Top 浮世絵文献資料館 浮世絵師総覧
☆ よしわらさいけん 吉原細見 浮世絵事典
(参照) 吉原細見 遊女評判記年表 「版本年表」所収
☆ 寛永十九年(1642)
◯『高尾年代記』(柳亭種彦補綴・天保十二年(1841)凡例・嘉永二年(1849)跋・明治三十三年(1900)刊)
「初代高尾未詳事」
〝寛永十九年開版「吾妻物語」元吉原遊女の名寄(ヨセ)後代の細見記の類(タグヒ)なり〟
〈柳亭種彦は『あづま物語』を後年の吉原細見に繋がるものと見ているが、吉原細見そのものではないというのである〉
『高尾年代記』 柳亭種彦補綴(早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」)
◯『増訂武江年表』1p39(斎藤月岑著・嘉永元年(1848)脱稿・同三年刊)
(寛永十九年・1642)
〝「あづま物語」梓行(吉原細見記の始めなり)〟
〈斎藤月岑は『あづま物語』を吉原細見の始原としている。『吉原細見年表』(日本書誌学大系72・八木敬一、丹羽謙
治共編・1996年刊)の解説は吉原細見の類書とするが、吉原細見とはしていない〉
☆ 万治元年(1658)
◯『花柳古鑑』〔未刊随筆〕⑩455(十返舎一九著・成立年未詳)
「薄雲が累代」
〝此薄雲を載せたる細見の図、次にあぐ、
こゝに載するハ万治元年戊戌、此新好原移スとある一枚摺の原板、貞享五年に改めたる細見の図を抜
写にしたるなり〟
〈『吉原細見年表』(日本書誌学大系72・八木敬一、丹羽謙治共編・1996年刊)の解説は「存在を確認できた細見の最
も早い時期のもの」としている。この吉原細見は万治元年刊とされた時もあるが、現在ではこの『花柳古鑑』などの
記事もあって貞享年間(1684~1687)の成立とされている。なお『花柳古鑑』の著者一九は『道中膝栗毛』の初代一九
ではなく、三代目の一九である〉
☆ 安永七年(1778)
◯『吉原細見年表』(日本書誌学大系72・平成八年(1996)刊)
『人来鳥』安永七年春 中本 縦 蔦屋重三郎板
序「改まりました吉原細見の絵図と告初る艸帋売は則鴬のはつ声なるべし(中略)
つちのへいぬのはつ春 朋誠述」
〈吉原細見を売る草双紙売の売り声を鴬の初音になぞらえた朋誠堂喜三二の序である。喜三二はこのあと翌安永八年春、
同九年春・秋、同十年(天明元年)春・秋、天明二年春・秋、同三年秋、同四年春・五月、同五年秋、同六年春・秋、
同七年春・秋、同八年春・秋、寛政元年秋、都合八年間序を書いている。全て蔦屋重三郎板である。なお、寛政二年
の序は山東京伝に変わっている。喜三二は黄表紙も天明八年を最後に断筆している。寛政改革の余波である〉
☆ 安永年間(1772~1780)
◯『明和誌』〔鼠璞〕中p193(青山白峰著・明和~文政迄の風俗記事)
〝其頃はよし原細見小冊なる横本、表紙はきら引、安永のころより唐本表紙、夫より色々かわるなり〟
△『物之本江戸作者部類』p113(曲亭馬琴著・天保五年(1834)成立)
〝吉原細見は享保中より印行したり。【この頃は小冊の横本多かり】さるを天明のはじめ、書賈畊書堂蔦
重【狂名を蔦ノ唐丸といひけり、しかれどもみづからは得よまず、代歌にて間を合したり】か吉原なる
五十間道に在りし時【天明中通油町なる丸屋といふ地本問屋の店庫奧庫を購得て、開店せしより、其身
一期繁昌したり】其板を購求めて、板元になりしより、序文は必四方山人に乞ふて印行しけり。又朱良
(ママ)菅江の序したるも有りき【菅江か序文の編末に「五葉ならいつでもおめしなさいけんかはらぬ色の
松の板元、といふ狂歌ありしとおぼへたり。細見の書名を五葉松といへば、かくよみし也】天明の季よ
り四方山人は青雲の志を宗とせし故に、狂歌をすらやめたりければ、細見に序を作らずなりぬ。是より
して蔦重は、その序を京伝に乞ふて、年毎に刊行したるに京伝も亦錦の裏・仕掛文庫二小冊の故に、事
ありしに懲りて、寛政四五年の比より細見の序をかゝずなりけり。是よりして浮薄の狂歌よみ名聞を貪
るもの、或は金壱分或は南鐐三片を板元におくり彫刻料として、その序を印行せらるゝを面目にしたり
き。はじめ諸才子の序したる天明寛政の間は彼細見の売れたることいと多かりしと聞えたり〟
☆ 天保十四年(1843)
◯『新吉原細見記考』(加藤雀庵著・天保十四年(1843)記)
〝みつの始 安永十年正月 此本立て本の始也〟
〝按るに、一枚図は享保十年頃にをはりて、よこ本となれるなるべし〟
〈吉原細見、最初は一枚図、それが享保十年頃終了して、横本仕立てになる。そして安永十年(天明元年・1781)縦本
となる〉
◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)
〝五葉の松を手に持て素見なり〟「柳樽72」文政2【続雑】注「蔦重版の吉原細見」
〈素見はひやかし、店先の遊女を見るだけ〉
◯『残されたる江戸』柴田流星 洛陽堂 明治四十四年(1911)五月
(国立国会図書館デジタルコレクション)(94/130コマ)
◇吉原細見
〝都は夜の巷に細見売りの姿を見ること、今はほとほと少うなつた。たとへば月待つほどの星の宵に、街
灯の光りほの暗い横丁をゆく時、「新吉原ァ細見。華魁(おいらん)のゥ歳からァ源氏名ァ本名ゥ職順ン
まで、残らずわかる細見はァいかゞ--」
其の声を最も多く耳にしたは浅草の千束街から龍泉寺筋、余は浅草の広小路にも上野の山下にも折々に
見聞きしたものだが、近頃は大門を入つてからで無くば、容易に姿すら見かけず、神田から九段下、牛
込見付界隈にこれをまのあたりせんことは最早過ぎし夢となり果てた。さるにしても此の細見売りとい
ふもの、当時は何処に何を生業とすることやら………。
聞けば今の絵葉書売りといふもの、其一部は昔細見を売りあるいた男とやらで、如何に流行なればとて、
縁日の露店に、実はより取り五厘から一銭二銭の安絵葉書商ふだけでは、腹も懐ろも温くはならず、さ
れば其の懐ろに忍ばせたもの、懐炉(かいろ)温石(おんじゃく)のたぐひにあらずして十二枚一組の極彩
色、中なるは手易くあけて見せずに、客を擇(ママ)つても怪しい笑顔、「へゝ如何です」なぞは五十歩百
歩かは知らぬが下りはてたもの、変れば変るものだと昔の若い人が妙に感心してゐた〟