Top 『燕石十種』浮世絵文献資料館
燕石十種 や行☆ やすのぶ うたがわ 歌川 安信 ◯『無名翁随筆』③310(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国安」の項) 〝門人 安信 安 多吉 按るに、二代目の国安と称する者とみゆ、板刻者出せり〟☆ やすのぶ にしかわ 西川 安信 (歌川国安参照) ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国安」の項) 〝故ありて西川安信と改めしが、国安とす〟☆ ゆうさい 遊斎 ◯『無名翁随筆』③314(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「蹄斎北馬」の項) 〝【門人、逸斎、遊斎等、多クアリシナリ】〟☆ ゆきまる ぼくせんてい 墨川亭 雪麿 ◯『無名翁随筆』③303(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「喜多川歌麿」の項、菊麿(月麿)門人)「喜多川歌麿系譜」 〝雪麿【画ヲ留メ作者トナル、名高シ】〟 ◯『戯作者小伝』②52(岩本活東子編・安政三年成立) 〝雪麻呂 墨水亭と号す、高田侯藩中にて、通称田中善三郎といふ、墨亭月麿が門に入て画を学び、後戯作者とな れり、作風は柳亭に似たり〟
◯『戯作六家撰』②84(岩本活東子編・安政三年成立) 〝文化十癸酉年、予(筆者注、雪麿)稗史通と標題して、戯作者、浮世画師の小伝、并に印譜、自筆の模 なんど書集めて、二巻となし、人に見すべき心もなく秘置しが、ある日、吾師墨亭月麿に密に見せしを、 先醒笑曰、足下素人の上にしては能くこそ書集られたれ、誤れる事多けれども、そはその筈也とて、辺 近く住たる長亭五菜をまねきて、拙著をもてさし示さるゝに、一覧の上、其身の小伝なる印譜の所へ、 所蔵の印をこと/\く押などせり、それより彼方こなたと人手に伝へ/\て、式亭をはじめ、或は筆耕 晋米なども一覧するに至りて、終に十返舎もかの拙著を披閲せりとぞ、 (中略、翌文化十一年春、墨亭月麿の書画会、若菜楼上にありし時、同席の十返舎一九、『稗史通』の 自分に関する浮説を記事にしたとして著者雪麿と不和になる) 三五日を隔て、予が同門式麿が書画の会ありければ、此日たがひに出席して和睦をすることよからめと、 式麿らがはからひにて、(中略)和睦の盃をめぐらして、尾張に波風は納りぬ、彼の稗史通二巻は、墨 亭を置けるを、師より置くの八戸侯の御隠居畔李君へ奉れり、これ復び右のごとき障れる事のあらんこ とをおもひて也〟〈この「稗史通」(文化十年成立)は石塚豊芥子の『戯作者撰集』(天保末年~弘化初年成立)に収録され、それがま た岩本活東子編の『戯作者小伝』『戯作六家撰』(共に安政三年の成立)に流用されている。いわば「稗史通」は戯作 者評伝の濫觴である。なお、「稗史通」の原本は見つかっていない由。この間の経緯については広瀬朝光著『戯作文 芸論-研究と資料』(昭和五七年刊)所収「戯作者伝記・書目再考説」が詳しい。また「国書基本DB」には作品数が 七一あるが、雪麿画の作品はなく、全て戯作〉 ☆ よしまる きたお 北尾 美丸 (北尾重政二代参照) ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「北尾政美」の項 ③301 〝門人に美丸と云ものありし、故ありて政美が師重政が名跡をつがしむ、画風は大に異なり、豊国が流なり、 名を相続して、反て絶るにおとれり〟 ◇「喜多川歌麿」の項 ③303(菊麿(月麿)門人)「喜多川歌麿系譜」 〝美麿【後北尾重政トナル、小川ト改、歌川トナリ、北尾ト改ム】〟