熊本・長崎の国宝建築 2014年2月8日-11日

2月8日(土)

羽田空港
悪天の羽田空港(08:33)
警報なみの大雪が降るという予報の関東地方。飛行機が飛ばなかったらどうしよう、と前日からもうそればっかりで仕事も手につかなかった。飛行機は羽田発8:40のスカイマーク。予報では、雪が激しくなるのは午後からだと言うが・・・
家をかなり早めに出た。京急線がやや遅れたが、7時には羽田に着いた。空港ロビーには、11時以降の便は搭乗手続を見合わせているというアナウンスが流れていた。
祈るような気持ちで過ごした90分は、それでもあっという間だった。搭乗は少し遅れたが、なんとか飛び立ってくれた。そんなこんなで着いた鹿児島は、大雪の東京とまるで好対照な晴天だった。

バレルバレー

バランボラ
チェコ風お好み焼き「バランボラ」(12:28)
今日は人吉泊まり。鹿児島空港から人吉へは高速バスが圧倒的に便利だ。が、せっかくここまで来たので、JR肥薩線の「いさぶろう・しんぺい」に乗ることにした。しかし次の「いさぶろう・しんぺい」は15時台。あと3時間もある。時間を潰すため空港近辺をうろうろすることにして、徒歩10分程度のバレルバレーに行ってみることにした。霧島高原ビールやら焼酎工場やら、とにかく酒関係の施設に、どういうわけかチェコが絡むという摩訶不思議な(悪く言えば焦点の定まらない)テーマパーク的な施設のようだ。
行ってみると、焼酎工場なんかは見学できたものの、総体的には、観光バスツアーなんかの休憩で寄るような土産屋みたいなところだった。これでは時間は潰せない。そこで、施設のチェコ料理レストラン「リトル・プラハ」で昼食をとることにした。チェコ風お好み焼きという「バランボラ」とソーセージ盛り合わせ、それにビール3種セットをいただいた。バランボラは素朴な味でなかなかイケた。ソーセージ、ビールもそうだが全てチェコ「風」であって、経営する霧島高原ビールが製造しているものだったのがビミョーなところ。店内を見回すと、他の客はツアーバスの運転手とガイド嬢が主だった。

鹿児島空港

鹿児島空港
ピーカンの鹿児島空港と霧島連峰(13:27)
初飛行
ライト兄弟の初飛行のようす(13:32)
まだまだ時間はたっぷりあったので、鹿児島空港内の「SORA STAGE」なる無料の航空博物館的な施設を見学した。色々な飛行機の模型があり、同縮尺の零戦とF14トムキャットの大きさの差が印象的だった。もちろん零戦の方がはるかに小さい訳だが、それでも、柳田邦夫の『零式艦上戦闘機』によると零戦は当時大きくてびっくりされたということだ。あとはライト兄弟の初飛行の模型が面白かった。そうか、最初は操縦席なんてなかったんだ。

嘉例川駅

嘉例川
嘉例川駅(14:16)
鹿児島空港に一番近い駅はどうやら嘉例川のようだった。バスに乗り損なってしまったので、仕方なくタクシーを使った。
嘉例川駅には空港からは10分ほどで着いた。売りは古い駅舎で、それなりに味わいがあったが、駅舎が立派なだけに、それがかえって無人駅特有の寂寞感を増幅させているように思われた。タクシーを降りると、その駅舎の写真を撮る時間もそこそこに、特急「はやとの風」がやってきた。これに乗って吉松へと向かう。無人駅なのに特急列車が停まるというのはなんだか不思議な気がしてならない。

はやとの風

はやとの風
喫茶店みたいな「はやとの風」の展望席(14:21)
はやとの風
「はやとの風」の勇姿(14:57)
はやとの風は2両編成だった。内部は木を基調にしおり、吉松寄りの先頭車が黒っぽくシックで、後ろが白く明るい印象だった。
乗客は少なかったが、それでも展望席が空いていたので、折角だからと陣取ると、イスの坐り心地がペコペコでイマイチだった。なるほど、だから空いていたのか。
嘉例川と同じような古い駅舎の薩摩横川駅などで見学タイムを設けつつ、(特急なのに)のんびり列車は進む。そして終点の吉松が近くなると、女性車掌から不吉なアナウンスが。曰く「しんぺい号は、観光列車ですので、長椅子を除いて全席指定となっております」・・・えっ・・・ちょ、乗れなかったら、人吉に、行けないのか?・・・

いさぶろう・しんぺい

しんぺい
「しんぺい」の自由席(14:58)
しんぺい
蕎麦屋みたいな「しんぺい」の指定席(15:12)
吉松で「しんぺい」号に乗り換え。「いさぶろう」も「しんぺい」も、使用車両も区間も同じ列車だが、「いさぶろう」は人吉→吉松、「しんぺい」はその逆を走る。
で、結局、自由席は、われわれ二人だけだった。満席だったら、という恐怖は杞憂に終わった。いや、それどころか、2両編成の列車の乗客は数えるほどだったのだ。内部はこれまた木をベースにしたもので、指定席の背もたれは蕎麦屋を連想させた。赤い鉄製の乗降扉と茶色い木の席がマッチしてるんだか、してないんだか、ほどよい不思議さだった。

日本三大車窓

しんぺい
「しんぺい」号の勇姿(15:29)
矢岳越え
矢岳越えから見る霧島連峰(15:44)
列車の展望席には、沿線案内の絵地図があって、そんなのを参照しつつ、ループ線がどうのこうのというような案内放送を聴いていると、旅行に来たんだなあという実感が増してきた。列車は人吉までの間にわずか4駅しか停まらないのに、なんと1時間20分もかかる。スピードじたいが遅いこともあるが、各駅の停車時間がやたら長いのだ。停車時間中は、駅に地元の愛護会的な人達がいて、展示即売会が開かれていた。
そんな道中の白眉は、日本三大車窓のひとつ・矢岳越えの雄大な車窓風景だ。絶景ポイントで列車が停まり、線路脇には見物用の案内看板まであった。この日は絶好の好天で、遠くに桜島まで見えた。ここまで晴れることはなかなかないということで、女性乗務員氏も、ここから桜島を見たのは初めてだ、と言っていた。

人吉駅着

人吉駅
人吉駅(16:44)
そうして着いた人吉駅は閑散としていた。ここの駅舎のデザインも、列車デザインと同じ水戸岡氏によるもので、窓口の暖簾なんかがいかにもな感じだった(いさぶろう・しんぺいも車内に暖簾がかかっていた)。
時間が遅いので市内観光は明日にまわすことにして、とりあえず宿へと向かった。道すがら、スナックや八百屋なんかがが無秩序に並ぶ街並は、温泉街のようであり、地方都市のようでもあり。素朴っちゃあ素朴なんだけど、かと言って旅情をかきたてるかというとそういうのでもない。今まで味わったことのない、不思議な感じだった。初めての街って、面白いなあとつくづく思いながら歩いた。

鍋屋本館

今宵の宿は鍋屋本館という老舗の温泉旅館だ。風呂はなかなかいい湯で気に入った。
料理を肥後牛のコースにグレードアップしたら、腹いっぱいになってしまった。美味しかったが、なんというか、温泉宿のようであり、田舎町の旅館のようでもあり。ビミョーな素朴さが、人吉の街並の印象とダブった。

2月9日(日)

朝霧
球磨川と朝霧(08:03)
盆地の人吉は、朝霧が美しかった。
朝食会場は大広間で、一番乗りだった。テーブル配置の都合なのか、二人で並んで座るというのが奇妙だった。つまりは団体向けの宿ということなのだろうか。なんというか、温泉宿のようであ(以下略
10時の列車で人吉を出ることにした。逆算して、青井阿蘇神社に9時ごろに行くことにした。で、それまでに人吉城跡を見ることにして、8時前にはチェックアウトした。

人吉城

石垣
御下門の石垣(08:10)
大手
真っ直ぐに延びた大手筋(三の丸より)(08:19)
城は宿からはほど近い。橋を渡るとすぐに石垣が。武者返しの石垣で、五稜郭のような幕末の西洋式城郭にはあるものの、それ以前の城に設けられているのはこの人吉だけだとか。へえ。
それにしても、この城はなかなかイイ。球磨川が天然の堀になっている。水の手門なる、川から出入りするための門が設けられており、水城のようだ。水の手門を過ぎてなおも進むと、右手に現れる御下門跡の壮大な石垣が素晴らしい。その跡地を過ぎて、本丸・二の丸・三の丸へと続く唯一の道は、なかなかの急勾配。谷地形のどん詰まりを登っていく感じで、天然の桝形になっているのだ。天守は建てられなかったらしいが、その分眺めがよく、早朝の三の丸の向こうに朝霧が漂う景色は、天空の城という形容がふさわしい。兵庫県の竹田城が日本のマチュピチュとか言われているようだが、ここ人吉もなかなかイイカンジだ。その三の丸から城下町を俯瞰すると、普通鍵形に作ることが多い大手筋が真っ直ぐに延びており、突き当たった先に寺らしき建物があるのが分かった。事前に調べず予備知識なしで来たのだが、なかなかの男前な城っぷりに興奮したのであった。

武家蔵

早朝の城跡散歩は野鳥の囀りが気持ちよかった。ヤマガラ、コゲラ、はてはキクイタダキまでいた。
城を後に、大手門から大手筋をまっすぐに行く。突き当たりは西南戦争で熊本から退いた西郷隆盛が陣地を置いた永国寺。先ほど三の丸から正面に見えた寺だ。ここで直角に北に曲がり、再び球磨川を渡るとすぐに青井阿蘇神社に着く。

青井阿蘇神社

楼門
青井阿蘇神社楼門(国宝)(09:19)
本殿
青井阿蘇神社本殿(国宝)(09:29)
青井阿蘇神社は、2008年に新たに国宝に指定されたばかり。到着すると、気合の入った国宝PRの大看板がお出迎え。曰く・・・◆熊本県初 ◆茅葺社寺建造物初 ◆神社の指定47年ぶり ◆九州内建造物55年ぶり ◆日本最南端国宝建造物 とのことで。5つめの日本最南端はフォントも大きく黄色く、誇らしげだ。
まずは茅葺き屋根が美しい楼門。茅葺き楼門の神社というと、滋賀県の苗村神社の楼門くらいしか記憶にない。この青井阿蘇神社の門の方が組物も凝っており、美しい印象。四隅に鬼面があるのが面白い。人吉独特の意匠という。
門をくぐり境内をうろついていると、『語り部』と大書された法被を着た男性に声をかけられた。曰く、境内を無料で案内しているというので、お願いすることにした。ここは神社には珍しく、建物の中に入れてもらえる。とはいっても幣殿までだが。
語り部氏は拝殿のお神楽の話をひとしきりしたあと、幣殿へと我らを導く。ここからと、本殿を眺めながらまた説明を聞く。青井阿蘇神社の国宝建築は桃山文化の九州南部でのもっとも早い例である。幣殿の欄間は四季の風物の絢爛な図柄が配され、それが室内だけでなく外壁にもある。ちなみに拝殿の外部には二十四孝が配されていて、それが楼門まで続いている。本殿の扉には神社ではひっじょうに珍しく転法輪の飾りがある。神仏習合の名残りなのであろう。蔀戸がまた珍しい。亀甲紋というだけでも風変わりだが、それがなんと、部材を組み合わせたのではなく、一枚板を彫ったものなのだ。
説明は10分程度で済んだと思う。社殿を出ると、語り部氏はチャリンコに乗ってどこかへと去っていった。

九州横断特急

九州横断特急
九州横断特急(10:02)
神社から人吉駅へは歩いて5分程度だ。駅に着くと、先ほどの語り部氏が、列車が到着したばかりのホームで拝観案内の呼び込みをしていた。
九州横断特急は、これまた2両編成で、自由席は満席とまではいかないまでもなかなかの埋まり具合だった。ワインレッドの外装と、木の内装とで、なかなかシックな印象。「いさぶろう・しんぺい」のような展望車とかソファのような奇抜な設備はなかった。
車窓からは、ひたすら球磨川の渓谷沿いで、ようやく人里に出たと思ったらそこはもう八代だった。

新八代

駅弁
新八代で駅弁「鮎屋の極薦」を食す(11:33)
新幹線乗り換えのため、八代の次の新八代で九州横断特急を下りた。次の新幹線「さくら」まで1時間ある。八代ならば城跡などがあるが、新八代には特に興味をひくようなものはない。プロ野球の松中選手の記念館があるが、我々の興味の範疇ではない。
早めの昼食をとろうと構内のうどん屋に入ろうとしたが、店内がタバコ臭かったので逃げ出して、結局キヨスクで駅弁を買って、駅前のベンチで日向ぼっこしながら食べた。
出水までの乗車時間は20分くらい。それくらいなら座れなくても問題ないので自由席へ。と、思ったら、なんと列車はガラガラなのだった。

出水ツル観察センター

ツル
観察センターからのツル(12:48)
ツル
ナベヅルが翔ぶ(14:33)
出水のツル観察センターへは、駅からタクシーで行った。昨年まであった周遊バスは今年から定観バスになってしまって鳥見の時間がとれないし、住民向けコミュニティバスは日曜で運休だった。
運転手氏の話では、今年のツルは歴代ベスト5に入るほどの飛来数で、なんと12000羽も来たとか。つい先日に北帰行が始まったが、まだまだたくさんいるという。
米ノ津川を渡ると早速、田んぼの中に番いのツルが。人がフツーに生活している場所に、ツルが当り前のようにいるのが新鮮で、ちょっと感動した。進むと次々とそんな光景が。車を停めて、車内からじっくり観察した。
センターの周囲は鳥インフルの警戒で、そこらじゅうに石灰が撒かれていた。折悪しくポツポツと来た。一度入場料を払えば当日は出入り自由というので、1人200円也を払ってセンター内へ。2階の展望室からの眺めは、事前にネットで写真を見て知っていたとはいえ、やはり圧倒された。数はナベヅルが圧倒的に多いが、マナヅルに比べ体が小さく、色合いもやや地味め。そのマナヅルはというと、体は大きくきれいだが、目付きが悪人だった。
屋上に上がればガラスなしで直に観察ができる。鳴き声も聞けていいのだが、糞に注意しなければならない。雨があがったので東干拓地に行こうと歩き始めたら、また降ってきた。干拓地に行ってしまうと風雨を避けるものが無い。今日は一日こんな天気なのだろう。しかたなく、またセンターへと引返した。
結局15時くらいまでいて、帰りもタクシーを呼んだ。道を東干拓地にとってもらって、ちょこちょこと車を停めてツル見を楽しみながら駅に向かった。途中でタゲリとツクシガモを見られたのは嬉しかった。

出水駅

再び新幹線に乗り、今夜の宿泊地である熊本を目指す。新幹線を待つ間、駅構内の産業センター的なところで、地元のお菓子をいくつか買って食べたりした。デコポンとかのお菓子があった。
上りの新幹線もやはり空いており、我々の乗った車両には他に乗客はいなかった。

熊本の夜

馬刺
葺屋でいただいた馬刺(21:28)
今日は熊本駅近くのニューオータニに泊まる。熊本市内なら食事には困らないだろうと思っていたら、日曜定休の店が多くて困った。目を付けていた店のうち、「葺屋」が営業していたので、市電に乗って出掛けた。熊本の飲食店というか、繁華街は、熊本駅から少し離れた、城の周りなのだ。
で、葺屋は大当たりの店だった。お目当ての馬刺も食えた。意外なほどに洗練された味の中に、程よく野性味が残っている。ああ、旨い。絶品の牡蠣飯で〆て、気づいたら22時をまわっていた。店に入ったのは18時過ぎだったから、4時間近くも居座ってしまったのだ。

2月10日(月)

今日は長崎へと向かう。熊本からは、新幹線を使って新鳥栖より「かもめ」を利用するのが一番早いが、船で島原に渡って島原鉄道に乗るのも一興だ。それでも長崎には昼過ぎには着く。

熊本港から船に乗る

カモメ
カモメと船旅(09:37)
駅前からバスで20分ほどで港に着いた。追ってくるカモメを眺めながらの30分の船旅となる。しかし空はどんよりとして今にも降り出しそうで、船旅の興趣も半減だ。

島原外港

島原外港
島原外港桟橋と雲仙の山(10:01)
島原鉄道
島原鉄道(10:38)
島原外港から島原鉄道の島原外港駅へは歩いて数分。しかし次の列車が40分ほどない。とりあえず駅に行くと、短いホームと壊れかけたベンチと雨避けの庇があるだけ。そこは完全無欠の無人駅だったのだ。港に戻るのも面倒なので、缶コーヒーを飲みながらベンチに座って列車を待った。
発車時刻の数分前に着いた快速はたった1両だった。途中で混んできたら窮屈になるなあと思いつつも、海の見えるボックス席に陣取った。しかし結局、最後まで相席とはならなかった。

諫早

櫃まぶし
北御門の石焼櫃まぶし(12:03)
眼鏡橋
頑丈すぎたという諫早の眼鏡橋(重文)(12:36)
駅でゲットした長崎の観光パンフレットに、諫早の鰻屋「北御門」のことが載っていた。なんか良さそうだったので、昼をそこでとることにした。初日に行った人吉も鰻が名物だが食べなかったので、ここで巻き返しを図る。
というわけで、終点のひとつ前の本諫早で列車を降り、Google Map に導かれるままに店に着いた。かつりんは石焼櫃まぶし、相棒は梅定食を頼んだ。味はたいへん良いのだが身が少なくて、相棒は、期待しすぎた分、ショックが大きかったようで、すっかり不機嫌になってしまった。
帰りは、諫早駅まで歩く途中、諫早公園の眼鏡橋を見た。この橋、頑丈過ぎて、大雨のときに壊れず流れを堰き止めてしまい、おかげで水害が広がったために川から撤去されたんだとか。

長崎

石橋
こういう石橋がいたるところに(13:57)
がらっがらの特急かもめに乗り、長崎には13時過ぎに着いた。今日は寺町を歩くことにした。そのあとで、ランタン祭りとかいうのをやっているので、それを夕方に見てから宿に行くことにしよう。
駅で「さるく」という、テーマごとに30数種類もある歩く観光マップをゲットしてから路面電車(長崎のは市電じゃなくて民営らしい)に乗った。諏訪神社前電停で降りてさるく地図にしたがって進むと、早速石橋が。細い橋でも車が普通に通っちゃったりしていた。歩きながら見上げると斜面にびっしりと民家が詰まっていた。尾道も似たような感じだが、長崎の方が谷っぽい気がする。
さるく地図に記された寺町の見所は、有田焼の鳥居はなかなかだったが、他は正直大したことはなく、そのままぶらりと通りすぎて行く。

興福寺

大雄宝殿
興福寺大雄宝殿(重文)(14:19)
大雄宝殿
興福寺大雄宝殿(重文)の氷裂紋扉(14:20)
ぶらりと歩いて最初の目的地は興福寺。スタートから20分くらいだ。大雄宝殿の屋根の反りが素晴らしい。また、なんといっても、壁の氷裂紋様が凄い。これ、釘を使っていないとか。パズルみたいなもんなんだろうけど、にしたって、いったい誰が考えついたんだか。
移築されたという旧唐人屋敷門は、完全な唐風建築として貴重というが、いかにも地味でぱっとしなかった。

崇福寺

大雄宝殿
崇福寺大雄宝殿(国宝)(15:09)
第一峰門
崇福寺第一峰門(国宝)(15:18)
続いて、我が国の中国式寺院としては最古という崇福寺へ。三門をくぐり、拝観料を払い、石段を登って振り返ると、なかなか凝った門だということがわかる。ランタン祭りで周囲にたくさんの提灯が吊るされており、夜はさだめし美しいことだろう。
やがて現れる第一峰門が、崇福寺の所有する2つの国宝の1つだ。びっしりとした組物が美しい。魚の鱗を連想した。扉のコウモリの飾りはなんだかほのぼのとしている。縁起物だそうな。
大雄宝殿逆さ擬宝珠の意匠がおもしろい。
崇福寺を出て、時間があったのと休憩がてら、門前の喫茶店に入ることにした。よく見ると「さだまさしの母が経営する店」とあった。ここでカステラとコーヒーのセットを注文してのんびりと暖まった。

眼鏡橋

眼鏡橋
長崎の眼鏡橋(重文)(16:30)
喫茶店にいるのも退屈してきたので、明るいうちに眼鏡橋を見に行くことにした。ランタン祭りで賑わう中を行く。まだ日が高く、灯りのともされていない飾りはなんだかぼんやりとして見えた。
眼鏡橋の周辺は、黄色の提灯を主体とした飾り付けだった。それが石橋の色とよくマッチしていたように思う。

ランタンフェスティバル

中華街
新地中華街のランタン(18:06)
中華街
ランタンに埋め尽くされた通り(18:15)
ランタン飾りは街のあちこちにあって、チラシを見ながらあちこちうろうろした。西国のこととて17時でもまだまだ明るく、なんかパッとしない。しかし気温は確実に下がり、どうにも寒くてしかたなくなってきた。アーケードに戻り、どうにか席の空いていたマックに入ってコーヒーを飲んで温もった。
17時半。再び街に出たが、それでも空はまだ明るかった。中華街のピンクのランタンとかを見ているうちにようやく薄闇が覆ってきた。灯りがともると、ランタン人形たちは生気を取り戻した。
何度も往復したアーケードをまたまた通り、夜の眼鏡橋に戻った。黄色いランタンがなかなか良かったが、川面の鳥の飾りが蛇足でイマイチすぎた。

長崎の夜

長崎天ぷら
長崎天ぷら(20:09)
夜景
宿から見える夜景(21:48)
宿へはタクシーを拾って行った。
料理は卓袱を現代風にアレンジした卓袱「風」料理だというが、伝統的なものとの違いがわからない。初めて食べた長崎天ぷらが、ぽよんとした食感でなかなか面白かった。ただ、酒の品揃えがいまひとつだったのが残念。
部屋からの眺めはとてもよく、対岸は夜景で有名な稲佐山だが、こちら側の夜景も悪くない。

2月11日(火)

朝は宿の送迎車で長崎駅へ。大浦天主堂に行きたいのだが、路面電車の体系が分からない。路線図では一本で行けそうに見えるのに、電停の案内には途中で乗り換えろとか書いてある。・・・そうか、循環運転みたいに見えるけど、何本かの系統があるんだ。「○○線」とか「○番系統」とか名前があって、図を系統ごとに色分けでもしてあれば、ピンと来たと思うんだけど。(と、思っていたら、ネットにはちゃあんとあった)

大浦天主堂

大浦天主堂
大浦天主堂(国宝)(09:52)
十字架
大浦天主堂(国宝)尖塔先の十字架(10:21)
大浦天主堂下で電車を降りて、道標のある坂を登る。左右は京都の三年坂を思い起こさせる、たいそうミーハーな土産物屋が並んでいた。一番嫌なシチュエーションだ。幻滅を感じながら進むと、正面に突然、目的地の大浦天主堂が、テレビなどで見慣れたあの姿で聳えていたのだった。こ、これはイイ。幻滅した気分もいっぺんで吹き飛んでしまった。
建物は1865年の建立で、国宝の建築物の中では最も新しい。内部は人が少なくひっそりとしていたが、垂れ流しの案内放送がチト興ざめか。ステンドグラスの投影が目を引くが、見所は天井のゴシック建築特有の曲線だ。幕末の日本人大工が、日本の道具を使って工夫して建てたとかいう話で、なんと木造なのである。
と、そうこうしているうちにツアー客が大挙して押し寄せてきたので、外に出た。入口右の細道から、グラバー苑へと向かう。途中で振り返ると、尖塔やステンドグラスが遠望できた。

グラバー苑

旧リンガー住宅
旧リンガー住宅(重文)(10:48)
旧グラバー住宅
旧グラバー住宅(重文)(11:27)
グラバー苑。なんともミーハーな響きだが、ここには3つの重文洋館住宅があるので外せない。
旧ウォーカー住宅→旧リンガー住宅旧オルト住宅→旧スチイル記念学校→旧グラバー住宅の順に見学した。
以前横浜の山手で見た洋館住宅は、たいてい2階建てだったが、ここの4つの住宅はいずれも平屋だった。だが、眺めがいい。特にグラバー住宅の解放感が素晴らしい。ここは間取りがかなり凝っていて、普通の建物のように四角形ではなく、十字形のようになっている。邸内に展示してあった古地図を見ると、移築ではなく当初からこの場所にあったものらしい。

東山手

東山手洋風住宅群
東山手洋風住宅群(12:06)
グラバー苑を入ったのと反対側のゲートから出て、グラバースカイロードなる斜行エレベータで坂を降りた。石橋電停を過ぎて少しすると、オランダ坂の石柱があって、そこが東山手洋風住宅群だ。かつての外国人向けの賃貸住宅だったとかで、7棟ばかりがまとまって残っており、長崎市の文化財に指定されている。そのうち1棟が町並み保存センターとして開放されていた。内部には往時の資料などが展示してあり、2階のベランダからはすぐ近くの孔子廟のド派手な屋根が見えた。
オランダ溝という、U字溝ならぬV字溝などの遺構を見ながら歩いていく。

東山手十二番館

東山手十二番館
東山手十二番館(重文)(12:19)
東山手十三番館
東山手十三番館(12:33)
東山手十二番館は、地区で最も古い洋館とかで、かつてはロシアやアメリカの領事館だったという。四角い建物で、内部も田の字のように部屋が配置されているいたってシンプルなものだった。
すぐ近くの十三番館は、登録文化財。入館無料だが、1階はカフェ(いつからこういう店を「喫茶店」と言わなくなったんだろう)だかなんだかになっていたので2階を見せてもらうことにした。ベランダからは大浦天主堂グラバー住宅が遠望できた。このベランダは排水のためか外側に向かって傾斜が付けられており、それがかなりの傾斜なもんだから、最初足を踏み出したとき、平衡が狂って頭がくらくらした。

割烹こじま

鯨
割烹こじまの鯨の盛り合わせ(13:30)
さて、帰りの飛行機は長崎18時発でちょうど夕食どきであるため、昼をがっつり食べて夕は抜くことにした。で、これまたパンフレットかなんかで見た「割烹こじま」に行くことにした。
コースを注文し、プラス、名物の角煮を追加した。鯨がイケた。最後は牛肉ステーキで、もう腹いっぱい。酒も旨かった。もう大満足で店を出たのだった。

長崎

出島あたりを腹ごなしにぶらぶらと歩きながら長崎駅に着いた。長崎空港行きのバスはまあまあの混み具合だった。空港に着いたらなんか寒気がしてきた。昨夜のランタン祭りで風邪をひいたに違いない。
飛行機はやや遅れて出発、羽田着も遅れた。家へと向かうバスの車窓からは、3日前の出発日に降った50年に一度という大雪の名残りがあちこちに見られた。
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