Top 浮世絵文献資料館 浮世絵師総覧
☆ よつぎり やつぎり 四ツ切 八ツ切(春画) 浮世絵事典
☆ 天保十二年(1841)
◯『吾仏乃記』滝沢解(曲亭馬琴)記 天保十二年記事(八木書店・昭和62年刊)
(家説第四)p474
〝辛丑の十一、二月の比、春画の「よつ」と唱て奉書紙を四つ切にしたると春画本とを、画冊子掛りの名
主等あなぐり(穿鑿)得て、町奉行にへ訟まうししかば、其の摺本は焼棄られ、板は絶版せられて、板元
丁字屋平兵衛等六、七人は過料にて、裁許落着しけり〟
〈「辛丑」は天保12年。「よつ」は春画、下掲天保十五年の『藤岡屋日記』第二巻参照。春画本は好色本。丁子屋平兵衛は
中本(人情本)に関連して過料(罰金刑)に処せられた〉
☆ 天保十五年(弘化元年・1843)
◯『藤岡屋日記』第二巻 ②413(藤岡屋由蔵・天保十五年正月十日記)
〝(一勇斎国芳画「源頼光館土蜘作妖怪図」・歌川貞秀画(仮題)「四天王直宿頼光公御脳(ノウ)の図」
の出版後)
其後又々小形十二板の四ッ切の大小に致し、芳虎の画ニて、たとふ入ニ致し、外ニ替絵にて頼光土蜘
蛛のわらいを添て、壱組ニて三匁宛ニ売出せし也。
板元松平阿波守家中 板摺内職にて、
高橋喜三郎
右之品引請、卸売致し候絵双紙屋、せりの問屋、
呉服町 直吉
右直吉方よりせりニ出候売手三人、右品を小売致候南伝馬町二丁目、
絵双紙問屋 辻屋安兵衛 〟
今十日夜、右之者共召捕、小売の者、八ヶ月手鎖、五十日の咎、手鎖にて十月十日に十ヶ月目にて落
着也。
絵双紙や辻屋安兵衛外売手三人也。板元高橋喜三郎、阿波屋敷門前払、卸売直吉は召捕候節、土蔵之内
にめくり札五十両分計、京都より仕入有之、右に付、江戸御構也。画師芳虎は三貫文之過料也〟
☆ 弘化四年(1847)<二月>」
◯『大日本近世史料』「市中取締類集」二「市中取締之部」二 第二三件 p5
(弘化四年二月「市中風聞書」)
〝春画之儀草紙ニ綴候分ハ勿論四ッ切・八ツ切抔と唱、大奉書を裁候而、早春世上ニ而交易等いたし候儀
之処春画ハ御政革以前迚も厳敷御制禁ニ候処、昨年春頃より次第ニ多く相成、天道干しと唱へ路傍ニ莚
を布、古道具等並へ置候向ニ多く有之、八ツ切之方ハ当春抔大分ニ世上ニ相見へ、是ハ錦絵と違ひ猶又
遍数も多く金銀摺も有之候由、其内ニも六哥仙と唱へ候春画は金銀多く遣ひ有之候由〟
〈これは町奉行の市中取締り係が作成した市中風聞の報告書である。草紙仕立ての春画は勿論のこと、四ッ切・八ッ切
などと称して大奉書を裁断したものまで売買されている。春画は改革以前から禁止であったが、やはり昨年の春頃か
ら次第に多くなり、天道干しなどと称して、路傍に筵を敷き古道具屋のような体裁で売られている。そのうち八ッ切
がこの春多く出回り、摺り数も多く中には金銀摺りのものもある由である。特に「六歌仙」なる春画は金銀を多く使
っているとのことだ。この「六歌仙」の春画、国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によると、浮世又平(歌
川国貞)の『閨中六歌仙』(三冊?)と北渓の『六歌仙』(一帖)とあるが、画工の特定は後考に待つ。金銀摺が手が
かりとなろう〉