中央の塔の内部に「ヴィシュヌ神」(太陽の光り輝く様子を神格化した神)があり、端の塔にはその妻「ラクシュミー」の像が残っていました。ヴィシュヌ神の力強さ、ラクシュミーのふくよかな姿が印象的です。
ついで「東メボン」寺院(左の写真)。ここはもともと「東バライ」と呼ばれる東西7キロのかんがい用の大貯水池で、今は涸れていますが当時はその中心部に、浮かぶように建設されていたそうです。ここではあまり見るものはありませんでしたが、周壁の四隅に大きな「象の像(ぞうのぞう)」が立っています。水があればすばらしい寺院(ゴールデンマウンテンと呼ばれていたそうです)でしょうが、今はその様子はうかがえません(左の象)。
東部遺跡最後は「プレ・ループ」寺院です。3層の基壇の上に5基の塔が立つピラミッド型寺院で、プレ・ループとは「身体を変える」という意味だそうで、途中に「死者を荼毘に付した石槽」が置かれていました。やはりここでも写真はとらずに帰りました。この写真では、後ろに2基の塔が隠れています。
カンボジア情報 ここでは月90ドルあれば生活できるそうです。労働者の日当は5ドルで、1番給料の安い職業は教師で月30ドル程度だそうです。 これでは生活できないのでアルバイトをしている人が多いとのことでした。ちなみに私は子供からバッグ3個5ドルで買いました。最初は1個5ドル・3個ほしいといったら全部で10ドル・5ドルなら買うといったら粘っていましたが、結局他の子供たちが寄ってきたので、それでいいとのことで交渉成立。子供でもこんな調子でがんばっています?ちなみにいい給料の代表は「役人」とのことでした。 |
8 バンテアイ・スレイ
シェムリアップから北に40km・車で1時間のところに「バンテアイ・スレイ」寺院があります。ここは「東洋のモナリザ」と称される女神像があります。フランスの作家、アンドレ・マルローがこのデバター像に魅せられて、持ち出そうとして逮捕され、このことを後に小説に著したそうです。
その中でこの像を「東洋のモナリザ」と呼んだことに由来しています。現在は保護のため間近では見れませんが、離れてみてもそのしなやかで柔らかい身体の線と表情に美しさを感じてしまいます。ここはヒンドゥ教神話を描いた浮き彫りの彫刻が、群を抜いて洗練され、優美です。そしてその保存状態も良く一見の価値ありです。(この写真を見て皆さんはどう思いますか。)
カンボジア情報 前回に続いて金銭感覚が狂いそうな情報です。ここでは結婚するときは3000ドルをお嫁さんの両親に渡すそうです。いわばこれが結納金ですね。半分は結婚準備に、残りは両親が取るそうです。日本のように2人だけでゴー、とはいかないようですね。 比較できるかどうかわかりませんが、街中の主要な移動手段である自転車は、中古(ベトナム製)で20ドル、日本製は100ドルだそうです。 |
9 偉大なる遺跡・アンコールワット
ホテルで昼食・お昼寝の後、2時半いよいよ今回のハイライト「アンコールワット」の見学です。街から車で5分ぐらいのところにあるこの遺跡は「アンコール2大遺跡(ここと明日行くバイヨン)」と言われ、クメール王朝の最盛期・12世紀前半の建設です。いわばクメール建築の最終形であり、それまでの各寺院で試された建築様式や美術装飾が完成された寺院でもあります。
行く途中にチェックポイントがあります。このアンコール遺跡群を見るには事前にチケットが必要で、1日20ドル・3日で40ドル・1週間で60ドルです。街から出るところにこのチェックポイントがあり、役人が3〜4人暇そうに座っています。写真入のパスを見るだけ(我々団体はパスを数えるだけ)ですが、ガイド曰く「座っているだけの高給取り」だそうです。
まあこれでカンボジアの国が少しでも潤うのであれば、60ドルぐらい安いものですが、聞けばこの収入はここのボスに入るとか。政府が機能していないこの国では各地方のボスがお金を政府に出して、その権利を買って整備しているそうです。
確かにきれいに清掃されたり整備されていますが、こんなことではいつまでたっても国の財政基盤ができないでしょうね。
我々の着いたシェムリアップ空港も、あるボスが政府に金を出して権利を買って造った空港だそうで、我々の空港使用料は彼ら個人の収入だそうです。どうなっているんでしょうか?
話をアンコールワットに戻しますと、この天空の楽園と形容される寺院は、神に捧げられた宮殿で、当時は神のための宮殿は耐久性のある砂岩やレンガで造り、人間である王の宮殿は自然の恵みを象徴する木造だったそうです。ヒンドゥ教の三大神の一つ・ヴィシュヌ神に捧げられたこの寺院は、東西1500メートル・南北1300メートルの環濠で囲まれたピラミッド寺院ですが、中心部は基壇上に5基の尖塔で中央祠堂を構成しており、この中央の祠堂は世界の中心山で、神々が住むメール山(須弥山)を象徴し、周囲の回廊などは雄大なヒマラヤ連峰を、環濠は無限の太陽を意味しているそうです。
西参道の入り口には屋台やお土産やがいっぱい並び、カンボジアでも屈指の観光地のようです。環濠にかかる石畳の参道(左の写真)の先には、写真でよく見るあのアンコールワットの尖塔が悠然と立っており、まさに神の君臨する場所という感じがして厳粛な気持ちになります。この参道の両側には7つの頭を持つナーガ(蛇神)の欄干が西塔門まで続いています。
この西塔門までくると今まで見えていた中央の祠堂がいったん消えるように見えなくなり、入り口の階段を上がると暗い塔門の先に1番高い中央の塔が1つだけ顔を出します。
そしてこの暗い塔門を抜けると、初めて寺院の祠堂の全体像が現れます。まっすぐに伸びる参道と前に広がるアンコールワット、そして参道の両側に広がる緑の草地と池、誰でも感動する瞬間です。(この写真は池に映るアンコールワットを撮っています。)参道中央にあるテラスに上がって、後ろを振り向くとこの一本道が地上界と天上界をつなぐ道のような感じがします。
ここはすべての建築物がそれぞれ意味を持っており、入り口を入ってから回廊を巡り中央の祠堂に至るまで1つのストーリーを持って構成されています。
中心部は3重の回廊で構成され、それぞれの回廊には、右の写真のような浮き彫りが施されて、これらを絵巻物のように読み進んでいけば1つの物語が完結するようになっています。イタリアの教会でも見たように当時の人々を教え、導く役割を持っていたようですね。
この回廊の浮き彫りをすこし紹介しますと、
●「孫悟空」のモデルとも言われる猿の将「ハマヌ
ーン」と悪魔軍が戦う「ラーマーヤナ」、
●王族同士の戦いを彫ったヒンドゥ教神話の源と言われる「マハーバーラタ」、
●壁が3段に分割され、上段には極楽が、中段には裁定を受けに向かう様子、そして下段には地獄が描かれた「天国と地獄」(エンマ大王にあたる「ヤマ」・18本の手に剣を持ち、牛に乗っている)
●ヒンドゥ教の天地創造神話である「乳海攪拌」・神々と阿修羅が大蛇を綱として引き合い、海中を書き回すと、海は乳海となりその中から天女「アプサラ」や神妃「ラクシュミー」が生まれ、最後に不死の妙薬「アムリタ」が得られたと言う神話。(右の写真・回廊の様子がよくわかります)
さらに回廊を回って、中央部の祠堂に登るには急な階段を上らなければあがれません。
この階段が難物。斜度70度という、下から見ればただの壁にしか見えない階段ですが、所々が壊れ、ただ手と足を使って這っていくしかありません。
その上階段の一つ一つの幅が狭く、足の横幅分しかありません。どうしてこんな上りにくい階段なのかガイドに聞いたら、「ここは人間ではなく神様の宮殿ですから」・・・そりゃ当然かもね。
我々夫婦はしっかり登りました。でも怖かったのは上りよりも下りでした。ガイド曰く、怪我をしたら困るので、手すりのある階段から降りるようにいわれました。(上の写真で、右側に手すりあり)それでもここが今回の旅行で一番緊張した場面でしたね。
翌日は5時半出発で、朝日に輝くアンコールワット見学です。ここは西向きに造られているので観光客は写真撮影のためには午後が最適。その代わり朝日が寺院の後ろから上がってきます。これも絶好の撮影場面なんで、日の出前から人がいっぱい集まります。
例によって天気は朝起きてみなければわからず。起きてみると曇り。見れないかもしれないと言われてここまで来ましたが、待っている間にやや雲が取れて少しのあいだだけ朝日に輝くアンコールワットを見ることができました。これも日ごろの行いが良いから・・・
カンボジア情報 道路は街中では舗装された2車線道ですが、ここに自転車・オートバイ・トラック・観光バスがひしめいています。信号も白線もないので、交差点や追い越すときは大変です。 クラクションを鳴らし一気に追い越し。オートバイもバックミラーなどないので、クラクションが鳴れば後ろを振り返ってすこし端による程度。事故はないのかと聞けば、交通事故を起こして人を死なせた場合は3000ドル渡して解決だそうです。無い人はそのまま逃げるとか。 そりょそうでしょう、ここは自動車免許がありません。そもそもそういう制度がまだ未整備です。車もナンバーの着いているものはわずかしかありません。観光用のバス(我々のバスは韓国からのお古・ハングル文字が書いてありました。)ぐらいです。この現地ガイドの乗っているバイクも、スズキの中古車でもちろんミラーもナンバーもなしでした。 |
10 クメールが生んだ奇跡の王都・アンコールトム
この「大きな町」という意味を持つアンコール・トムは、1177年に、ベトナム軍による王都占領からこの地を開放したジャヤヴァルマン7世が築いた都で、周囲12Kmにわたり高さ8mの壁に囲まれています。十字に主要道路が配置され、その中央部に仏教寺院である「バイヨン」が、そしてその北に王宮があります。
アンコールワットの環濠を回り込んでさらに北上すると、アンコールトムの「南大門」に到着します。この南大門はアンコールトムの周壁の南辺中央部に位置する門(入り口)で、門の上部には観世音菩薩の四面仏が乗せられています。
この四面仏は顔の長さだけでも3mあり、この門の通路は象に乗った王や将軍がそのまま通過できるだけの大きさがあり、我々のバスもそのまま入ることができました(下・左)。
またこの門へのアプローチとなる橋の欄干には、ヒンドゥ教の「乳海攪拌」をモチーフに用い、左手には「神々」、右手には「阿修羅」が「ナーガ(大蛇)」をかかえた形で作ってあります(下・右)。
この南大門を抜けて、周壁内をさらに北上すると、仏教寺院「バイヨン」に突き当たります。二重の回廊に囲まれたこの寺院には、49基の尖塔が立ち並び、そのすべてに四面仏が刻まれているので、合計196の観世音菩薩に微笑みかけられていることになります。建物全体は荒廃しており、現在日本政府の協力で修復作業が進められています。
またここの特徴は回廊の浮き彫り・レリーフにあり、アンコールワットは宗教・政治色が強いのに対し、ここのレリーフは貴族の暮らしや、日常の庶民の暮らしが彫りこまれている事です。戦闘場面では後方で料理を作っている女性や子供が描かれ、闘鶏や曲芸に見入る庶民、魚をとる場面や、出産シーンまで彫られています。
バイヨンを抜けて北側、王宮の一角へ進むと王宮の周壁内部に「ピミアナカス」寺院があります。宮殿前に配置されたこの寺院は「天上の宮殿・空中楼閣」という意味があり、ある伝説があります。それはこの寺院の塔の中には9つの頭を持つ蛇の精が宿っており、その蛇は毎晩女性に姿を変えて王の前に現れ、王は妻と寝る前にまずこの女性と交わらなければならない。もし一夜でもこの行為を怠れば王は死ぬと信じられていたそうです。うらやましいか、大変か・・・あなたはドッチ!
この王宮の前が「象のテラス」「ライ王のテラス」です。これらのテラスは王宮前の広場に整列したクメール軍を閲兵したテラスで、「象のテラス」が約300m、それに続く「ライ王のテラス」が150mあり、ここから整列した軍を眺めたらさぞ壮観だったろうと思います。象のテラスの壁面には、名前のとおり象のレリーフが300mにわたって彫られており、中央部の階段には3頭の像がはすの花を摘み、その鼻が柱になっています(左の写真)。
その他この壁面には「神々」「阿修羅」「ガルーダ(ヴィシュヌ神の乗物で、体は人間・頭とクチバシ・翼と爪だけは鷲)」などが彫られています。
この王宮前広場からまっすぐに伸びる道を、次のタ・プロム方向へ行くと東の門「勝利の門」にぶつかります。ここは闘いに勝った軍隊が凱旋のために入ってくる門で、負け戦の場合は別の門「死者の門」から入ってきたそうです。
11 巨大なガジュマルの根が覆い被さるタ・プロム
この12世紀に建てられた仏教寺院の特徴は、自然の力を見せるために、樹木の除去や本格的な積み直しなどの修復がされないままになっている点です。当時は東西1000m、南北600mもの壁に囲まれた広大な寺院で、その中に5000人あまりの僧侶と、600人以上の踊り子が住んでいたと言われています。現在では、スポアン(榕樹)の巨大な根が、石の隙間を押し広げて大蛇のように絡み付いています。まるで石を食べる怪獣のようで、ある種の自然の芸術でしょう。発見当時のまま残されたこの寺院は薄暗く、神秘的な空気が漂います。
12 オールドマーケット
この市場は現地の人たちのマーケットだそうですが、道路沿いの表にはあらゆるカンボジアのおみやげ物が売られている一角があります。他に生鮮野菜(生鮮は疑問ですが)、雑貨、お菓子、調味料、そして奥では肉・魚類が売っていますが、薄暗い店先にハエが飛び回る中で肉類がぶら下げてあり、よくわからない干し魚が並べられています。この干し魚や発行させた調味料などのにおいで独特の雰囲気でした。
現地の人がバイクに乗るときは2人乗り・3人乗りはあたりまえ。時には5人乗っているバイクも見かけました。ああなると曲芸ですね。 |
13 トンレサップ湖での水上生活
シェムリアップでの遺跡見学をすべて終わってから、さらにガイドの提案によるオプションツアーに行きました。カンボジアには農村としての顔ともう一つ漁村としての生活があるそうです。ここから約30分程度ということで出発しましたが、この道が大変でした。いわゆるカンボジア酷道(国道ではなく)。最初は赤土の道路で前を車が走ろうもんなら砂ぼこりでまったく見えず、また後半の堤防道はまったくの穴ぼこ道路で右に左に避けて走らなければ入れない道路で、まるで演習場の不整地を走る思いです。約1時間かけてようやく「トンレサップ湖」に到着しました。
この湖は東南アジア最大の湖で、琵琶湖の7倍から9倍あるそうです。その特徴は雨季になると乾季の面積の3倍になるそうです。当然対岸は見えず、湖上にはいかだの上に掘ったて小屋が見えるだけです。ここには水上生活者がベトナム系と、カンボジア系の住民が完全に分かれて生活しており、湖上を自由に移動できるいかだの家に住んでいます。学校も水上にあり、生徒は家から船で登下校します。雑貨屋も八百屋も船で行商しており、家で待っていれば買い物ができます。またここでは魚がたくさん取れ、カンボジアの人の貴重な蛋白源になるとともに、魚醤の材料にもなるそうです。
湖を遊覧してこれらの生活の様子を見学した後、「水族館」と「動物園」に行くとの説明です。こんなところにそんなものがあるのか、不思議に思いながら着いたいかだでビックリです。「水族館」は養魚場の「ナマズ」のこと。「動物園」はいかだの上に動物がすこしいました。猿の子供数頭・蛇数匹・山猫の子供1匹そしてナマケモノ2頭でした。それでもみんな猿を抱いたり、蛇を巻いたりして記念撮影です。
ここでの生活レベルは町よりずいぶん低く、大変なようですが、子供たちが一生懸命働いており家族のつながりはしっかりしているようでした。実現不可能でしょうが我々ツアー客の一致した意見は、ここに高校生の修学旅行を連れてくれば、少しはしっかりした考えをもてるのではないか、もっと家族を大切にするのでは、というものでした。
14 カンボジアが誇るアプサラダンス
アンコール遺跡のレリーフに多く見られるアプサラは「天女・天使」であり、アプサラダンスは、美しい踊り子が金色の王冠を頭に飾り、優雅に踊ります。もともとは9世紀に始まった宮廷舞踊で、昔から神への祈りとして捧げられたり、王宮のお祭りで踊られていたそうです。
ポル・ポトの時代に300人を超す先生や踊り子の90%が処刑されて、記録も消失したそうですが、難を逃れた先生によって89年ごろから、復活を目的に子供たちに舞踊教室が開かれ、現在はプノンペン芸術大学でも行われているそうです。
ホテルでは、毎日夜8時からステージでこのアプサラダンスが開かれていました。
カンボジア情報 ホテル事情・我々の泊まったホテルは、この地域では高級ホテルの部類に入るホテルでした。99年にできた新しいホテルで、客室数200室以上の3階建での近代的なものです。食事はカンボジア・タイ・西洋・中華の料理がバイキングで出されます。ここで朝・昼・夜と食べるとついつい食べ過ぎになってしまいました。レストランでのビールは「缶2ドル」「ビン3ドル」、グラスワイン「4ドル」、ジュースは「2ドル」でした。他にギフトショップやプールもありました。ここのアンコールビールは日本人の口に合ってとってもおいしかったですよ。 |
15 再びバンコク市内(王宮・エメラルド寺院)
カンボジアから再びバンコクに戻り、半日をかけてバンコクの名所を駆け足で観光です。
今回は「王宮」と「エメラルド寺院」の見学ですが、予定を聞くとその後ショッピングが3ヶ所だとか。それならもっと観光させて欲しかったですね。
まず「エメラルド寺院」から見学です。ここはタイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院であり、王室の守護寺です。王室専用であり、タイで唯一僧侶の住んでいない寺院だそうです。この本堂には高さ66cmのエメラルド製の本尊が安置されていました。日本の寺と違って大変あでやか・美しく装飾されており豪華絢爛な寺院でした。
この寺院の横にあるのが「王宮」です。白壁に囲まれた広い敷地の中に、歴代の王によって建立されたきらびやかな宮殿群が並んでいます。現在は王室は住んでおらず、国家的儀式や祭典のとき、迎賓館として使われているそうです。そういう時はもちろん見学できないとか。これらの建物には、当時の芸術の粋を尽くした建物や調度品には、金や宝石が散りばめられて、権力や財力の象徴であることがわかります。
その後ショッピング。パックツアーの宿命ですがこんなに行かなくてもという印象でした。
最初は現地旅行会社契約のお店、次がタイシルクの専門店(ここは現在のタイ首相の一族経営のお店)、そしてお決まりの免税売店。それでも行けば行ったで買うものですね。しっかり買い物しました。夕食後はオプションで、2つのコースとか。一つは「タイ式マッサージ」で、もう一つは「ニューハーフショー」。どちらに行ったかはいいませんが、しっかり夜のタイも楽しんできました。
バンコク情報 タイのバンコクはカンボジアと違って車がいっぱいで、交通渋滞です。東南アジアの先進国だけあって、ラッシュの続く交通環境は見たところ日本と変わりません。それでもガイドが言うには今はラッシュが少ないとのこと。それはタイでは4・5月が一番暑く(42〜43度)3月から5月まで夏休みだそうです。それと驚いたのはタイでは車がバカ高いことです。税金が車の値段の2倍かかるとかで、日本のアコードがここでは650万円ぐらいだそうです。 |
16 日本への帰国とその後
いよいよ今日は帰国です。旅行前はいろいろ心配しながらの準備でしたが、いろんな体験をさせてもらいました。カンボジア人の生活・暮らし振り・子供たちを見ていると、このまま今の我々日本人の生活でいいのか考えさせられることも事実です。実現不可能でしょうが高校生の修学旅行をここに連れてくると、最高の教育になるでしょう。
8時35分のJALで帰国なんで、朝食も取らず6時ホテル発です。例の衣料品の卸市場を見ながら、バスで飛行場に前進。チェックインの後、最後の買い物(お土産のタイビール)をして、機内へ。ここでタイならではの光景に出くわしました。それは僧侶がここでは一番えらい人だということです。ふつう機内へ案内するときは、まずファースト・ビジネスクラスの人とハンディキャップのある人ですが、ここではまず僧侶が案内(座席のクラスにかかわらず)されます。でも成田で降りるときは我々の後ろから降りてきました。
機内食に「そば」がついていたのが印象的でしたが、無事帰宅して、やっと一安心でした。前回のイタリア旅行のときのような「象足事案」(わからない人はイタリア旅行記を読んでね)はありませんでした。が・が・がやっぱりありました。下痢症状です。気をつけていたにもかかわらず、帰国後に出ました。木曜に帰国して金曜から翌週の月曜までお腹は特急状態です。さすがに月曜日に医務室に行くと、医者からは「このまま続いたら入院ね」の一言。でもこの日を境に回復です。結果的に良かったのは3Kgほど太って帰ってきましたが、このおかげで(?)元の体重に戻りました。
初めての東南アジア・それもあのカンボジアに旅行するまでは悩みましたが、行ってみればやはり、感激するところ・感動するところ・感心するところ・幸せを感じるところ・そして日本人としての幸せなどを感じることができました。
おわり